第5話 本番
「皆さん、こちらがわたくしの春様でございます。わざわざ楽屋へ来ていただきました」
わたくしの春様?何だかとてつもなく不思議な事を言っていた気がするけど、今はそれどころではない。俺の一番大好きなバンドのメンバー全員が俺に注目している。
「あ、あの!犬伏春と申します。椿様に呼んでいただいて、お邪魔しております……。すみません、本番前に」
メンバーの視線が一身に集まる中、最低限の自己紹介をした。
「春さんや!椿の春さんや!おもろ!」
一瞬の沈黙の後、一番最初に口を開いたのはドラムのK君だった。
「椿から聞いとったから初対面って感じせえへんわあ。別に今何もしてへんしこっちおいでーや」
そうそう、これこれ。K君は大阪出身だからコッテコテの関西弁を話すんだ。当たり前だけど画面で見ていた通りだ。
「っす、ベースのユースケです」
のっそりとソファから身を起こしてきたのはユースケさんだ。続いて、「海です、よろしく!」「初めまして。上手ギターの辰己です。よろしくお願いします」とギター組の自己紹介が続いた。
「こちらへどうぞ」
椿様に促されるがままに楽屋の奥へと進んでいく。
「おかけください。そう緊張なさらずに、ゆっくりしていってくださいね」
「し、失礼します」
緊張しすぎて関節がガチガチだ。俺が座った瞬間、K君がすかさず隣を確保してくる。
「なあ、春さんってさ、椿の何なん?椿に聞いても教えてくれへんねん」
初対面とは思えない距離の詰めかたに少々戸惑ったが、フレンドリーな方が高圧的な態度よりはよっぽどましだ。
「何と言われましても……。お、お友達?」
「絶対友達ちゃうやん!絶対付き合ってるやん!なあー、教えてえやあ」
一体椿様から何を吹き込まれたんだ?会う人会う人全て俺と椿様が恋人同士だと思っている。
「いや本当に違うんです……」
「K君、あんまりそういうことを他人がグイグイ聞くのはやめた方がいいよ。失礼だ」
辰己さんから思わぬ助け舟が出される。
「ええー、まあええけど。じゃあまた今度教えてな」
K君はぴょん、とソファから飛び降りると、さっきまで食べていたであろうお弁当に向かって一直線に駆けていった。
「大変失礼致しました。K君、いつもこんな調子なんです」
「いやいや、なんなら生でK君の関西弁が聞けて嬉しいっていうか」
俺が慌てて否定すると、椿様の顔にこれまた美しい柔和な笑みが浮かんだ。
「春様は本当にお優しいですね」
優しいのはあなたです。神ですか。
「もうそろそろ本番ですのでメンバーの皆さんステージ裏にお願いしまーす」
他のメンバーとも他愛のないやり取りをしているうちに、スタッフが楽屋にメンバーを呼びに来た。別に俺がステージに上がる訳でもないのに意味もなく緊張してきた。
「では春様も、わたくしどもと一緒に参りましょうか」
「はい。なんだかこっちまで緊張してきちゃいました」
俺の言葉を聞いた椿様が「ははっ」と吹き出す。何だ今の顔は?推すしかないだろうが!
「春様はお客様です。どうぞリラックスしてお楽しみくださいね。わたくしはここからステージ裏に向かいますので、春様は颯と一緒に関係者席で開演までお待ちください」
黒いロングコートを翻して椿様がメンバーと共にステージ裏へと消えていく。その背中は紛れもない一流アーティストの雰囲気を纏っていた。
「じゃあ春さん、こっちっす」
颯の先導により、ステージから一番近い関係者席まで辿り着いた。カメラマンが沢山スタンバイしていて、後ろにはおびただしい数のファンたちが今か今かとメンバーの登場を心待ちにしている。いよいよライブが始まる感が出てきた。
「春さん、NEROの曲で何が一番好きっすか?」
「そうだなあ……。もちろん全曲大好きだけど、一番はKILLING AND COMAですかね。イントロのドロップAまで下げたギターのリフが熱いですよね。しかもサビの盛り上がりがすごいじゃないですか。椿様、音域が化け物なんですよね。あとラスサビの前のブレイクがかっこよすぎますね。ツーバスの連打も最高ですし……」
「春さんってまじでガチファンなんすね!最近椿様の顔ファンがめちゃくちゃ多いんで、ちゃんと曲が好きって言ってくれるのが、俺嬉しいっす」
確かに顔ファンは多いだろうな。だってあんなの、一目見たら老若男女問わず誰だってファンになる。
「でも、例え顔ファンから入ったとしても、ライブを見れば曲も好きになってもらえますよ、絶対に。だって全曲めちゃくちゃかっこいいですから」
柄にもなく熱く語ってしまって若干恥ずかしい。
「確かにそうかもしれないっすね。NEROは曲を聞かせるバンドっすからね!」
「そう!NERO最高!」
「最高っすよね!」
お互いNEROトークが盛り上がりすぎておかしなテンションになってきた。
しばらくNEROの好きなところトークで盛り上がっていると、パン、と会場の照明が落とされた。それとほぼ同時に客席で黄色い声が飛び交う。そろそろだ。
客席の声がやまぬまま、SEが流れ始める。曲名は分からないけれど聞いたことのあるクラシックの曲をアレンジしたSEで、NEROのライブではお馴染みの曲となっている。重低音が鼓膜と腹に響く。今まで感じたことの無い高揚感を感じる。SEが止まった。眩しいライティングと共に一曲目のイントロのギターが流れ始める。
「嘘?!KILLING AND COMAだ!」
「春さん!来たっすねこれ!」
「はい!来たっすね!」
俺の一番好きな曲が一発目で流れた!最高だ。もう明日死んでも後悔はない。
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