第2話 思わぬ来客

 ──数週間後。

「ん?何だこれ?な、何だこれ?」

 俺は自分が経営している全く人気のないネットショップの売上を見てフリーズしていた。多い時でも半年で一万円行くか行かないかぐらいの売上しかなかったのに、何だこれは。

「い、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅう……さ、三十万?!だっ、えっ、何で!誰?!」

 三十万円。売上金の欄に確かにそう書いてある。──いや、おかしい。これはきっと何かのバグだ。間違いない。サイトがバグっているんだ。そう思いつつも、本当に口座に振り込まれているのか確認したくなった俺は、通帳とカードをカバンにしまって大急ぎで玄関に向かった。

『ピンポーン』

「うわあっ!」

 何が何だか分からない中、急にインターホンが鳴ったせいで驚いて情けない声が出た。インターホンを鳴らした主に聞かれたかもしれないと思うと、カーッと顔が熱くなった。

 インターホンのモニターを確認すると、どことなく見覚えのある気がしなくもない、見知らぬ男が立っていた。黒い髪は肩につくぐらい長く、全身真っ黒の服装だった。いかにも、いかにも怪しい。詐欺か?そうだとしたら引っかかったふりをして警察を呼んでやろうか、と思い、インターホンのモニターの通話ボタンを押した。

「はい、どちら様でしょうか」

 俺は恐る恐る問いかけた。すると男はハッと顔を上げて答えた。

『あ、どうも。急にすみません。春様でお間違いないでしょうか?』

 どうして俺の下の名前を知ってるんだ?苗字なら表札に書いてあるが、下の名前は書いていない。本当に、誰なんだ、こいつ。

犬伏春いぬぶしはる様、ですよね?わたくし、カラスでございます。覚えていらっしゃいますか?』

 は?カラス?何を言って──。って、いや、カラス?カラスなら、最近、見た、ってまさか。

『道端で死んでいたカラスでございます。お花まで添えていただいてありがとうございました。お礼に伺ったのですが』

 おいおい、嘘だろ。いや、でも、間違いないよな。カラス、カラスっていったら最近散歩の途中で死んだカラスを見かけたぐらいだし、花を供えたのは本当だし、な、何なんだ一体?!

『いらっしゃらないようでしたら、また日を改めて──』

「ちょ、ちょっと待った!」

 ひょろりとした体型にしては幅の広い男の肩がビクッと震え、見開かれた黒々とした瞳と目が合う。俺は咄嗟に玄関のドアを開けてしまっていた。

「あ、あの、なん、いや、誰ですか」

 走ってもいないのに息切れがする。

「わたくし、黒羽秋人くろばあきとと申します。この間のカラスでございます。お礼に──」

「そういうことじゃなくて!何かのイタズラですか?ドッキリとか?」

 必死にカメラを探してみる。が、どこにもない。それどころか黒羽と名乗った男の顔がどんどん曇ってゆく。

「あのお、これ、どうですかね。似合ってますかね?」

「え、何が……ってあれ?それ、俺のショップの服」

 黒羽は全身真っ黒だったが、よく見てみるとそれは俺がデザインした服だった。しかも鞄などの小物まで全部。

「はい、そうでございます。犬伏様のネットショップ、RAVENの商品でございます。大変好みでしたので、一気にまとめ買いしてしまいました」

 もしかして売上金が三十万円になっていた原因はこいつか?

「あの、全部でだいたいいくらぐらいに……?」

 どうしても確かめたくて不躾な質問をしてしまった。

「ええと、確か三十万円ぐらいでしたでしょうか?大変素晴らしいお買い物でした」

 やっぱりこいつだ!間違いない。

 ──いやでも、しかし、だ。三十万円の件は原因が分かったとはいえ、何で俺の名前を知っているのか、何でそもそも住所がバレているのか、解決しない謎がまだある。

「あの、沢山買っていただいてありがとうございました。でも何で俺の家と名前を知ってるんですか?あと、あの時死んでたカラスですって何ですか。そこが一番謎なんですけど」

 怪訝な視線を投げつけてやると、黒羽は何かを思い出したような顔をして俺に説明を始めた。

「わたくしは黒羽秋人という名前で、この度人間になりました。あなたにお礼がしたくてここまでやって来たのですが、ご迷惑だったでしょうか?」

「ん?いや、違う違う。それはもう聞いた。もっと前から説明していただけますかね。この度人間になりましたとかじゃなくて……もう、何なんだよどういうことだよ」

 俺は頭を抱えた。こいつの言うこと言うこと全て訳が分からない。

「ああ、そういうことですか。ではもっと前からご説明いたしますね。わたくしはカラスでした。あなたが見つけたあの死んだカラスです。あなたが優しくしてくださったので、お礼をするために人間になりました。人間になるには天の声に相談する必要がありまして、理由さえはっきりしていれば誰でも人間になることが出来ます。そして、天の声から名前を貰い、あなたを探してここまで来たわけです、はい」

 こいつの言うことが真実ならば、まあ、言いたいことは分かる。カラスが死んで、そのカラスに俺が優しくしたから、お礼のために人間になって俺のところにやって来たと。うん。分かる。分かるけど。

「そんな御伽噺みたいなことが……」

「あるんですねえ。わたくしも驚きでございます。そしてどうやらわたくしは所謂バンドマン?だそうで、この世界に来た時にはもうステージに立っておりました。不思議ですね」

 不思議ですね、じゃねえよ!思わず口に出しそうになったがぐっと堪えた。

「そんな話信じろって言われても無理ですよ。あ、じゃあじゃあ、俺がそのカラスに出会った時、どんな服着てたか当てれます?当てれたら信じなくもないですけどね」

 分かる訳がない。これでこいつの話が全て嘘だと──。

「そうですね、確か、黒いキャップに黒いシャカシャカした上着、黒いシャカシャカしたズボンに黒いスニーカー、あ!赤いマフラーを巻いていましたよね。わたくし、きちんと覚えていますよ。まるでカラスみたいだ、なんて思っていましたから」

 俺は言葉を失った。数週間経っていたから俺自身、自分が何を着ていたかなんて正直あまりはっきり覚えていなかったのだけれど、確かにあの日はこの男の言う通りの服で散歩に出かけた。言われてはっきり思い出した。

「少しは信じていただけましたか?お礼にと思って、まずは犬伏様のネットショップで沢山お買い物をしてみました」

 もしかすると本当なのかもしれない。余りにも馬鹿げているけど、これが本当でなければ今のこの状況に説明がつかない。人間には知り得ない、この世界の仕組みがあるのかもしれない。

「本気で信じてませんけど、何となく信じれそうな?気がしてきました……」

「良かったです。信じていただけて」

 信じるとは言ってないのだが……。黒羽の柔和な笑みを見ているとあまり強く否定する気にもなれなかった。というか、やっぱりどこかで見たことのある顔なんだよなあ。誰だっけ。思い出せそうで思い出せない。

「あの、実は今日の夜、わたくしのバンドのライブがございます。犬伏様がよろしければなのですが、見に来られませんか?」

「え?ライブか……。因みに音楽ジャンルはどんな感じです?俺V系とかメタルとかしか聴かないんですけど」

「もちろん犬伏様の大好きなヴィジュアル系バンドでございます。なぜだか分かりませんが、すごい偶然ですよね。しかも不思議なことに、この世で目覚めた時には、バンドマンとしての記憶も、カラスとしての記憶も両方あったんですよ」

 ということは、もともとこの世にいた人間の記憶に死んだカラスの記憶が混じった、ということなのだろうか。全く新しい生命体として生まれてくるならば最初は赤子でなければおかしいだろうし、多分そういう事なのだろう。そういう事にしておこう。名前が黒羽とかいうやたらカラスっぽいのも偶然なのだろう。見た目がすごくカラスっぽいのも偶然なのだろう。もうここは無理やり納得するしかない。

「ライブ、行けたら行きます。バンド名とライブ会場教えてもらってもいいですか?」

 俺が来るかもしれないと知った途端、子犬のように目をキラキラ輝かせて俺との距離を詰めてくる。

「バンド名は、NEROといいます。わたくしはボーカルを務めておりまして──」

「はっ?!ええ!嘘っ、えっ、やっ、ええ!無理無理無理無理」

 嘘だろ。おいおいおい、ちょっと待て、待ってくれ!よく見たら!NEROの!ボーカルの!椿つばき様じゃないか!どこかで見たことがあるとかそういう次元じゃない!俺の最推しじゃないか!何で今まで気が付かなかったんだ?!

「どうされましたか?大丈夫ですか?」

 椿様が、すっぴんの椿様が、俺に向かって手を差し伸べてくる。う、う、う、無理だ。触れない。神聖すぎて触れない!

「ごごごごめんなさい!めちゃくちゃファンです!すみません!めぇちゃくちゃファンです……!」

 俺は腰が抜けてその場に座り込んだ。しかも同じ事を二回も言ってしまった。気持ち悪いったらありゃしない。

「おお、そうでしたか。犬伏様にファンと言っていただけるなんて光栄です。ありがとうございます」

 うわあ……いつも画面越しに見ていた笑顔だあ……すっぴんだけど椿様だあ……声も椿様だあ……。

「あの、本当に大丈夫ですか?わたくし何かいけないことをしましたでしょうか?」

「はっ!いえいえいえ!ちょっと取り乱しました。とんでもなく、とんでもない最推しだったもので、とんでもない感じに喜んでしまいました」

 もう自分が何を言っているのか分からない。これが現実かも分からない。でも、現実だろうが夢であろうが、目の前に椿様がいる。もう何でもいい。最高だ。というか本名、黒羽秋人っていうんだな。本名もお洒落だな。

「では、今夜、大橋BLACK.Bにてお待ちしておりますね。ステージから最も近い関係者席でご観覧いただきますので、チケットなどは必要ありません。既にスタッフに伝えておりますので、スタッフオンリーの扉からお入りくださいね」

「はい、ありがとうございます。ありがとうございます」

 ぼんやりした意識でお礼を言った。また、二回同じことを言った気がするけどどうでもいいや。

「ではわたくしはこれで。今夜楽しみにしておりますね」

 俺がデザインした服で全身を固めた俺の最推しが遠ざかっていく。その背中が見えなくなるまで、ただぼーっと見送った。

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