第6話 打ち上げ

 そこからライブが終わるまでの記憶があまりない。好きな曲ばかりで構成されていて、久しぶりに声が枯れるまで叫んだ。辰己さんのソロの途中でギターの弦が切れるアクシデントがあったけど、アドリブで完璧に弾ききったのが本当にかっこよかった。

 俺は颯に連れられて、心地よい疲労感と共に楽屋へと戻った。もう既にメンバーは帰ってきているようだった。

「ああ、春様!ライブ、いかがでしたか?楽しんでいただけましたか?」

 約三時間ぶっ通しで歌い続けた椿様が汗だくで駆け寄ってくる。髪のセットもかなり崩れているけど、それでも尚美しい。

「もう!それはもう!今日が人生初めてのライブだったんですけど本当に最高でした!」

 ライブ中のテンションのまま椿様に向かって腕を広げた。それをどう勘違いしたのか分からないが、椿様が勢いよく俺の懐に飛び込んできた。

「おわっ?!椿様?!」

 俺は為す術もなくそのまま手を挙げて立ち尽くした。俺の首元に顔を埋めたまま全然離れてくれない。

「あのっ、ちょっと、えっ?うわあ!」

 全体重を俺に預けてきたせいでよろけて、椿様が上に乗っかったまま楽屋のソファに仰向けの状態で倒れた。椿様の濡れた髪が俺の頬に触れる。そして案の定、俺の悲鳴を聞いたメンバー全員がこちらを向く。

「ちょっ!違います!そんな目で見ないでください!」

 なにか見てはいけないものを見るような目で見られている気がする。いや、よく見るとK君だけニヤついているような。俺は咄嗟に椿様の肩を掴んでソファに座らせた。

「いきなりどうしたんですか!びびび、びっくりするじゃないですか!」

「いやあ、つい、ハグしたくなってしまったもので。すみません。また一つ恩返しができたことが嬉しくて。ライブにご招待して正解でした」

 そんなはにかんだ顔で俺を見ないでください。何でも許してしまいそうです。いやしかし何なんだ。超絶紳士かと思いきや急にハグしてくるなんて、一体この人の思考回路はどうなっているんだ。全く先が読めない。……まあ別に、悪い気はしなかったけれども。

「あの、ちょっといいですか。恩返しって今日ずっと言ってますけど、俺、雑草供えただけですからね。何でこんなライブに呼んだりしてくれるんですか。あ、あのカラスが椿様だって完全に信じた訳じゃないですよ」

 俺は他のメンバーに聞かれないように声を潜めて椿様に問いかけた。

「だってカラスですよ?嫌われたり怖がられたり、ろくなイメージがない動物に春様は優しくしてくださったのです。ここまでして当然ですよ」

「当然、ですか……」

「それに」

 すっ、と俺から視線を逸らした椿様は、少し間を置いて付け足した。

「今のこのメンバーに出会うまでは、人間としてもろくな扱いを受けてこなかったものですから、春様の優しさが心から嬉しいのです」

 笑顔さえ崩さなかったものの、その表情はどこか寂しげな空気を纏っていた。

「せや、春さん!今日俺ん家で打ち上げあんねんけど来る?」

 椿様の表情を俺がなんとなく気にしていると、弾けんばかりのテンションでK君が話しかけてくる。

「打ち上げ?い、いいんですか?」

 最推しバンドの打ち上げに参加?さっきからまるで現実感がない。

「いいに決まってるやん!な、椿」

「ええ、もちろんです。春様に来ていただけるなんて夢のようです」

 いや、それはこっちのセリフですよ椿様。

「じゃあはよ服着替えて帰ろか」

 パン!とK君が手を叩いたのを合図に、メンバーそれぞれが衣装から私服に着替え始める。

 その間することがなかった俺は、特に他意はなく、なんとなく着替えている椿様を見ていた。本当にただぼんやりと見ていただけだった。でも、シャツを脱ぐ瞬間、椿様の左腕にびっしりと白い傷跡が残っているのを不意に見てしまった。正直、どきりとした。……あれって、多分そうだよな。自分で自分を傷つけるやつだよな。ど、どうしよう。他人の過去に土足で踏み込むようなことはしたくないけど、何があったのかやっぱり気になってしまう。知ったところで何かなるわけでもないのだけれども。

 あれやこれやと思考を巡らせているうちに、椿様の手元を凝視してしまっていた。俺は慌てて目を逸らすと、ポケットからスマホを出して、ネットを見ている振りをして皆の着替えが終わるのを待った。

「では参りましょうか、春様」

「はい?!い、行きましょう!」

 頭の中でさっきの光景が何度もフラッシュバックしている時に本人が急に話しかけてくるもんだから、驚きで声が裏返ってしまった。

「どうかなされましたか?」

「いえ!大丈夫です!裏の駐車場ですよね、行きましょう行きましょう」

 俺の挙動が変だったせいで椿様に勘づかれたかもしれない。それでも、何も見てない俺は何も知らない、と自分に言い聞かせながら、機材車を停めてある駐車場へと向かった。


 K君の自宅は、八部屋二階建てアパートの一階の角部屋だった。外装は古びてはいるものの、室内は新築のように綺麗だった。きっと内装だけリフォームされているのだろう。玄関を抜けるとすぐにキッチンがあり、その奥にリビングがあった。インテリアは全体的にベージュっぽい色でまとめられており、V系バンドマンらしからぬ、綺麗に整頓された室内で少し意外だった。

「いつも打ち上げはK君の家でするんですか?」

「そうですね。わたくしが外で食事をするのがあまり得意ではないので、K君の家に集まることが多いですね。それに、他のメンバーの家は、なんといいますか、少しアスレチックなもので」

「ア、アスレチックといいますと?」

「はい。海君の家はアニメやゲームのフィギュアなどでごった返しておりますし、辰巳さんの部屋はギターの機材だらけで万が一踏んでしまったりでもしたら一巻の終わりですし、ユースケさんの部屋は単純に散らかっていて足の踏み場がありません。わたくしの家はワンルームで狭いので、皆で集まるとなると、必然的にK君の家になってしまいます」

 椿様がワンルームに住んでいるのは初耳だったけど、それ以外のメンバーはイメージ通りといえばイメージ通りだ。

「それに、K君が作るお料理はどれも美味しいんですよ」

「K君お料理もできるんですね。ライブではしゃぎすぎてお腹ぺこぺこなので楽しみです」

 俺たちの会話をキッチンで聞いていたのだろう。リビングとキッチンを隔てる壁から、K君がひょい、と顔を出す。

「そんなプレッシャー与えんといてやあ。今日は簡単にできるたこ焼きやし、手の込んだ料理はまた次回にとっといて」

 白いシャツを腕まくりして、まるでどこかのお店の大将のようだ。

「たこ焼き大好きです!あ、そういえば。大阪の人の家には必ずたこ焼き器があるって本当なんですか?」

「どうなんやろなあ?まあ、俺ん家は昔からあったけど」

 お手本のような回答に俺は思わず笑ってしまった。ネットの面白記事かなんかで見たままの回答だった。

 そうこうしているうちに、K君がたこ焼きの生地を作り終えたようで、いそいそとキッチンからリビングに戻ってきた。テーブルの上に置かれたたこ焼き器の電源を入れ、慣れた手つきで注いでいく。今までソファでうとうとしていたユースケさんも、ご飯の気配を感じ取ったのか、タイミングよく起き上がってきた。海君は冷蔵庫からビールを、辰巳さんは食器の準備をしてくれている。颯は、たこ焼きの具材をこれでもかと入れてK君に怒られている。俺も何か手伝おうと思って立ち上がろうとすると、ぎゅっと袖を掴まれた。振り返ると、椿様だった。

「春様はお客様ですよ。座っていてください」

「いやあ、でも申し訳ないですよ。何か手伝うことありますか?」

 椿様に袖を掴まれたまま、K君に尋ねる。

「せやなあ。あ!ソースとマヨネーズ取ってきて!マヨネーズは冷蔵庫で、ソースは冷蔵庫の横の細い棚みたいなとこに入ってるから」

「了解です」

 俺がキッチンへ取りに行こうとすると、なぜか後ろから椿様がついてくる。気にはなるけれど気にせず、冷蔵庫からマヨネーズを取り出す。次にソースを取ろうと思って冷蔵庫の横を見ると、横幅十五センチぐらいの細長い棚が三つ並んでいた。

「どこだ、ソース……」

 勝手に全部開けていいものかと思案していると、俺の背後から白い手が、ぬうっと伸びてきた。

「ここですよ」

「うわあっ!びっくりした!椿様か……」

 後ろから着いてきているのは知っていたけど、もうこんなすぐ後ろにいたとは。本当にこの人は動く時の音がない。副業で忍者でもしているんじゃないか……。

 ビビりまくった俺を特に気にする様子もなく、細くて白い手で棚からソースを取りだす。ついでに俺の持っていたマヨネーズもそっと手に取り、「お先にどうぞ」と手で促す。なんだか高貴な雰囲気の執事みたいだな、などと思いつつ俺はリビングへ戻った。

 ちょうどK君がたこ焼きを上手にひっくり返していて、綺麗な丸になってきているところだった。

「この列だけチーズ入れてみてんけど、良かったら食べてみて」

 K君がたこ焼きをひっくり返すための棒で指し示した列だけ、少し他と違う焼き目が付いていた。チーズがこんがりと焦げているようだ。

「うわあ、チーズのいい匂いですね。というか、すごく綺麗な丸ですね。俺も何回か作ったことあるんですけど、半円みたいになっちゃって綺麗に作れたことがないんですよね」

 K君が作るたこ焼きは、お店で売られているもののように完璧な球体で、焦げているものも一つもなかった。

「多分それひっくり返すの遅いねんで。まだちょっと生地しゃぶしゃぶとちゃうかなあ、ぐらいでひっくり返すねん。したらええ感じに丸なるで」

 なんだろう。もう大阪観光に来たような気持ちになってきたぞ。

「こっちもう焼けてるわ。ほら、食べてみい」

 たこ焼き器の火力が列によってばらつきがあるらしく、先に焼けたたこ焼きをK君がお皿に盛ってくれる。そして、工場のライン作業のような流れで、椿様がすかさずマヨネーズとソースをかけてくれる。ここまで至れり尽くせりだとなんだかソワソワしてしまう。

「ではお先にいただきます……。ん!美味しい!美味しいです!」

 こんがりと焦げたチーズの風味が口いっぱいに広がる。焼きたてなので外がカリカリしていて、たまに食べるべちょっとした冷凍のたこ焼きとは大違いだ。一つだけ言わせてもらうならば、椿様がかけてくれたマヨネーズの量がやたら多いことぐらいだろうか。

「なんぼでも焼くからなんぼでも食うてや」

 K君のカラッとした笑顔が眩しい。それとは対照的に、なんとなくしっとりとした顔で椿様が俺を見ている。

「椿様も食べてください。これもう焼けてそうですよ、ほら」

 他の皆はそれぞれ自分で焼けたのを取って食べているのに、椿様だけ俺の方ばっかり見て箸が全く動いていない。

「ああ、これは失礼いたしました。春様が幸せそうなお顔をしてらっしゃったので、つい眺めてしまいました」

 俺を眺めていて楽しいのだろうか。椿様、やっぱり不思議だ。

「まあ俺はいいですけど……。椿様も食べてください。チーズたこ焼きすごく美味しいですよ」

 俺は椿様のお皿にたこ焼きをどんどん盛っていく。

「あの、すみません。申し訳ないのですが、もうこれで十分でございます。わたくし少食なので……」

 椿様が眉を八の字にして、心底申し訳なさそうにペコペコと頭を下げる。し、しまった。椿様めちゃくちゃ少食説は本当だったんだ。いつだったか、コメント動画か何かでユースケさんがかなりの大食いだという話をしていたことがあった。その時に、「椿はめちゃくちゃ少食だよね」と海君に言われていたのを思い出した。

「じゃあ私がいただこうかな」

 盛りすぎたたこ焼きを、辰巳さんが自分のお皿へ丁寧に移していく。辰巳さんはギターを弾いている時もそうだけど、所作が細やかで美しい。顔立ちも端正で、バンド結成当時は女形もやっていたほどだ。

 俺が辰巳さんの横顔を見つめていると、その視線に気付いたのか、こちらをチラッと見て微笑んだ。……だめだ。やっぱり心臓がもたない。俺の周りにいる全員のビジュが良すぎて頭がおかしくなりそうだ。ソファの前の床に座って、酔った勢いで颯に武勇伝を語り続けている海君もなぜか絵になっていてかっこいいし、黙々とたこ焼きを食べ続けているユースケさんもそれはそれで渋くてかっこいい。自分が食べるのは後回しで、たこ焼きを焼き続けてくれているK君もかっこいい。そして、たこ焼きを二等分にしてゆっくりと冷ましながら食べている椿様はもう色々通り越して尊い。尊さの塊でしかない。

 助けてくれ、誰か。一度に大量に推したちを摂取したせいでぶっ倒れそうだ。俺は、もうどうにでもなれ精神で、結露のついたジョッキに注がれたキンキンのビールを一気にグイッと飲み干した。

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カラスの恩返し 阿久津 幻斎 @AKT_gensai

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