奇妙な果実は実らない ③

 月神を見ているとイライラしてくる。女の様な端麗な顔立ちに腰まで伸びた髪先を三編みで束ねた様は、客観的に見れば美しいのだろう。しかし、鼻が潰れた今の顔は無様だ。それがまた俺を苛立たせる。

「火車さん、まずは着替えさせてください」

 と、お伺いをたてるように聞いてきた月神を無視して、俺は月神に殴りかかった。とりあえず、折れた鼻を狙う。詰められていたテッシュが上に飛んだ。続けて左肘を上がった月神の顎の下に入れた。ドン!と激しく音が鳴る。壁に月神を押さえつけた。うぇ、と嗚咽をもらす月神は、それでも無抵抗だった。いつも通り。それがさらに俺を苛立たせる。 

「お前と一緒になんて泊まれるかよ。すぐに終わらせてやる」

 苛つく。月神の着ているシャツを捲り腹に手を入れる。爪を立てる。相変わらず女のような柔肌だ。それを爪で押し破る。薄い肌の膜を破ると生暖かい肉の温度が指に伝わってくる。肌の膜が俺の指にこびり付いているのがわかる。熱い。

 クックックッ

 思わず下品な笑いが口から洩れた。皮膚を破りその下の脂肪を突き破るとすぐに腹を覆う筋肉にたどり着く。俺は指に力を集中する。熱が帯びる。普段は内に隠れている灼熱の情念が、指にこびり付いた月神の肌の膜を燃やし、脂肪を溶かし、俺の侵入を防ぐ筋肉を焦がす。ガリガリとした感触が月神に突き込んでいる右手に伝わってくる。

「ひ…ぐ……る…ま……」

 と、月神は性懲りもなく俺の名を呟いている。どうでもいい。そんなことは分かっているからこうしているのだ。

 俺は月神の腹筋を突き破った。ヌメヌメとした小腸の感触が指から伝わってくる。太いミミズのような小腸の脈動が俺の右手を刺激する。それを味わうかのように右手を動かし、より深く月神の腹の底へと手を差し込む。そこには、俺の獲物が収められている。

「お楽しみのところ、悪いな」

 と、後ろから声がした。俺の右手は、肉とは違い固く、骨とは違い滑らかな、鋼鉄の柄を握った。

「馬鹿言え。お楽しみはこれからだ」

 俺は全体重を月神に押し付ける。月神の喉を潰し骨を折るつもりで。そして、俺の獲物を月神から引き抜いた。

 月神の口や鼻からドバドバと血が流れて俺の左肘を汚す。俺は月神を離して振り返る。ドサッと月神がその場に崩れ落ちた音がした。左腕を振り月神の血を払った。目の前には鬼がいた。

「待たせて悪かったな」

「思ってたより早くて助かったよ」

 その鬼は言った。余裕がありそうに振舞っているが嘘だとわかる。わずかに体が震えているのがその証だ。人を襲うのにビビっているのか、俺たちのことを知っているからかわからねえが、楽な相手だ。

 俺は右手に握ったのは刃渡り30㎝の筋引き包丁。名は確かあったはずだが覚えていない。月神の血と油でダマスカス製のそれは滑っている。まあ、問題ないだろう。

 俺は包丁を鬼に向けた。刃から月神の血がぽたぽたと雫になって落ちる。

「月神、後ろの奴は任せた」

「そいつ、生きてるのかよ」

「てめえは自分の心配でもしてろ」

 と、俺は口にして鬼に切りかかろうとした。しかし、体は別の動きをする。

 右手を引き鬼に突撃しようとした。左手を前に出し踏み込む。右手に握った包丁で鬼の心臓を突く。そうしたかったが、俺の意思に反して左手が俺の首を掴む。

 縊り鬼だったか。

 と、俺は思った。面白い。なぜ、獲物を握った右手でないのかはこの際どうでもいい。

 俺は笑った。

 ダン!と大きな音が鳴った。

 左手の握りが甘くなる。声が出せるぞ。出してやろうか。

「俺の楽しみ…を…聞かせてやる」

 俺は笑ってそいつを眺める。何をやっているのか。目の前の鬼は怯えている。

「罪人…は食らう……善人は……殺す」

 首を絞める俺の左手の力が強くなってきた。ああ、これだ。こうでなくては面白くない。

 俺は鬼をめがけて歩を進める。

 奴はそれを見て下がる。

 俺は大きく踏み込む。左手の意思が奴に取られているのでうまくバランスが取れない。倒れるのを堪える。

 奴は俺の動きを見て襲いかかろうとしてきた。

 俺は包丁を振るい奴の右手を斬った。

 奴の右手は皮一枚でつながりぶらぶら揺れて、その後、ゴトっと音を立てて床に落ちた。

 左手の力が弱まる。所詮、この程度の奴だ。傷つくことすら慣れてない。

 俺は慌てふためく鬼を蹴り倒し、包丁を心臓に突き立てた。

 鬼はすぐ死んだ。

 つまらないな。まあ次がいる。メインディッシュが。

 と、気を取り直し月神がいたところを振り返る。そこには血だまりだけが残っていた。

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