9 絶叫風呂

 動揺する私に構うことなくハル様はずんずんと廊下を進む。突き当たりにドアが二つあり、何かのマークが書いてあるけど読めない。

 多分、男湯とか女湯とか書いてあるんだろうけど。


「ペギーッ! ペギャア! ペペェエエッ!」

(ぎゃあーっ、やだやだ! 無理! 爽真の裸だって見たことないのに!)


「おいおい、どうしたんだ。風呂が嫌なのか? 風呂嫌いなんて猫みたいな奴だな……。でも不潔にしてると病気になるぞ。観念して風呂に入りなさい」


 ハル様がドアを開けると、服を脱いでいる途中の男性を何人か見てしまった。裸の背中がばっちり視界に映った。


「ペンギャアーッ!」


 フリッパーで両目をばしっと隠し、何も見ませんアピール。無理。直視できない。


「そこまで恥ずかしがるとは思ってなかったな……。ペペはメスなのかな」


 ハル様がぶつぶつ言いながら動いている気配がする。バサッと布が落ちる音がして、私はびくりと体を震わせた。


 もう拷問だよこれ。絶対に目を開けませんから!


 やがてガラッと戸を開ける音が聞こえ、硫黄の香りが私の小さな鼻をかすめた。本当に温泉なんだ。

 景色を見たい気もするけど、いま目を開けたら間違いなく私は(精神的に)死ぬ。


「いい子だな。そのまま目を閉じてるんだぞ」


 ハル様の手が私の体をもしゃもしゃと泡で洗っている。この世界にも石鹸があるのか。薔薇みたいな香りで気持ちがいい。絶対に目は開けないけどね!


 しばらくして頭の上から温かいお湯を掛けられた。はあ、ようやく終わったらしい。


「ペペが浴槽に入ったら深すぎて溺れそうだな……。桶の中にお湯を入れてあげよう。ほら、気持ちいいか?」

「ペエ」


 ハル様は桶の中に温泉を汲んだようで、そこに私をちゃぽんと入れた。相変わらず目はフリッパーで隠したままだけど、隣ではハル様が体を洗っているようだ。

 音で何となく動きが分かってしまう。


(はんがぁあああ……! もうヤメテ。早く出たい!)


「震えてるじゃないか……。そんなに恥ずかしいのか? うーん……。ああそうか、目隠しをすればいいのか」


 ハル様が呟く声が聞こえて、しばらくすると目を隠すフリッパーの上に布が掛けられた。どこからかタオルでも持ってきてくれたらしい。


「これで大丈夫だ。目を開けてごらん」

「ペエ」


 フリッパーを下ろして恐る恐る目を開けると、布越しにぼんやりと男性らしきシルエットが見える。でも細部は全然分からないし、これなら大丈夫かも。

 プールの授業中だとでも思っておこう。


「団長、お疲れさまです。そいつが例の雛ですか。間近で見ると本当に可愛いなぁ」


 ざぶざぶとお湯を掻き分ける音がして、男の人の声が聞こえた。隊員の誰かがハル様に話しかけているらしい。


「桶ごと温泉に入れたら浮かぶんじゃないですかね。やってみてもいいですか?」


「……別にいいけどな。溺れそうになったらすぐに助けてやれよ」


「はい! ちょっと揺れるぞ、しっかり掴まっとくんだぞ~」


「ペエ?」

(え? ええ? 何?)


 私が入っている桶が持ち上げられ、何処かに運ばれている。次の瞬間にはちゃぷんと音がして、桶がぐらりと揺れた。


「ペエッ!? ペペ、ペギャア!」

(ぎゃああ! 揺れるの怖い! 落ちたら溺れるぅ!)


「ああ、やっぱり揺れるみたいだな。桶を押さえた方が良さそうだ」


「じゃあ俺が支えておくよ。はぁ、これは可愛いな……。でもなんで目隠ししてんだ? 外したら駄目なのかな」


「俺たちの裸を見るのが恥ずかしいらしい。ペペは女の子みたいだ」


「へぇぇ! 何て言うか、情緒のある奴だな」


「俺にも見せてくれ」


「桶をはなすなよ」


 目まぐるしい程の早さで色んな人が現れ、私が入った桶はバケツリレーのように運ばれていく。

 いや、これは遊園地のコーヒーカップだ。ぐるぐると視界が回る。


「ペグェェェ……!」


「おい、なんか苦しそうだぜ。そろそろ出してやった方がいいんじゃないか?」


「そうだな。ごめんな、ペペ。団長、ペペが湯あたりしたようです」


「なに? おい、大丈夫か?」


 ハル様が私をひょいと持ち上げ、その弾みで目を隠していた布がハラリと落ちた。


「ペガァァアアアアアッ!」


 私の絶叫は澄みわたる青空に吸い込まれていった。

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