023:憧れと信頼


「ビックリですよね。いきなりこんな世界に迷い込んじゃうなんて。漫画みたい」


「本当だな」


 異世界は良く分からない世界だった。

 スキルがあって、モンスターがいて、脳内にはゲーム内の通知みたいな声が聞こえる。


 何かのゲームの中にでも入り込んでしまったみたいな感じだ。

 本当にゲームだとしてもタカシの知らないゲームである。


 なんでこんな世界に迷い込んだのか?

 そもそもこの世界はいったい何なのか?


 何もかもが分からないからこそ感じる不安も大きい。


 ここで自分は何をすれば良いのか?

 この世界で死んだらどうなるのか?


 1人でいるとそんな疑問や不安に押しつぶされそうになる。


「でも俺、最後の記憶まで仕事してたよ。バカみたいだよな……」


「私もですよ」


「徹夜組はみんなそうかも知れないけどさ」


「きっとそうですね。あはは……」


 元の世界で不安を感じなかったワケではなかった。


 未来に希望が持てない時。

 何のために生きているのか分からなくなってしまった時。


 そんな時には似たような感覚が襲ってくる。

 ふとした時にそんな不安で死にたくなる瞬間があるのだ。


 タカシの場合、社会人になってからはクソみたいな労働環境のおかげでそんな不安すら感じるヒマはなかったのだが。


「この世界、私には結構ツラくて」


 不意にヤマダの口からこぼれた言葉は消え入りそうな小さな声だった。


「そうか」


 タカシは何も聞かず、ヤマダの言葉に耳を傾けた。


「最初に目が覚めた時は本当に1人ぼっちで、すっごく怖くて。それから知ってる人たちもこの世界にいるって分かって、少し安心しました」


「うん」


「でも先輩以外の人はなんだか信用できなくて、私こんな所まで逃げちゃったんです。元の世界での常識とか、マナーとか、そんなルールから解放された男の人たちがケダモノみたいに見えてしまって……」


「そうだったんだな」


 ヤマダが会社でそういう目で見られていたことは知っている。

 もともと男性比率の高い会社だったせいもあり、若くてキレイな女性新入社員はどうしてもそうなってしまう。


 タカシから見てもヤマダは可愛らしいと思う。

 だから何かが少し違えば、タカシだってそんな男たちと同じだったかも知れなかった。


 もしもヤマダと部署が同じで毎日のように顔を合わせる距離だったら?

 異性として強い好意を持たなかったとは言い切れない。


 それとも定時組のヤツらみたいに要領が良くて、躊躇なく他人を蹴落とせる人間だったら?

 他の男たちのように強引にヤマダに良い寄っていたかも知れない。


「……ごめんなさい。自分の事ばっかりで。1ヵ月も1人で過ごしてた先輩の方がきっと大変だったですよね? あーあ、なんで私ってこんなに弱いんだろう」


「そんなことないよ。今だって助けられてる。俺1人だったらここで凍え死んでたかもしれないだろ?」


 焚火の火種も、このローブも。

 ヤマダに出会えなかったらタカシには手に入れられなかったモノだ。


「ふふ……先輩ならきっと1人でもなんとかしてますよ。私が知ってるタナカ先輩はそういう人です。なんでも自分だけでやりきっちゃうんだから」


「そんなことないって。いろんな人に助けられてる。もちろんヤマダさんにもね」


「そ、そうですか? だったら良いんですけど……」


 改めて口にされると恥ずかしいのか、ヤマダはジワジワとローブに顔を沈めていた。


「あっ、でも私の方が絶対に先輩に助けられてますからね? この世界でだって助けられましたし、会社でだってずっと助けてもらってました!」


「そうだっけ?」


「そうですよ!」


 この世界ではともかく、会社でヤマダを助けてあげられたような記憶がタカシにはなかった。


 会社では接点すら多くはなかった。

 ヤマダが疲れている時に少し労いの言葉をかけてあげるくらいしかできなかったのだ。


 その一言がどれだけヤマダを救っていたのか、タカシ本人は気づいていなかったのである。


「私、先輩に会えて良かったです。会社でも、この世界でも。どんな世界でも先輩だけは信用できますから。だから、本当に良かった……」


「そうか。俺もヤマダさんに会えてよかったよ」


 ヤマダにしては珍しい弱音の数々。

 彼女の本心だと思える話を聞けたからだろうか。


 つられるようにタカシも思わず本音が口からこぼれてしまっていた。


「え? ほ、本当ですか? そ、そそそ、それって…………っ!!」


 ヤマダがガバッとタカシを見た。

 その目が何かを期待するようにキラキラと輝く。


 ヤマダがゴクリと唾を飲み込んだ気がした。


 それを見てタカシは「しまった」と口が緩んでいたことを自覚した。


「お、おう! だって、あんなにおいしい食事は初めてだったからな!?」


「って、そっちですか!?!?」


 そして思わずそんな事を口走っていた。


(あ、あぶないあぶない……だって、まだ早いよな?)


 タカシはヤマダの好意には気づいていた。

 ここまで言葉や態度で示されたら誰だって気が付く。


 ただ、まだその答えを決めかねていたのだ。


 仕事ばかりで恋愛とは無縁だったため、タカシは自分自身の気持ちが分かっていなかった。


 異性として憧れと、頼れる先輩としての信頼。

 そのどちらも今のヤマダには大切な心の拠り所になっている気がした。


 だからこそ慎重に、自分の気持ちに整理をつけてから答えを出すべきだと思ったのだ。


 それがどんな答えであったとしても、ヤマダの信頼だけは裏切る事にならないようにと。

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