第2話 よるのうさぎ
次の日から彼は友達を作る事に専念した。母親にも相談を持ち掛けて、一人であくせく働いている母親の仕事をどうにか調整してもらってナイトスクールに行く回数も少しばかりではあるが自らの意思で増やしていった。彼の唯一の血縁である母親には酷く心配されたが、自宅に存在しているよるのうさぎという後ろ盾を持った少年は臍を固めていた。
初めこそ御伽話のようには上手くはいかず、いじめが横行していた。その乱暴さからクラスの中心になってしまっている主犯格のSを筆頭に、それに付き従う考えのない者がSを崇めて持ち上げ、Sの周囲に集まって彼をいじめていた。他のクラスメイトは自分が標的にならない事を都合良く思う者がほとんど、可哀想にと同情する者が数名、助けたいと思いつつもその脅威に立ち向かえずにいる者が数名、という構成だった。
殴る蹴るは当たり前で給食の牛乳を掛けられたり、物が無くなる事も多々、ある日は彼の席ごと無い事もあった。彼は特に目立った抵抗をする事はせず、表面上は受け流すように日々対応した。来る日も来る日も飽きもせずいじめてくるSに不思議な関心を覚える事さえあった。教師達はそれを子供の遊びだと高を括ってまともに取り合おうとはしなかった。
心身共に限界に近い状態であったが、彼は母親に心配をかけぬようこの事を一切黙っていた。唯一話せる相手はケイだけでナイトスクールから帰るとケイに泣きついて話した。その話によるのうさぎもかなりの憤りを感じているように見えた。何度も何度も『ここで諦めたって良い、チャンスはいくらでもあるのだから』と止められはしたが、彼の決意はいじめの主犯格であるSより、その周りの無能達より、よるのうさぎの抑止よりも固く強くなっていた。
自分自身の幸せが死んだ兄にとっての幸せでもある事を知った時から彼は心から尊敬する兄の事を思い、ナイトスクールに行く前どうしようもなくすくむ足元に火を放って走り抜けた。
それから半年が経ち、火を必要としなくてもなんとか自ら走れるようになっていた彼に突然友達ができた。
その友達とは、溢れんばかりの正義感はあれどそれに伴う勇気をどうにも持ち合わせておらず、内に秘めた正義感を不完全燃焼のように燻らせてはその火を燃え上がらせるチャンスやタイミング、自身の勇気の発芽を心待ちにしていた少年だった。その少年は今まで良くも悪くも閉じていた口を開いた。快い方向に。
自宅では一人じゃなくなっていた彼はその瞬間からナイトスクールにおいてもまた、一人ではなくなっていた。彼は人間味こそ変えはしなかったが、自身が起こした行動によって周りの景色が変わったのだ。よるのうさぎもそれを自分の事のように喜んだ。
外の世界は濁りの無い白い雪に覆われて軽い雪は風に吹かれて彼の部屋の窓を叩いた。
「調子はどうだい? ルーカス」よるのうさぎはいつもの調子で彼に聞いた。
「友達が一人できてナイトスクールに行くのも前みたいに億劫じゃなくなったよ! ケイのおかげだ」彼の以前の陰鬱な印象からは少し変わっていた。
「まぁ、それもあると思うが――誇らしげに言う――君の起こした行動が君の未来を確実に変えた。これからは君だけじゃない、君の周りの未来も巻き込んで変化していくだろう。君の兄も喜んでいるよ」少し笑ったように見えた。
「兄ちゃんが喜んでいるかわかるの?」
「わかるとも」
「まるで兄ちゃんが居るみたいだ」一瞬、明かりのついていない部屋の中はしんとして、外から冷たい風が吹き込んでいるように思えた。月明かりが何かの影で揺らぐ。
「ルーカス、大事な話をしよう。……出会いというものはまた必然的に別れも一緒に連れてくるものだ。だが、そんな分かりきった出来事を悲しむ事はない。初めは君が幸せになる手伝いをしに来たつもりだった。ルーカスと会話したり、様々な出来事を共有したりしたこの経験は私にとっても非常に素晴らしいものとなった。ルーカスは既に周りの者をも幸せに変化させている。それは誇るべき事だ」
「僕も前より自信が付いた気がするよ! だけどケイ、ケイはどこにも行かないでしょ?」
「いや、いずれは別れが来るだろう。私の体も不自由な事が多い、使命を果たしたら別れが来る」
「使命って?」不安に駆られて聞く。
「それは言えない。だが何にでも終わりはある、この宇宙だってきっと永久ではないだろう。終わりが来ると分かっているから頑張るんだ、だから素晴らしく愛おしい。無限に時間がある者が何かを大切になんて出来ない」何かを悟ったようによるのうさぎは言う。
「だけど別れは悲しいものでしょ?」眉をひそめた。
「もちろん、その通り。誰にだって別れは悲しいものだよ。でもね、ルーカス、二人が存在して言葉を、心を交わしたその事実が大事なんだ。……まぁ、それにしてもまだ別れの時じゃない。有限の時間を楽しもう、ルーカス」
その日はよるのうさぎを自分の布団の中に入れてあの日のように泣きながら眠った。彼は一人ではなかった。
ある日のナイトスクールの帰り道、雪は止んで暗闇に対抗していた濁りの無い白が別れを告げ、少しばかり厚着をせずとも外に出られるようになった頃、彼はケイとの別れが来るのを惜しんでいた。また、それ以上に別れの時が来る前に自分が幸せである事をケイに示したかった。
元々繊細で心の弱かった彼にとってケイは心の支えであり、生前の兄のような存在にまで昇華されていた為、その存在を兄と重ねて恩返しのようなものがしたかった。
彼はナイトスクールの唯一の友人の力も借りて、週に通う日数を徐々に増やしていった。母親の仕事も収入が増え、少し安定してきた頃だった。母親は日に日に自信が付いた様子の息子に驚きと心配が入り混じりながらもなんとか時間を割いて毎日ナイトスクールに送るよう努めていた。
よるのうさぎの存在と母親の努力と友人の助力、そして彼の内に秘められていた勇気や信念によって彼は無事、卒業の日を迎える事が出来た。もうナイトスクールでの友達は正義感溢れる友人だけでなく、他にも数名友達と呼べる者が彼には居た。
仕事の休みを取って卒業式に来ていた母親も全身全霊で彼を抱きしめ、泣きながら彼の卒業を喜んだ。彼にとって全てが順風満帆とはいかなかったものの、よるのうさぎが現れる前とその後を比べて彼は満足した表情で、憤りや悲しみや彼の努力が詰まったナイトスクールを卒業した。
卒業式から帰って自分の部屋に戻った時、彼の朝から嫌な予感がしていたのは的中して、よるのうさぎはいつもと変わらず部屋の角で月明かりに照らされて、無口なうさぎに戻っていた。
――あぁ、ケイ、別れの時かい? せめて別れの挨拶ぐらいしてよ。君が言っていた使命は果たされたんだね。ケイに報告したかったよ、今日は卒業の日だったんだ。ケイが居なくなった穴はまだ僕には埋められそうにないけど、僕、幸せだよ。……直接話したかったな。でもケイにはお見通しか、君は僕のことならなんでも知っていたから。
その日の夜はケイの抜け殻を抱きしめながら眠った。部屋の中で彼は確かに一人だったが不安は無かった。
夢に出てきたケイは泣いて喜んでいた。「どうやら夜分症は治ったみたいだね」と言われたが、彼に治った実感は無かった為に曖昧な返事をしてしまった。その後も二人は夢の中でいつものように沢山話をして、笑い合っては思い出を語った。
次に起きた時には夜が明けて眩い光が世界を包んでいた。
よるのうさぎ ちーそに @Ryu111127
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます