奇妙な果実は実らない ④
久比里は何を手間どっているのか。扉の隙間から覗き見ながらそう思った。
いつもなら、声をかける暇なく首を絞めて始末するのに、久比里は怯えた顔をして立ち竦んでいる。
「ひ…ぐ……る…ま……」
と、月神と名乗った男の声が聞こえた。隙間から吹く風が異様に熱い。どちらかの能力のせいだろうか。それで久比里は動けないのだろうか。
火車が視界に入る。皮膚を焼くような熱風を顔に浴びているのに、鳥肌が背中一面に出来ているのがわかる。
空気が陽炎に揺れて右手には、血を滴れせている脇差しの様な長さの刃物を握っている。後ろ姿を目にしただけでも殺気に当てられて手足がすくむ。後ろ姿からも察せられる。歓喜、そしてあらゆる者に向けられる怒り。俺に意識が一瞬向いた気がした。嘗め回されるような気配がする。火車の口元から溢れる涎が蒸発して白煙に変わる。
俺は火車から目をそらした。火車が何かを口にすると、その足下には黒く粘っこい何かが蠢きだした。それが徐々に這いずりながらこちらへと向かってくる。その這った跡には赤黒いシミが出来ていた。
俺は蛇に睨まれた蛙のように動けないでいた。黒い謎の物体は扉のすぐそこまで来ると、ブアッと這い上がり俺と睨む。
それは、長い黒髪が顔を隠していて、髪の隙間から覗く鋭い眼光が俺を睨んでいた。俺は近くに置いていた片手斧を握って、扉から後ずさる。尻餅をついて後ろの壁に体重を預けた。
扉はカタカタと音を立ててゆっくりと開いた。そこから、ぬうっと粘着性の闇を纏ったモノがあらわれた。
それは腹から飛び出そうとしている、太いミミズみたいなモノを左手で抑えながらこちらを向いて、足を擦りながら近づいて来る。よく見ればそれは、腹を縦に切られた痕から飛び出ている贓物であった。まるで別の生き物のように鼓動し、黒く汚れた血と油に覆われた表面が廊下の明かりを反射している。
俺は壁を伝い何とか立ち上がる。叫びそうな自分を何とか律しながら、目の前のモノを観察する。
月神か?
他に思い当たらない。髪を結んでいた三つ編みがほどけて顔を覆っているのだ。なら、腹の傷は何だ?割腹自殺でもしたというのか。止めどなく流れる腹から溢れる血流が床を黒く汚し続けている。なぜ動ける。いや、今はどうでもいい。
俺は空いている左手を伸ばして月神の髪を掴んで振り回した。ブチブチと髪が抜ける感触がして、月神は簡単に床に倒れた。
月神の手で押さえられていた腸が、外の空気を求めるように腹から這い出て床に広がる。ぴくぴく、とわずかに動くそれは、触れている床や月神の体を喰らっているように思えた。
月神は仰向けに倒れている。髪で隠れていた月神の首筋が見えた。もはや虫の息、むしろなぜ動けたのか、と不思議に思うほどの重症を負っている。
こんなモノに何をビビっていたのか。俺は怒りに任せ、右手の斧を振り上げ月神の首に下ろす。ガツッと骨に当たった感触。斧を揺すり月神の首から抜くと、血がそこからブシャッと飛び出し俺にかかった。べっとりとした血は肌に纏わりついて離れようとしない。それがいけなかった。左手に絡まった月神の髪が血を吸いほどけなくなった。
首を切るしかない。月神の首から溢れる血はぷくっと膨れていて、そこを目掛けて斧を振り下ろすも、血の膜が斧を弾いて狙いが逸れる。膜が破ける度に血は飛び散り俺の体を汚し、まるで生き物のように皮膚の上を這いずりまわる。
早くしなければ。俺は焦って何度も斧を振り下ろす。その度にかかる月神の血が右手を濡らし、握った斧が滑りそうになった。思わず力を込めて握って振り下ろすと、ガツッと斧の刃が月神の首の骨を押切り床に当たった。月神の頭と胴体がようやく別れた。
月神の髪は俺の指に絡まり、浴びた血が固まり出して俺の左手と一体になっている。俺は月神の生首をぶらぶらさせながらその場から逃げ出した。走る度に月神の生首は四方八方に飛んでは壁にぶつかり赤黒い血痕を残す。もとは美しかった月神の顔は、その度に歪み腫れ上がっていった。向かう先は決めてある。首吊り死体が並ぶ、あの蔵へと向かう。
道中、月神の首から流れる血は途絶えることはなかった。居場所は血痕でまるわかりだ。隠れてやり過ごすことは不可能だ。ここで火車を迎え撃つしかない、と覚悟を決めた。
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