第2話 「あたしが結婚するために!!」

 とある地のとある建造物、天を衝くかというほどの白亜の摩天楼、その最上階。

 広大な円形の空間の中心部には司令部兼管制塔──それはさながら軍艦のブリッジを思わせる構造の巨大な柱──がそびえ立ち、隙間なく配置されたオペレーターたちは空中に投影されたスクリーンに映る情報の奔流を止めどなく処理し、各所に報告している。

 直上のドーム型天井の一部は吹き抜けになっており、その夜空へ向かい伸びる天体望遠鏡型の演算装置はあまりに途方もない大きさで、見る者に畏怖と威圧感さえ覚えさせる。


「第3ドア・ターミナル、1番転移ゲート担当カガ隊、星域座標hTeA-361294へ転送完了、続けて第6ドア・ターミナル、10番転移ゲートの転送シークエンスを開始。担当のゲータ隊〈案内人〉は座標信号の変換準備願います」

「第4ドア・ターミナル、12番転移ゲートより入電、ナミシィ隊〈案内人〉負傷につき任務続行は困難、一時撤退の申請を受理」


 この地は〈監察官〉の総本山、〈セブンス・ヘヴン〉。全ての〈監察官〉はこの施設より〈星域〉へと送り込まれ、“蟲”の討伐任務にあたる。


「〈案内人〉、アカリ・ジン隊員の帰還信号を確認。第7ドア・ターミナル、8番転移ゲート開きます」


 補助ゴーグル・デバイスを装着した女性オペレーターの一人が、背後の大型統合演算装置、通称〈儚遠鏡ぼうえんきょう〉から受信した情報を指揮官へと共有し、コンパネを操作する。追随してブリッジ下方、壁側外周部に等間隔で設置された、全十二の扉の一門がゆっくりと開放される。

 ドアの向こうから、消耗した様子のグルトがよろよろと姿を見せる。彼の隊服はところどころが擦り切れ、戦いの過酷さを雄弁過ぎるほどに物語っていた。それはもう実に。


「グルト隊、隊長以下4名! あらゆる艱難辛苦かんなんしんくを乗り越え、命からがらではございますが全員ただいま帰投いたしました!」


 なんだかやたら芝居がかった調子の胴間声で、若干涙ながらにグルトがブリッジに帰還報告をする。


(おい……オレたちゃいったい何を見せられとンのじゃ?)

(帰る前まで割とキレイだったのに、いきなり地面でのたうち回ったり自分の〈天賦装サイン・ブレード〉で服をちょびちょび斬りつけたりしてたのって、こういうことだったんだね……)

(いや、失点を取り戻したいからってよォ……どうなんだ、ありゃ?)


 蟲の排除が遅れれば、それだけ〈星域〉の持ち主には負荷がかかる。然らば、討伐は早ければ早いほどいい。だが、今回は〈星域〉の規模が予想よりも遥かに広かったせいで、当初の見込みを超過してしまった。

 だからといって、急ぎ過ぎるあまりに蟲の討伐漏れがあった方が大問題ではあるので、本来査定には微々たる影響しかないのだが。


「で・す・が! この不肖グルト、手前味噌ながら不倶戴天の悪たる強大な蟲どもに勇猛果敢の大胆不敵に立ち向かい、哀れにも居合わせた宿主の少女を守りつつ蟲を千切っては投げ千切っては投げの大活躍ッッ!!」


 うんうん、と後ろにいた女性メンバー二人がなぜか腕を組んで感慨深げに頷く。


(うぉい、否定しろいこのバカ!)


 突然敵に回った女性陣に驚愕の色を隠せないウィルとジンを尻目に、身振り手振りを交えてますます話に熱が入る。まさか先輩が漫談も得意だったとは。そう思い、彼らももはや感心し始める。


「そしてこれがその蟲を討伐した証拠でございまして──」

「──グルト隊長、詳しい成果は後で報告書にまとめて出すように」


 超絶頑張ったアピールの時間、終了。


 オペレーターからにべもなくバッサリ切り捨てられ、グルトは少し残念そうにうなだれ、「ハイ……」と、か細く返事をする。

 そもそも口頭での報告は火急の伝達事項等があれば行うものであり、武勇伝(誇張)をする機会ではない。

 すごすごと退室しようとするグルトに続いて、ジンたちもいそいそと立ち去ろうとした。そのタイミングであった。


『待ちたまえ、グルト隊長』


 この〈セブンス・ヘヴン〉の指揮官にして、〈監察官〉を統括する組織、〈監察局〉の最高責任者、ブレンデッド・マドラー局長からの通信が入った。

 角度的なものなのか、今いる位置から局長は視認できない。おそらくは、後方で先刻の報告的な何かを聞いていたのだろう。ジンとウィルは同時期に職務に就きもう一年にもなるが、二人とも局長に関することは殆ど知らない。この渋みのあるハスキーボイス以外は。

 グルトが「ハイ!?」と、露骨にビクついて返事をし、通信に耳を傾ける。


『私は君たちグルト隊の人数を、“5人”と認識していたのだが……誰かに何かあったのかね? ……〈案内人〉の彼は、どうした?』

「えっ……あ、いえ! もっ、申し訳ありません、疲弊していたせいでワタクシが単純に言い間違えてしまったようでありまぁす!」


 それはグルトの地味なジンへの嫌がらせだった。そのことを知ってか知らずか局長に険のある口調で問いただされ、声を上擦らせて弁明する。


『そうか……ならばよし。全員無事で何よりだ。後はゆっくりと休息を取るといい』


 ***


「ったく、腹立つよなァ~」


 退勤後、久しぶりのまともなシャワーを浴び、髪を乾かすのもそこそこにジンとウィルは質素な私服に着替えて出口まで繋がる通路を歩く。

 途中、休憩室でグルトが誇らしげに同僚たちに例の漫談を語って(騙って)尊敬のまなざしを受けていたが、絡まれると面倒なので見なかったことにした。

 ウィルは真っ白なお気に入りのタオルで、まだ水気の残る栗色の髪をわしゃわしゃと乱暴な手つきで拭いている。


「まぁ、もう終わったことだし。それより、あのときは悪かったよ。ありがとう、助かった」

 

 ジンは自前の銀一色の水筒を傾け、つい先ほど注いだばかりの冷や水を口に含む。


「そんなのいいって。もう慣れたもんだからな。むしろ、あいつこそ相変わらずやたらとジンに突っかかってくるしよ、グチグチうるさくて慣れないンだよな。結果オーライなら別に良いでしょ~がよ。あの蟻型だってさ、ジンのおかげで倒しきれたようなモンなんだぜ?」


「ハハ……そうかな? でも、グルト先輩の言うことも正しいよ」


 あの女の子を転送した後、ジンはすぐにウィルのもとへ加勢に戻った。アシストしようにも肝心要のバックパックの中身はほぼ蟲にぶち撒けられてしまっていたが、運よくそれが功を奏し、蟲の眼に掛かった液体のひとつが目潰しの効果を発揮したのだ。

 その後は、視界を失って闇雲に暴れ回る蟻型にアーチャーの援護射撃が直撃したり、隙を見て背に飛び移ったジンが、折れて鋭利になった鉄棒をうなじの柔らかい部位に突き刺したりといった割かし手に汗握る攻防が展開され、最後はどうにかウィルがトドメを刺した。

 残す一体も余力を残したウィルが助太刀に入ったおかげで、不意打ちのダメージとガス欠でジリ貧だったグルト組はかろうじて助かった、というところだ。


 しかし、そうは言えども再三の忠告を無視し、貴重な道具の入った監察局の資産であるバックパックを喪失させたのは事実であり、痛手だ。叱責されてもしかたがない。無為に、とまでは言わずとも、合理的な判断ではなかったのは確かだったのだ。

 ウィルが言っていたように、〈星域〉内で意識だけの存在だった彼女を見捨てても、彼女の現実の肉体にはなんら影響はない。ならばなぜ、助けたのか?


(肉体的なダメージはなくとも、刻みつけられた恐怖は、強いショックは、夢が覚めても消えるとは限らない……夢は、夢のままでいい)


 本当に、それだけだったのかは分からない。でも、あの場ではあれがベストだったと、ジンには思えた。


「ヘッ、お前が人が良いのは今に始まったことじゃないケドさ……あァ~ちっくしょ、さっきのあいつの口ぶり、絶対お手柄独り占めだぜ? あ、いや、逆にさっさと昇進だの異動だのしてもらったほうがいいのか……?」


 拭く手をやめ、ウィルは大仰に顎へ指を当てて思案する振りをしてみせる。


「ウィル、それちょっと先輩っぽいよ」

「ウゲぇッ、そりゃ勘弁」


 そうこうしているうちに、出口に着いた。自動開閉式の大扉を抜けると、外のひんやりとした空気が肌寒いくらいだった。

 空はまだ薄暗く、星空がはっきりと見えていた。これが夕方であれば“逢魔おうまとき”などと物騒な表現もできるのだろうが、今は夜明け前なのだから適当ではない。

 なにより、勤務明けの時間にまでそんな魑魅魍魎ちみもうりょうと出逢うのはまっぴらごめんだ。


「 ──あっ」

「ん?」

 

 何気なく見上げた彼方。そこに浮かぶのは、彼らにとっての宝石。


「なんでだろ、今日の“現人界げんじんかい”、いつもより……キレイに見える」


 澄み渡る暁の薄明に、大空を埋めつくさんばかりのが、玲瓏と輝いていた。


「あ~、最近は“夢天界むてんかい”の夢素も安定してきてるみたいだからな、空気も澄んでンだろ」


 小高い山の上に鎮座する〈セブンス・ヘヴン〉から一望できるのは、美しき星空と彩り豊かな大自然、そして白を基調とした建物の多く立ち並ぶ神秘的な幻想都市〈エルドレムダ〉、その全貌であった。

 この世界こそが、ジンたち“天人てんじん”の一族が住まう夢天界と呼ばれる世界。

 異次元に在りながら、“現人げんじん”が住む現人界──即ち地球を古より見守り、守護することを定めとされた世界である。

 エルドレムダに煌めく満天の星々は、すべて現人界の人々の〈星域〉が具現化したものだ。


「──ふむ。腐っても我が教え子ということか。まさしく、それは“夢天界”と“現人界”の調和が取れている確かな証拠よの」


 ジンの左手から声をかけてきたのは、長く白い髪と髭が目を引く、監察官であれば知らぬ者のない老爺であった。老いてなおそう思わせない、洒脱ながら品のある佇まい。


「ルカ博士!」

「わたた、おはようございますっす! どうしたんすっか、先生。東搭の方から来たってことは、また学会かなんかっすか? 蟲関係の」

「まあ、の。おヌシみたいな不真面目な生徒に教えるよりは、よっぽど楽な仕事じゃったが」

「ひでえ言われよう」


 ルカ博士こと、ルカ・ホーリー。またの名をDr.ルカ。彼はジンたちも卒業した監察官養成校で主に座学を担当する教師であり、蟲──正式名称〈夢喰い蟲〉に関する研究の、夢天界における第一人者でもある。

 大聖殿を囲むようにして建つ西搭・北搭・東搭の三つの搭の内、ルカは普段は監察局本部にしてルカの研究施設も兼ねるこの北搭、〈セブンス・ヘヴン〉によく籠っている。

 口を尖らせたウィルが、首に掛けたタオルを両手で左右に擦り動かして、愚痴る。


「だって、こんな安月給じゃやってらんないっすもん。ロクに女の子とデートだって……イデッ!」


 ルカが腰に差していた杖で、ウィルの額をパコーンと小突く。

 彼は溜め息まじりに、空に浮かぶ地球を遠い目で見つめた。


「……もうあれから十三年になる。ここまで夢天界の空が、いや、世界が鮮やかさを取り戻したのは他ならぬお前たち、〈監察官〉の活躍によるものだ。そのことをゆめゆめ忘れるな」

「でも……博士、ボクは」


 自嘲するジンへと向き直り、こつんと杖で胸を小突き、ルカは続ける。


「ジンよ。確かにおヌシは〈星域〉を持たず、ゆえに〈天賦装サイン〉も使えん。しかし、〈案内人〉とは本来であれば、〈監察官〉の中でも蟲や夢素の探知に秀でた者が兼務するもの。その中でおヌシは〈案内人〉を専任されている。それは父のことなど抜きに、おヌシの実力じゃよ」


「……そう、ですよね」


 自分を言い聞かせるように、首肯するジン。──つい卑下しがちなのは、自分の悪い癖だ。そう頭では分かっていても、止められないことはある。


 人の“夢”が創り出す異空間、〈星域〉。この世の者は皆、大きさや形は違えど自分だけの〈星域〉を持っている。そして、人は眠りにつくと意識が〈星域〉へと迷い込み、夢を見る。

 それを生まれながらに持たない〈夢無し〉であるジンは、天人の〈監察官〉としても、人間としても、異端な存在であった。


 ジンは、夢を見たことがなかった。


「そう思うンなら」


 ふとウィルが暗い顔でボソリと呟き、


「なんじゃ」

「そう思うンなら、オレらの給料上げてくれるように口添えしてくれればいいのに……そうすりゃウチの店だって……48回ローンだって……そうだ、嫁さんだって……ああ夢も希望もない……」


 手で顔を覆い、悲壮感溢れることを言い出した。


「──うむ。じゃ、ワシ忙しいから」

「えちょっ待っ」


 ウィルが顔を上げた時にはもう、ルカは居なかった。ジンだけは爽やかにサムズアップ&ウィンクで去っていくルカの姿を認識できたが、それもほんの一瞬の出来事であった。

 開いた自動ドアが、虚しく閉まってゆく。


「むむ……あの歳にしてあの機敏な身のこなし、やっぱりルカ博士はすごいね……」


 ジンがひとしきり感心していると、遠くから「いい夢見るんじゃぞ~」とエコーのかかったしわがれ声が響いてきた。

 ちなみにウィルは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。


 ***


「ふざけるな!」


 耐えかねた兵士の拳が、骨折しかねない激しさでテーブルに打ち付けられる。

 司法局擁する西搭の一室、薄暗く空気の淀んだ黒鉄の牢獄で、ある事件の訊問が行われていた。鉄格子に囲まれた部屋の奥に居るのは、壁に両手を繋がれた一人の少女である。

 鋼の手枷と鎖で磔にされ、両の踵は浮き、つま先立ちで身動きもままならない徹底ぶり。審問を担う兵士の背後には、実剣を帯び、袖の隙間から腕輪の覗く二人の警備兵が彼女の動向を注視している。

 それは目の前のうら若き少女が起こした事件の重大さを、如実に物語っていた。

 

「…………」


 彼女は目を伏し、黙して語らない。憎らしくも気丈なその姿には、あわや兵士すらも不本意ながら見惚れかける美しさと危うさがあった。

 背はすらりと高く線はしなやかで、華やかな二本の簪で結わえたチェリーピンク・ヘアは、夜空に咲く絢爛な花火を思わせる。

 彼女の装いは黒地に赤で彩られた巫女服のようでもあったが、緋袴に似せた腰布、ショートスパッツにロングブーツと、大胆に着崩しアレンジメントされていた。


「ぐ……何時間そうしているつもりだ。少しは喋ったらどうなんだ!?」


 この膠着状態が始まり、既にかなりの時間が経っている。彼女は抵抗もせずに捕縛されたため身綺麗ではあったが、当の現場が現場であり、発覚した事態が事態だったので立場上決して手を緩めることはできない。


「──まさか、お前なのか。本当に」


 後ろでドアが開き、兵士たちの見知った低音の声が聞こえる。彼らが振り返ると、そこに立っていたのは無精髭を生やしサングラスを着けた男──監察局のマドラー局長であった。


「マドラー局長! この被疑者をご存じなのですか?」

 

 突然の来訪者に困惑する兵士をよそに、局長は少女から視線を外さず、答えた。


「彼女はキルシェ──キルシェ・ヒリング。私の……娘だ」


 一瞬の沈黙を経て、兵士たちの目が少女に集まり──キルシェ・ヒリングは笑った。


「よおおうオヤジぃ、せっかくだから挨拶に来てやったぜ? ずいぶん待たせやがって」


 濃く深い赤色を湛えた、鋭い眼光が局長を射抜く。

 淡く薄紅のひかれた唇に似つかぬ、猛々しく荒っぽい第一声に兵士たちが瞠目する。


「……何年もの間、どこにいたんだ。それは一体、なんのつもりだ」

「ハンッ、あたしがどこで何してようが勝手だろーよ。オヤジこそなんのつもりだ? そんな似合わねえサングラスなんかしちゃってさ」


 局長がおもむろにサングラスを外し、ニヤつくキルシェの眼を見据える。


「確かにどこで何をしようが、お前の勝手だ。……だが、なぜエルド大聖殿に忍び込んだ。宝物庫から盗んだものは、どこにやった。誰に頼まれたんだ」


 その問いに、キルシェは眉をピクリと動かして鼻で笑い、目を瞑った。


「──ま、“アレ”は悪いようにはしないよ。今ごろ在るべきところへ、帰ってる」

「久々に里帰りして、することがこれか? お前とて、あの遺物の重みを知っているはずだ。……なにより、“銀”のアレ一つでは意味をなさない。もはや盗んだところで──」

「い゛っ! ええっ!?」


 局長の説諭を遮り、横にいた兵士が突然声を上げる。

 彼が目にしたのは、磔にされていたキルシェが両手の鎖を強引に引き千切る光景だった。

 彼女はストッと軽やかに地面へ降り立ち、両の拳の骨を鳴らしながら開いたり閉じたりして感覚を確かめる。拳の調子に満足すると、やおら拳を交差させ、右の手で左手首の手枷を、左手で右手首の手枷を掴み──またしても引き千切った。


「そっ、バッ、そんなバカな!? 鋼鉄だぞ、鋼鉄の枷を〈天賦装サイン〉も展開せずに!?」


 鉄片がカラカラと転がり、兵士たちが混乱と驚愕をして、一斉に身構える。


「──だから、必要だったんだよ」


 異常事態にも動じず、静かに立ち尽くす局長に、キルシェが不敵な笑みを見せる。


「あたしが結婚するために!!」


「!!!」


 局長の手からサングラスがずり落ち、床に叩き付けられ、割れた。

 自由になったキルシェが両手を上げ、兵士たちが怪訝な顔をする。


「ベルムゥゥゥゥートッッ!!」


 キルシェが突如として叫び、何もなかった右の手首に腕輪が浮かび上がる。ややあって、左の手首にも同様に真紅の腕輪──ごく一般的な腕輪とは色も形状もまるで違う特別な腕輪が浮かび上がった。

 両の手首を返し、それぞれの腕輪の中央部に嵌め込まれた赤き結晶が露わになる。


「“赤”の……〈マリアンジュ・リング〉……?!」


 局長が目を見開き、一筋の汗を流す。監察官でもある兵士たちが動き、各々が己の〈天賦装サイン〉を展開し攻撃に移ろうとする。

 しかし、キルシェはそれを見透かしたように両手を突き合わせて前にかざした。


「遅いんだよぉっ!」

「まずい、来るぞ! 伏せろーッ!!」


 瞬時に局長が危険を察知し、声を荒げる。

 直後、キルシェの両の手のひらから炎の渦が噴き出し、兵士たちに襲いかかった。衝撃波が生じ、燃えるより速く兵士が吹き飛ばされ壁に打ち付けられる。頭部を強打し、気絶すると共に展開していた〈天賦装サイン〉が光を失い、粒子となって消えていった。

 

 局長は片膝をつき、両腕で防御し踏みとどまる。すぐさま顔を上げると、身を震わすような轟音がとどろき、キルシェの背後の壁が崩落した。

 うねる炎のバリケードを隔て、開いた大穴の先に見えた何か。


「アオォォオォオォォォオオォォォオォオン」


 遠吠えの勝鬨を上げ、こちらを冷たくねめつけるもの。それは、天を飛ぶ巨狼であった。

 キルシェはその白雪のごとき毛並みを優しく撫で、背中に飛び移る。


「……待て! キルシェ! どういうことなんだ!!」



 局長の問いかけにキルシェは振り返り、嬉しそうに笑った。

 太陽を背に受け、眩い陽光が部屋に差し込む。

 彼女は声高らかに、天高くどこまでも響き貫くほどに大きな声で、宣言した。


「あたしは、アカリ・ジンと結婚する!!!」


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