第4話 「えーやんえーやん、おもろければ!」
柔らかく涼しげな夕風に吹かれ、桜の花弁が宙を舞う。小洒落た乗り合い馬車に揺られ、窓枠に片肘をついて外を眺めていたジンの鼻先に、一枚の花びらがくっついた。
隣に座っていたウィルが、御者の男に降りることを告げて馬車が停止する。二人は閑古鳥が鳴いている車内から道路へと降り立ち、ウィルは懐から何枚かのコインを、ジンは何枚かのコインと花びらを御者へ渡して、軽く礼を述べた。
鈍い燐光を発する手綱を御者が引っ張ると、いなないた馬が同じように
ウィルの身に着けているそれとは違い、簡易的な作りの民間品である。
「まぁ、たまには馬車もいいな~。四輪とかフロート・バイクに比べちゃ遅いけど」
「そういうのは民間にはあんまり出回ってないからね。夢素の補助が付いてたからまだ速い方だよ、あの馬車」
三つの巨搭が
青々と茂る街路樹に紛れ、街の随所に散在する枝垂れ桜は風に花を散らし、建ち並ぶ漆喰塗りの家屋と石畳をささやかに飾りつけていた。
その様子はさながら、桜降る銀世界といった趣だ。
ほど近い線路からは号笛が聴こえ、煙突代わりに何本もの大きな水晶柱を生やした夢素式機関車が、蒸気よろしく光の粒子を立ち昇らせて中央駅に到着していた。
青銅で造られた頭翼の天使像が象徴的に佇む駅前広場では、続々と人がごった返し、忙しなく行き交っている。
「そこのおニイさん方、どうだい、安くしとくよ!」
目的地へ向かう道すがら、青果店の店主に呼びかけられてジンが足を止める。店頭に陳列されたスイカ、柿、ツサの実、リンゴ、みかん、
「ジ~ン、今日はオレのお目当てが先だぞ?」
「ああ、ごめんごめん。じゃあ、この
急かすウィルを宥めて、ジンは半透明の赤いガラス細工のような果物を五つほど手に取り、購入した。紙袋を貰い、後生大事そうに胸に抱えて頬を緩ませる。
行儀が悪いとは思ったものの、誘惑には勝てず、買ったばかりで瑞々しい果肉を口いっぱいに頬張って歩き始める。この木が焦げたような香りと甘じょっばさの中に残るホロ苦さ、クリーミィで濃厚な舌触りは何度食べてもたまらない。
「おまえ、それホント好きよな……」
「あげないよ? そんな物欲しそうな目で見られても」
「いらんいらん全然いらん」
高速で頭を左右に振るウィルの顔を訝しげに見ながら、ジンはもしゃもしゃと果肉をかじる。たまにごく少数しか入荷しない貴重な果物なのに、欲しくないはずがないのだ。
その後の道中、古書店や呉服店に目移りしたり、紙袋を尾け狙う猫に用心したりとしているうちに、今日の主たる目的地に辿り着いた。
メインストリートから外れた路地裏に構えた、営業しているのかも怪しいボロ家だ。ツタが外壁全体に絡みつき、傾いて色褪せた看板には“駄菓子屋カミン”と書き殴ってある。
蜘蛛の巣が張っていて立て付けも悪い、木製の引き戸をウィルが重々しく開ける。
灯りもなく、陽の光もぼんやりとしか差し込まないせいで薄暗い店内には、一応それらしく駄菓子類が商品棚へ乱雑に並べられていた。板ガムや毒々しい色の棒付きキャンディーにチューブゼリー、付属する数種の粉を練り合わせて食べるらしい謎の菓子などなど……。
入り口のすぐ横には氷菓用のアイスケースが設置してあり、そこから漏れ出た冷気がジンたちの足元を漂い、じんわりと肌を冷えさせる。
店の奥の支払いカウンターに蠢く影を見つけ、目を凝らしてみると、今まさに幼い男の子が数枚コインを机上に置いて商品を購入するところであった。彼は支払いが済むなり、こちらには目もくれずに買ったバニラアイスクリームを死んだ目で舐め続け退店していった。
無心でアイスを食べる子どもの、虚ろな表情にジンがややギョッとする。ジンは手に持っていた
誰もいないカウンターに、放置されたコイン。ウィルが無人のカウンターに近付くと、部屋のいずこかから鳴っていた、カチャカチャという物音が止まった。
心臓の鼓動すら聴こえてきそうな、おどろおどろしい静寂に店内が満たされる。
「……お~い、オレだけど~!」
ウィルが誰かにアピールするように声を上げると、けたたましい音と共に天井から砂埃が落ち、カウンター側の壁がカラクリ屋敷の回転扉のごとく可動した。
ウィルとジンが舞い上がった粉塵に咳き込み、ハイテンションな笑い声がこだまする。
「だぁーっはっは! 来よったかウィルジン組ぃ―! オハヨーからオヤスミーまで、渡世に夢をひとつまみ! 欲しいものはなんでも揃うカミンちゃんの“ナンデモ堂”にようこそいらっしゃーい!」
腰に手を当てて笑っていたのは、襟元が開いたカーキのツナギを着た褐色肌の少女であった。表と裏、二つの顔を持つこの店の女店主、リー・カミンである。
丹念にウェーブを効かせたウエットな黒髪と切れ長の目、そして目尻の泣きボクロが彼女自らイチオシするチャーミングポイントだ。
「おまえこれ、隠したいのか派手な演出したいのかどっちなンだよ……」
「仮にとはいえ食べ物も扱ってるのにコレはダメだと思うな……」
「えーやんえーやん、おもろければ! 最近ウチの改良したアイスがキッズどもに好評でなあ、今度から他の業者にもバンバン卸すことになってんねん! 景気よければ全てよしや! だはははは!」
「カミンおまえ、とうとうアイス屋にでもなるのか……?」
「あんまり経営うまくいってなかったもんね、それもいいかもね」
ウィルとジンが憐れみの目を向け、カミンはヤレヤレと溜め息をつく。
「なーに言うとんねん、これだって本業のうちや。やたらごっついアイスクリームマシン拾ったのを、ウチがちょちょーっとイジくりかえしたんや」
カミンがコインの一枚を手に持ち、ピーンと親指で空中に弾き、掴んだ。
「ほな、いこか。おニューの“漂着物”、ぎょうさん入ってるでー!」
カミンに連れられ、ウィルとジンは隠し階段を降りて彼女秘蔵の地下室に到着する。
暗闇の中でカミンが指を鳴らし、壁の数か所に取り付けられた水晶灯が一斉に点灯した。
地上部分を優に十倍は超える広大なスペースに、所狭しと詰め込まれているのは統一性がなく、形も大きさもバラバラな代物たち。
整然と、かつ雑然とした印象を受けるそのラインナップとは、電子レンジや冷蔵庫、32インチの薄型テレビに目覚まし時計といった、地球──即ち現人界にあるはずの家電・家具の類いであった。
こまごまとした物は何台も並んだ木のシェルフに積まれ、販売されている。
「おほ~ッ! この絶景を眺めるために生きてるゥ~!」
ウィルが駆けだし、一目散に物色を始める。
「走ったら危ないよ、ウィル」
「拾ってくるのも苦労すんのやぞ、コケんのはええけどキズつけるんやないでー?」
カミンの“ナンデモ堂”とは、現人界から夢天界へと流れ着いた物品、“漂着物”の販売店だ。
漂着物は現人の〈星域〉を介して、時折流星のように空から夢天界に流入してくる。
カミンは密かにそれを収集し、度々こうして裏で取引しているのだ。
ウィルは生粋のメカマニアで、夢天界が製造と生産をしている物だけでは飽き足らず、現人界特有の機械類を買い漁りコレクションするために、以前からよくこの店に足を運んでいた。
メカマニアというほどではないものの、ジンもジンで現人界側の文化には結構興味があったので、仕事が終わった後などにはたまに買い物に付き合っていた。
この間、給料日があったばかりということもあり今日のウィルは特にハッスルしている。
「こっ、これはなンだよッ、カミン! このイカしたメカニカルな板はよ~ッ!」
「ほーっ、お目が高いでんなぁお客さーん……コレは電動スケートボードっちゅうもんや。もちろん模造品やのーてホンモンのスケボーで、モーター部分は結晶炉に換装済みや」
「すげええ!」
「へー」
「しかもなんと……それ以外にも色々ウチが官製フロート・バイクを参考に改造したことで、コイツは浮けるようにもなった! 名付けてフロート・ボード・カミングスペシャルやあっ!!」
「すげえええええ!! 買ったあぁあッ!!」
「へー」
水晶柱が後部から生えた改造スケートボードをウィルは値段も見ずに即決し、カミンに告げられた金額に顔を青くしていた。
月の給料3か月分ではあったが、「し、食費とデート代と他諸々を切り詰めれば……」と震え声で呟いて自分を納得させ、支払いを済ませていた。
「ねぇカミン、この二輪車みたいな……グニャっとしたやつは何?」
若干ゲンナリしつつもフロートボードの乗り心地を試しているウィルをそっちのけに、鼻歌交じりにコインの枚数を数えているカミンにジンが質問する。
ジンが指さした品物は、前側半分こそ普通のオートバイだったが、後ろ半分が粘土をこねたかのように渦を巻いてグチャグチャの異様な形で固まっていた。
「あーダメや、それは変質が激しくてウチにも直せんかった。お手上げや」
「あだぁ~ッ!」
ウィルの叫び声と、ドンガラガッシャン、というオノマトペが似合いそうな音が炸裂する。
何事かと思いカミンとジンが飛び上がると、背後でウィルがフロートボードを制御し損ねて、小物用の木のシェルフに激突していた。
「おまっ……商品にはキズつけんなゆーたやろがぁー! 殺したろか!!」
「なンて恐ろしく鋭い言葉の刃、オレでなきゃへこたれちゃうね」
床に散乱した品物の中に幸い割れ物は無かったようだったが、カッコつけて片膝立ちのウィルは普通にケガして鼻血を出していた。
ウィルがこの店を行きつけにしているのは、カミンと仲がいいからというだけではない。
彼女が独自ルートで調達する漂着物の品々は、その殆どが模造品ではなく質のいい本物であったからだ。
漂着物の多くは、夢天界に流れ着くまでに大半が変質し、歪んだ形状へと変形してしまったり、酷いものでは他の物品と融合したりして原型を留めず使えないゴミになってしまう。
加えて動力面の問題などもあり、一般的には漂着物をモデルにして製造ないし栽培をされた模造品を利用するというのが、官民問わず主流となっていた。
そんな中にあって、カミン製の商品はオリジナルの漂着物を改造し結晶炉を搭載することで、夢素での実物に近い稼働を実現している数少ない代物なのだ。
「まぁまぁ、全面的にウィルの不始末だけどワザとじゃないんだし、品物も見た感じキズついてないよ。ラッキーだったね、カミン」
ジンがウィルを無理やり擁護し、ぶつくさと不満を言って品物を拾い上げるカミンを手伝う。任務ではウィルに助けてもらった側だったのだし、こういうときはお互いさまだ。
「不幸中の幸いっちゃそうやけどなぁ……こちとら天人至上主義者のバカどもに見つかるリスク抱えて商売しとんねん。勘弁してほしいわぁ」
「そうだぞワザとじゃないンだから。勘弁してほしいわぁ。ハハハ」
ウィルはいつのまにか仏のような顔で寝そべって、乾いた笑いをあげていた。
「ハハ、おおきにな──って、こんのドアホは率先して手伝わんかい!! おまえを先に始末したろかボケぇ!!」
ウィルの顔面に、カミンの持っていたフライパンが思いっきりブチ込まれた。
補足すると、現人界の物が夢天界であまり流通していないのには、他にも理由がある。
夢天界では何より天人と夢天界こそ至上とする一派、いわゆる“天人至上主義者”と呼ばれる者たちがいる。彼らは現人界と現人を蔑視し、それに由来する技術や物にも厳しい態度を取った。
という訳で、ウィルのような天人にとってはカミンの“ナンデモ堂”は比較的お安く確実に質のいい漂着物が手に入る、大事な心のオアシスになっているのであった。
「くっ……うぐぐ……頭痛がする……吐き気もだ……」
「はい、治療薬」
ジンがしゃがんでポケットから小瓶を取り出し、半死半生の潰れたカエルと化しているウィルに頭から緑色の液体を振りかける。
私物の市販品のため大した効果はないが、それでもちょっとしたケガ程度ならマシになるはずだ。じわじわと打ち身のアザや擦りキズが薄れ、ウィルが安らかな顔になる。
「だあああ! サイアクや……これ、ど、どっか壊れてへんやろなぁ!?」
片やカミンはというと、悲壮な顔でなにやら円筒付きの棒切れのような鉄の塊をアタフタと点検していた。本で目にしたことがあるだけなので詳しくはないが、その形をジンは知っていた。──大型のリボルバーだ。
「初めて見たな、拳銃なんてのも置いてたんだね……撃てるの、それ?」
「いや、無理やな……どうにか中身はイジってみたけど肝心の弾があらへん。ま、あったかて蟲にさして効かんしメンテもめんどいモンが役に立つとは思えへんけどな」
カミンは作業用ポーチから無骨なゴーグルを手に取って装着し、露わになった右手首の腕輪──御者と同じ、細長くシンプルな物──に夢素を込めた。腕輪から燐光が生じ、ゴーグルのレンズ面にも淡い光が帯びる。レンズがサーモグラフィーのごとく銃を映し出し、その情報を元にカミンが全体の状態を分析し始めた。
「ロマンなのにね……いや、だからか」
「昔の戦争じゃ銃みたいなの使ってた監察官はおったらしいけどなぁ。なんてったかな、“星弾の射手”やったっけか? ま、あれは漂着物やのうて天賦装で創ったモンやが……っと、よーし。大丈夫そうやな」
チェック完了しゴーグルを外したカミンが、銃を慎重かつ丁重に、専用の木箱にしまってシェルフに戻す。彼女にとっては、需要がなくともレア物であることが重要なのだ。
夢天界では、彼女のように監察官としての道を選ばなかった(もしくは、夢素の保有量が少なかったり〈
なお、監察官仕様の物とは違い無から有を創り出すことはできないので、実物を介することで機能を補助・拡張する形となっている。
「さ~て! 無事に解決したことだし、そろそろお暇するか、ジン!」
片付けもおおよそひと段落したところで、知らぬ間に回復したウィルが立ち上がって、何事もなかったかのように元気に帰ろうとした──
「ぜぇいっ!!」
「あぶッ、ごッふぁッ!?」
──が、ダメだった。カミンに足払いを掛けられたウィルが、また顔面から床に激突し、沈黙した。小脇に抱えていたフロートボードが、ゆらゆらとウィルの右腕を乗せて揺らす。
「ジン、こいつちょっとシメたるから借りるで」
「ああ、うん……長くなりそうだし、治療薬もさっきので無くなったからちょうどいいよ。ボクだけで先に行ってるね」
一体全体何がどうちょうどいいのかはジンも自分で言っていて分からなかったが、とりあえず長引きそうなことは分かったので、ひとまず他の用事を一人で済ませることにした。
本日のお目当ては、別にウィル所望のナンデモ堂ショッピングだけではないのだ。
「正直、すまんかった」
ウィルがうつ伏せのまま、死にかけの声で一言そうこぼした。
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