第6話 「ど、どこ行った……?」

「うわあっっ!?」


 寸でのところで仰け反ってかわし、その場でへたり込むようにくず折れる。手放した紙袋の中から、瓶や朧柘榴おぼろざくろが転がる。剣圧で雑貨店のワゴンが揺れてバラバラと図書が崩れ落ち、巻き込まれたカップルは悲鳴を上げた。

 ノリツッコミにしては洒落にならない。心臓が早鐘を打ち、事態が呑み込めずに唖然としていると、先ほどまでとは違ったざわめきが場を漂った。


「ねぇ、ちょっと……」

「う、嘘だろ?」


 呟く野次馬から不穏な視線を感じ、ジンがバッと前髪に触れようとする。だが、かすめた斬撃で前髪の一部は既に切り飛ばされ、その奥に秘されていたものを曝け出していた。

 金色の瞳。とある英雄が持つとされた、夢天界にあって唯一つの瞳の色。

 爛々と輝く黄金の左眼に、グルトの剣先が突きつけられる。


「いつもイイコちゃん振って、それで満足か? 英雄ネフェルの息子さんよ」

「先輩、こんな、どうして……」

「昔から、お前のそういう偽善者臭いところが嫌いなんだ。戦う力もない〈夢無し〉のクセに、英雄の子っていうのを盾にして卑しく監察官にしがみつく! 善いヤツのフリさえしてれば、自分も英雄になれるとでも思ったか? 哀れまれたり、愛されたりすると思ってたか?」

「ボクは、ボクはそんな……!」

「母はな、英雄ネフェルの戦いに巻き込まれて死んだ! 叔父だってあの戦争で、誇り高く戦って、死んでいった……それがなんだ、なんでお前の両親だけが英雄と讃えられなきゃならない! そこに一体、なんの違いがあるというんだ!?」

「ぐっ……!」


 捲し立てられる罵声に言い返せず、ジンはギリギリと歯ぎしりをする。感情が高ぶり、抑え込まれていた鬱屈とした想いが堰を切ったように溢れ出す。

 それと同時に、晒された黄金の左眼に紋章──魔法陣が妖しい光と共に浮かび上がった。

 地面に落ちた絵本。その裏表紙に刷られた紋様と相似したそれは、英雄ネフェルの血筋を示す決定的な証明であった。


「おお……やる気か? 父親に似たのはその目の色と、こけおどしの紋様だけだろう!」

「隊長、それ以上は本当にまずいですって!」


 剣を振りかぶったグルトに、女の子分が二人がかりでしがみついて制止する。収まりのつかないグルトは構わずに体をよじり、暴れた。


「うるさい! だから言ってるんだ! そうやって誰も言わないから、代わりにオレが言ってやってるんだよ!!」

「がるるるるるうっ!!!」


 吠えるグルトの左腕に、吠えた野良犬が飛びかかり齧りつく。グルトが叫び、手に持っていた残りの薬瓶が振り落とされ、割れた。


「痛っ……クソッ、げふっ、げふぉっ、なっ、なんだこれは!」

「げほっ、ごほっ、やだ、なに! なんなの!?」


 割れた薬瓶から漏れ出た液体が、もうもうと黒煙を上げる。訳も分からないままに煙に包まれたグルトの一団が激しく咳き込み、涙や鼻水が止まらなくなる。

 ジンがテキトーに渡した瓶の中身の一つは、衝撃を与えると気化し催涙効果をもたらす薬品だったのだ。

 一団が阿鼻叫喚としていると、騒ぎを聞きつけた薬店の店主が、フロート・バイクに乗った中年警備兵を連れてこちらにやってきた。


「このヒヨッコども! こんな街中でなにしてる!!」

「チッ、行くぞ! もうやめだ、バカらしい!」


 濃い煙に乗じて、グルトの一団が慌ただしく路地裏に逃げ込んでいく。フロート・バイクの追いつく前に全員が〈天賦装サイン〉を展開し、蜘蛛の子を散らすように、目にも留まらぬスピードで遁走した。

 中年警備兵が追走を諦め、キャスケット帽を脱ぎ捨て「クソガキめ」と悪態をつく。

 あれよあれよという間についた決着に、ジンもまた呆気にとられ、座り込んだまま動けずにいた。

 一部始終を見ていたカップルの男女が、ヒソヒソと囁いているのがジンの耳にも届く。


「あれがネフェルの……監察官、まだ続けてたのか」

「えっ、あなたも知らなかったの? たしか同期じゃ……」

「雰囲気変わってたし、気付けないって」

「触らぬ神に祟りなしよ。放っときなよ」


 ジンが声のする方をちらりと見ると、二人は気まずそうに移動していった。彼氏の右手首には、腕輪があった。少なくとも彼に関しては休日を謳歌しており、さっきまでのジンと同様に、手広く招集が掛けられている事実を知ってはいないようだった。


(必ずしも、みんなに連絡がいってる訳じゃない……のか?)


 思案を巡らせるが答えは出ず、駆け寄り心配してくれた店主や警備兵にお礼と謝罪をして立ち上がる。仕事で揉めただけだと笑って誤魔化し、その場をやり過ごした。

 気がつけば、もうほぼほぼ陽も落ちて、夕焼けの残照が赤く大空を染めていた。

 紙袋からこぼれた品物を屈んで詰め直していると、近づいてきた野良犬が慰めるようにか細い鳴き声を上げ、ジンの頬を舐めた。


「ほら、あげるよ。これからはボクが……キミの責任とるから」


 ジンの与えた朧柘榴を犬がクンクンと嗅いで、美味しそうにむしゃぶりつく。よほど空腹だったのか、一心不乱に果肉を食べていた。

 犬を慈しむように撫でて、ジンは赫々たる宵の空に輝く星々と、青き地球を見上げる。


「キミも……野良犬ってだけであんな目にあってちゃやりきれないよな……」

 

 星に想いを馳せ、また物思いに耽る。

 未だこの星々──現人界の人々が持つ〈星域〉を巡って続く、果てしない戦いの日々。

 そして夢天界にも大きな傷跡を遺した、かつてあった忌まわしき戦争……〈巨蟲星戦〉。

 約十八年前に勃発し、五年間に渡って続いた天人と蟲の、血を血で洗う壮絶な争いだった。監察官も聖職者も問わず、多くの無辜の民すらも巻き込んだ大騒乱であった。

 

 ある日、とある〈星域〉より顕れた強大な蟲の王の影響によって、夢天界と現人界、両者を維持していた世界の均衡が崩れた。結果として、歪みの起きた夢天界には凶悪無比な蟲が生まれ溢れ返り、天人たちはその対処に追われた。

 そんな騒乱の中で、ジンの両親で高位の監察官でもあったアカリ・ネフェル夫妻は史上初となる天使の召喚儀式を行い、蟲の王とその眷属を討ち倒した。

 戦いの果てにネフェルと妻カシスは散り、長きに渡る戦争に終止符が打たれた。

 だがしかし、災厄が始まり、大戦が終焉を迎えた頃には──夢天界の総人口は、およそ二割にまで激減していた。後には、傷ついた人と大地だけが残った。

 今でも天人はその忌々しい記憶を忘れず、現人界の為にも、他ならぬ夢天界の為にも、次なる災禍の芽を人知れず断ち続けている……。


 ジンは当時あまりにも幼過ぎ、両親の顔もまともに覚えてはいない。戦後、カシスの妹であるバーバラに育てられ、絵本に描かれた拙い父母の偶像で親を知った。

 偉大な父と母をジンは誇りに思い、憧れた。顔も知らぬ両親はジンにとっての世界の中心で、文字通りのヒーローだった。彼が監察官を目指すようになるのは、ごく自然な成り行きであった。


 養成校に入学したジンは、その優れた血筋とたゆまぬ鍛錬で名声を欲しいままにした。

 誰もが彼に期待し、羨み、彼の周りには人が絶えなかった。

 座学・模擬実技共に成績は優秀で、誰もが彼を惜しみなく賛辞した。

 ジンは父から受け継いだ自分だけの金色の瞳と紋章を、何よりの自信としていた。

 だがしかし、その栄光は唐突に終焉を迎えた。


 四年次の最終試験、〈天賦装サイン〉発現の儀式において──ジンには〈星域〉が無いことが発覚した。自己の〈星域〉の形質次第で〈天賦装サイン〉の戦いへの向き不向きは決まるが、全くの無、〈夢無し〉というのは、皮肉にもまた史上初のことであった。

 背も伸び止まり、ジンは致命的な欠陥を抱えた無能の烙印を押された。

 誰もが彼に失望し、蔑み、彼の周りから離れていった。

天賦装サイン〉を前提とした授業にはついていけなくなり、誰もが彼を陰で嘲った。

 ジンが父から受け継いだ自分だけの金色の瞳と紋章は、厭わしい呪いと化していた。

 彼はその瞳を髪で覆い隠し、閉じ籠めた。


 後には、父母の栄光だけが残った。偉大な両親と、愚鈍な息子。結局、皆がジンに見ていたのは、父と母の影でしかなかった。

 ジンは自身の〈星域〉と同じ、がらんどうの存在でしかなかった。


 夢も無く、持つこともできず、かといって、監察官として生きること以外、道は知らない。

 盛大に梯子を外された気分だった。

 周囲の白い目にも耐え、ジンは監察官の生き方に縋るしかなかった。

 幸いというべきか、強い志望さえあれば、前線の戦闘要員以外にも道はあった。

 それが〈案内人〉だった。


 夢素の流れを探ることは、ジンの数少ない得意分野だ。監察官たちを目的の〈星域〉へとナビゲートし、無事に帰還させる役目を務めるには十二分な能力があった。補佐に必要とされる知識も、人一倍の努力で補った。

 ジンは局長の後押しもあって、専門の〈案内人〉として認められた。

 それでも、そのことを面白く思わない者は多かった。

 正直なところ、グルトのように直接恨み辛みをぶつけてくるのはまだマシな方だった。

 永き時が経とうと、ジンを過去の恩人に重ねて慕う者は上の世代には少なからず居る。

 なまじ救世の大英雄の息子という肩書きがついて回るばかりに、今ではジンは若い世代から腫れ物のように扱われていたのだった。

 

 (父さん、母さん。どんなに誇りに思える偉大な両親でも……今、生きてボクのそばにいてほしかったよ)


 きれいに朧柘榴おぼろざくろを食べ終えた犬が、遠吠えを上げる。

 冷えた夜風が、からだに染みた。


「そうだ、キミの名前ってどうしようか」


 犬の首筋を撫でてやると「くぅん」と甘えた声が漏れ、仰向けになって寝転がり始めた。

 要求に応えてお腹をわさわさと撫でまわし、犬も満足そうに尻尾を振る。

 煤けているとはいえ鈴付きの首輪をしているということは、理由はどうあれ、やはり元は誰かの飼い犬であったはずだ。手がかりでもないか、試しに首輪を見てみるが特に何も書かれてはいない。


「名前がないと不便だしな……なんて呼ぼうか。ギンガ、ビアンコ、わたあめ……クリームレモンちゃん?」


 色々と候補を考えてやるが、どれも犬のお気には召さないようだった。名前を告げるたびに尻尾が止まり、笑顔が消えてそっぽを向く。

 意外と感情表現豊かなことに苦笑いして、もっちりとした頬をむにむにしてみる。


「あれ、ケガしてるじゃないか。ここ」


 そうこうじゃれあっているうちに、左の前脚が腫れていることに気付いた。

 軽いケガだが、大方グルトにやられた負傷だろうと思い、薬店の店主にオマケで貰っていた治療薬をポケットから取り出そうとする。


「あっ、こら! 待て!」


 ポケットに気を取られている隙に、ケガをしているとは思えない速度で犬が駆けだしていった。虚を突かれ、焦って追いかけたものの路地に逃げ込まれる。

 軽傷だとしても、早くに治療をしなければ悪化しかねない。細く狭く入り組んだ、厄介な裏道をあたふたと抜けて、必死に犬の後ろ姿を見失うまいと追走する。

 何度かつまずいて転びかけたり、壁や柱とぶつかりそうになったが気にも留めない。半分意地になって、息も絶え絶えに駆けずり回る。

 ここまできたらジンにも男としてのプライドがあった。絶対に捕まえて、徹底的に治して洗って連れ帰り、全力で可愛がり倒してやろうと決意した。


「はぁっ、はぁっ……ど、どこ行った……?」


 見失った。

 仮にも監察官の端くれとして、鍛え上げたスタミナには自信があったはずだった。〈天賦装サイン〉による補正を掛けられない身なのだから、なおのことだ。だというのに、想像を超えた犬の速度と小回りの利いた縦横無尽な体さばきに翻弄され、息が上がってしまった。

 膝に手をつき、分岐路で道を迷っていると、ボチャンと水に落ちるような音が聴こえた。


「なっ……まっ、まさか!」


 ジンでも正確な現在位置は分からないほどに迷路の奥深くまで来ていたが、この近辺には知る限り水場らしい水場はなかったはずだ。となると、もとよりあの脚だ。跳ね回った弾みか何かで、井戸に落ちてしまった可能性は高い。

 不慮の事故、などという縁起でもない言葉が浮かぶ。音のした方向に隘路あいろを走ると、急に開けた場所に出た。

 

「泉……? こんなところに……?」


 辿り着いた場所にあったのは、こじんまりとした清泉だった。冷暗で静謐せいひつな空気に満ち、その水面には大きく波紋が生じていた。

 土と石は苔むし、散らばる小粒な水晶塊が幻惑的な光を朧げに発している。

 奥には祠らしきものが祀られ、建物に囲まれたこの地の異質感を際立たせていた。

 恐る恐る、ジンが泉へにじり寄る。


「ここに落ちた……のかな……?」


 泉を覗き込むと、波の収まった水面が鏡のようにジンの顔を映し出した。

 気泡が立つでも、何かが浮き上がってくる訳でもない。もし犬が溺れて既に水中に沈み込んでしまっているのなら、一刻も早く潜らなければならない。

 いなかったらいなかったでいい。どうせ手がかりも何もないのだ。乗りかかった船なら、最後まで責任を取ろう。

 そう考え、ゴクリと唾を飲んで腹をくくり地面に手荷物を置く。


「よーし……今行くぞ……わたあめ!」

「わふんっ!」


 水面から巨大な口の“何か”が顔を出した。飛びこもうとした矢先だった。


「いっ!?」


 ジンはそのまま、なすすべなく喰われた。

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