第23話 最後の息抜き



「……ふぅ。よし」


 翌日、目を覚ました私は、洗面台で顔を洗う。

 今更だけど、さすが王城の一室。すごい部屋だ。洗面室だけで、カロ村での私の部屋と同じくらいの広さがあるんじゃないか。


 私が神紋しんもんの勇者だから、ってのはあるんだろうけど……それにしたって、立派な部屋を用意してくれたもんだ。

 ま、勇者の部屋は私とは比べ物にならないんだろうけど。


 その勇者に迫られる可能性が、今日一日残っている。

 明日には、王女が帰ってくる。だから、勇者が行動に移すとしたら、今日をおいてほかにはない。


「えっと、服は……」


 まずは、服選びから。

 できるだけ、肌を隠した服の方が好ましい。誘われても断るのは変わりないけど、誘われないに越したことはない。


 ただ、用意されている服はどれもおしゃれで、高価なものだ。訓練ともなれば、訓練着とかあるけど。

 そういうので、色気を抑える方向で行くか。まあ私に色気なんてものがあるとは、思えないけど。


「リィン、起きてるか?」


「!」


 服を選んでいる最中、扉がノックされ……外から、勇者の声がした。

 私の体は、強張ってしまう。まさか、今来るなんて?


 まだ、朝一番だ。でも、襲われる可能性は"今日一日"。

 朝でも昼でも夜でも……一瞬も、気を抜けない。


「リィン、寝てるか?」


「! お、起きてます!」


 ここで返事をせず、居留守を決め込む? 勝手に入ってくるとは思えないけど、もし入ってきた時はなんで無視したんだって話になる。

 ここは、応じるしかない。中に人がいるとわかれば、部屋の外で応対するはずだ。


「なんだ、いるんじゃないか」


「え、えぇ。どうかしましたか?」


「いやなに、昨日結構剣を振っただろ? 筋肉痛とか、大丈夫かなって」


 部屋の外から聞こえる勇者の声は、私を心配したものだ。

 ただ……顔が見えないから、実際にどんな表情をしながらしゃべっているのか、わからない。


「お気遣い、ありがとうございます。大丈夫ですよ、問題ありません」


「そうか……なんだったら、マッサージでもどうかなと、思ったんだけど」


「っ……け、結構です」


 マッサージ……その言葉を聞いた瞬間、私の中で吐き気のようなものが湧き上がってきた。

 背筋が震え、視界が歪む。


 こいつ……ついに、こんな直接的に言ってきたのか……! それとも、私が考えすぎなだけ?


「筋肉は、ほぐしとかないとだからね。じゃ、俺は先に言ってるよ。リィンも、朝飯食べに来な」


「は、はい……」


 …………勇者の足音が、遠ざかった。

 それを確認して、私は深く息を吐く。


 はぁ……まさか、あんな手段で出てくるとは。

 はは、情けない。足が震えちゃってるよ。


「意識したら、だめだ……」


 弱腰でいちゃ、いけない。

 今日を乗り切れば、いいだけだ。だから今日だけは、落ち着いて行動しよう。


 その後、私は朝食を食べて……案の定勇者に誘われたけど、それを拒否。

 黙々と、訓練に挑む。


「精が出ますね、リィン殿」


「いえ。今日も見てもらって、ありがとうございます」


「いえいえ」


 私は、昨日と同じようにロィドに教えを乞うた。

 彼と一緒にいれば、勇者は下手な手出しはしてこないはずだ。勇者の剣の先生なら、勇者の不貞を許すはずはない。


 その考えは合っていたのか、一緒に訓練していた勇者が声をかけてくることはあっても、個人的な誘いはなかった。

 これなら、今日を乗り切れる……そう、思っていたのに。


「カズマサ殿、リィン殿。今日は、これくらいにしてはどうでしょう」


 お昼を過ぎて、少しした頃。ロィドが、そんなことを言い出したのだ。

 それは、私にとって思いもよらない言葉だった。


 思わず、素ぶりの手を止めてしまう。


「え……?」


「あまり稽古ばかりしていても、気が滅入るでしょう。稽古には、息抜きも必要です。

 それに、明日になれば国王様や王女様も帰ってきます。息抜きができるのは、今日が最後になるかもしれませんよ。王都を見て回ってみては?」


 それは、ロィドなりの気遣いなのだろう。その笑顔からも、悪意は感じない。

 この世界に召喚されたばかり勇者。この国に来たばかりの私。私たちに、良かれと思っての提案だろう。


 実際、王女たちが帰ってくれば、息抜きもそうはできなくなる。

 だから今のうちに……というのはわかるけど……


「いいのか、ロィドさん」


「もちろん。リィン殿と、楽しんできてください」


 違う、違うんだ……確かに、王都を回るなら王女がいない、今しかない。

 でも、私は……王女がいない今だからこそ、王都に行きたくはない。


 勇者と二人には、なりたくないのに。


「じゃ、リィン。どこ行こうか?」


「いえ、私は……」


 これは、まずい。話が、勝手に進んでいっている。

 ただ、ここで断るのも……今後のことを考えれば、ロィドの機嫌は損ねないほうがいい。


 ロィドは、悪意なく私に、息抜きをしろと言ってくれているのだ。

 それを無視したとなれば、ロィドからの印象が下がるのは免れない。今の私は、神紋しんもんの勇者だからよくしてもらっているだけ。


 微々たる問題かもしれないけど……好意を断って印象を下げるのは、よろしくはない。


「……そう、ですね。行きましょうか」


 だから、私は頷くことしかできなかった。

 大丈夫……二人で巡ることになったとはいえ、二人きりにならなければ、良い話なのだから。

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