カラスの恩返し

阿久津 幻斎

第1話 気になるあいつ

 ──ピピピピ……ピピピピ……。

 黙れ、黙れ黙れ。俺はまだ寝る。起きるもんか。俺は自分で合わせたアラームの音に対して、心の中でぶつぶつと文句を吐いた。そして迷いなくアラームを止める。別に今起きなくったってあと三つはアラームをセットしてあるし、そもそも一日中寝ていてもなんの問題もないのだけれど。じゃあ何でアラームをセットしているかというと、人間としての最低限の尊厳を守るため、とでも言っておこうか。何の制限もなしに好きなだけ寝ていたらそれこそ廃人だ。ニートである俺でも、まだ寝ていたいけどそろそろ起きなければならないな、ぐらいの事は感じていたい。

 そういえばここ最近で一気に冬がやってきた気がする。まだ十一月が始まったばかりだが、気温の落差が激しすぎて体が追いついていかない。

 もう一生布団から出たくない。布団の中で飯を食って、布団の中でゲームをして、布団の中で風呂に入って、布団の中で眠りたい。魔法、魔法さえあればな。布団という空間に全てを再現して永遠とそこで暮らすのにな。ああ、現実はあまりにも残酷だ。

 寝たり起きたりを繰り返しているうちに、最後のアラームが鳴った。物凄く嫌だがもう起きるしかない。腹も減った。

 ぽかぽかの掛け布団から幼虫のように体をくねらせて、近くのソファに置いてあった靴下に手を伸ばす。掛け布団と体の接地面をできるだけ減らさぬようにして、気持ち悪い体勢で靴下を履く。そして掛け布団の中で上下の服をパジャマからジャージ着替えると、意を決して布団から飛び出る。寒い。ベッド上に置いてある温度計には十五度と表示されている。早く一階に降りて暖房をつけよう。まだ温かい布団に別れを告げて、俺は一階に降りた。

 コンロの上に昨日の夜食べた味噌汁が乗っかったままだったので、そのまま火をつける。冷蔵庫に入れてあった冷ご飯を電子レンジに放り込み、熱々になったご飯をお気に入りのペンギン柄のお茶碗によそう。味噌汁用のお椀を出すのが面倒だったので、鍋敷きの上に味噌汁が入った鍋をそのまま置いた。朝は日本食に限る。コテコテの洋食を朝から食べると決まって胃がムカムカする。朝と言っても、もう今は昼前だけど。

 だらだらと飯を食っていると、いつも見ている番組が始まる時間になったのでテレビをつける。毎日違うゲストを呼んで、そのゲストと一緒にわいわいとバラエティをやる、といういかにもお昼の番組らしい番組だ。別にこの番組が大好きなわけではないけど、たまたま初回放送を見たのがきっかけで、それからなぜか毎日見るようにしている。今日のゲストは、昭和時代に活躍した俳優二人だった。全く知らない二人だったので興味が湧かず、ただぼーっと画面を眺めていたらいつの間にか次の番組が始まっていた。空っぽになった鍋に、乾燥したわかめが張り付いている。いかんいかん、と思い慌てて鍋を水に浸けた。

 一通り洗い物やら洗濯やらを済ませた頃には、既に二時を回っていた。もうすることもないし、俺はいつも通り散歩に行くことにした。今日は特に寒いので、今よりも暖かい服装で行こうと思ってもう一度着替えると、意図せず全身真っ黒になってしまった。まあこれはこれでカラスみたいでかっこいいけど。玄関で黒いキャップを被って黒いスニーカーを履いた。ちょっとした不審者に見えなくもないので、差し色として赤いマフラーを巻く。歩いている途中で暑くなりそうだなあと思いながら外に出る。空は曇っていて、風は冷たい。特に行先は決めずに歩き出す。途中で何となく、通っていた中学校の前を歩きたくなったので、かなり遠いけどそっち方面に向かって進路を変えた。

 ずっと歩いていると、道の先の方に黒い塊が落ちていることに気がついた。何だろうか。遠くてよく分からないが、少しふわふわしているような。近くまで歩いていくとだんだんとその正体が見えてきた。黒い塊が俺の足元に落ちている。──カラスだ。カラスの死体だ。丸くなって死んでいる。死んでどれだけ経っているのか分からないが、数匹のアリが既に集まっている。俺はポケットからビニール袋を取り出して手にはめると、カラスを人目につかない道の端っこに移動させた。ついでにその辺に生えてあった花が咲いた雑草を引っこ抜いてカラスの横に供えた。

「よく頑張ったな。もう大丈夫だぞ。おやすみ」

 周りに誰も人がいなかったので、小さく声に出してカラスに伝えた。当たり前だけど野生動物っていうのは誰にも看取られずに死んでいくんだな、と思った。そしてそれが悲しいことだと感じるのは人間だけなんだろうな、とも思った。

 なんだか一人しんみりしてしまったので、散歩は早々に切り上げて家に戻ってきた。早歩きで帰ってきたので体が熱い。脱ぎ捨てるようにして上着とマフラーを取っ払うと、冷蔵庫から冷えた水のペットボトルを取り出して一気に飲み干す。頭がキーンとした。それと同時に、なぜかさっきのカラスのことを思い出した。別に深い意味はないのだけれど、不思議とあのカラスのことが気になって仕方なかった。

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