第35話 トタヘ行こう

 窓から見える空はどこまでも青く澄み渡っていた。

 うまの月、世の中は夏真っ盛りだ。

 生徒の話題は間近に迫った夏休みの事が多くなり、浮かれた空気が漂っている。

 だが、わたしの心の中は曇っていた。

 はああああ……


「マノン、ため息つくのやめてよ。ご飯が美味しく食べられないじゃない。また一番取れたのにどうしたっていうの?」


 ジェシカが隣でランチを食べながら顔を顰めた。

 昼休みの学食はいつも賑やかだ。

 あの人達は夏休みが楽しみなんだろうな。


「夏休みが来るなぁって……」


「トタに行く件?何であんなかっこいい人の家に行くのが嫌なのよ。」


 小平太さんの背が高くてがっしりした所が怖いとかね、ジェシカに言っても理解されないかもな。

 わたしも大きくなればいいのかな?

 少しは怖くなくなる?

 幼く見られるのもなんとかしたいしな。


「背ってどうやったら大きくなるのかなぁ。」


「よく食べて、よく寝る、じゃない?……食べてはいるわね。」

 

 ジェシカがわたしの前の空になった食器を見て言う。

 読書と食事はわたしの生きる意味だからね。

 カロリー気にせず残さずしっかり食べますとも。

 ジェシカの身長は普通、クローディア先輩は高い。二人より食べているのに何故伸びないんだろう。


「なんだ、人並みにそんなことで悩むんだな。」


 ロドリゴがトレーを持って立っていた、ルカ君もいる。


「安心しろ、多少背が伸びたくらいで君の平凡な容姿は変わらない。」


 いつもの挨拶がわりの言葉だと思ってはいても気にしている事を言われると、さすがにちょっとムッとする。


「別にロドリゴによく思われたい訳じゃないから。というか、ロドリゴも大きい方じゃないよね。」


 ロドリゴもルカ君も男子にしては小さめだ。


「僕はこれから伸びるんだ!稽古がするあるから失礼する。」


 なんか覚えのあるセリフだな。

 というか、稽古?


「稽古って?」


「新しい剣術の先生が希望者に稽古をつけてくれているんだ。ミスターデューは引退なさるらしいからな。」


 すたすたと出て行く二人、わたしはジェシカに訊いた。


「引退って?」


「ああ、領主様の御親戚の前で何かヘマをしたらしいわ。実質クビね。」


「そうなんだ。」


 クライヴ先生に訊いたらわかるかな?


「そういえばマノン、夏服が無くて困ってるって言ってなかった?旅行に何着てくの?」


「……どうしよう、考えてなかった。」


 わたしが持ってきた服は春物ばかり、後で買えばいいやって思っていたけど一度も服屋さんに行っていない。

 毎朝着るものに悩んでいる状況だ。


「安くてかわいい服屋さん、教えようか?」


「教えて!お願い!」


 放課後に剣術師範の交代について先生や先輩に訊いてみたんだけど『お年だからね』とはぐらかされた。

 何があったんだろう?


 トタ旅行について父さんに電話で話した。

 心配されるかと思ったら羨ましがられた。


「いいな~、トタでしか手に入らない薬草があるんだよね。ちょっと買ってきてくれないかな~。」


 父さんは薬草オタクだ。

 薬草に関わる仕事をしたいから父親とケンカして家を出たぐらいだもんね。

 だからわたしは祖父母に会ったことがない。

 母さんの両親とも疎遠になってるらしいし。


「薬草を仕入れに行くんじゃないから。」


「……だよね。楽しんでおいで。」


 父さんがわたしに薬師を継がせようとしなくて良かった。

 好きな事をするのが一番幸せって考え方だもんね、父さんは。

 お陰で先生や先輩ジェシカ達に会えた。


 午の月二十五日、出発の朝。

 ジェシカに教えてもらった店で買った服を着て出かけた。

 学都の東門でクライヴ先生とクローディア先輩と待ち合わせて乗り合い馬車に乗る。

 路銀はクライヴ先生の多すぎるボーナスから出る。

 シャーリーンさんが『あるお方からのお礼とお詫び』と言っていた。


「受け取っても受け取らなくてもあなた達の扱いは変わらないわ。表向きはクライヴさんの仕事が評価された事になってるんだから貰っとけば良いじゃないですか。大した額ではないんですし。」


 だそうで、潔癖な所のある先生は持っているのが嫌で使ってしまうことにしたらしい。


「おそらく五人分だろうからな。何か美味いものでも食べよう。」


 シャーリーンさんは夏休みの間は王都に戻らなくてはならないそうで、トタには別の人がついてくるらしい。


「あなた達の前には現れないから気にしないで。」


 そんな事を言われても見張られているのは少し気分が悪い。

 先生は人間より視力と聴力が優れているので誰がどこから見ているのか分かっているらしい。


「気にはなるが仕方ない。」


 とため息をついていた。


 馬車が向かうのは、アルギンス東端の街だ。

 そこからなんと汽車に乗る。

 アルギンスとトタの間には竜神山脈と呼ばれる南北に連なる山々があるが、中腹にある湖のほとりの町まで鉄道が通っている。

 避暑地として人気のある町で一応トタ帝国だけどアルギンスやザクトガードの富裕層が別荘を建てていて独特の景観になっている。

 今夜はそこで宿を取り、小平太さんのお家には明日着く予定だ。


 汽車を待つ間、駅に置いてあったパンフレットに目を通す。

 

 イズミの町

 古くはイズミの国と呼ばれていた。イズミは水の湧き出る場所という意味。

 竜神湖周辺は避暑地として人気。

 トタ、アルギンス、ザクトガードの様式が混じり合う町並みが美しい。

 

「竜神山脈に竜神湖。竜神に縁のある土地なんですね。」


「トタ帝国ができる前から竜を崇める一族が住んでいるんだ。東大陸系だが、かなり昔にこの島に渡ってきた人々だ。山脈の向こうの人達とは文化も少し違う。」


 あ、パンフレットにも同じことが書いてあったわ。


 竜神湖の水源には竜神が居ると信じられており、その昔竜神の加護によりあらゆる病気や怪我を癒やす姫君が居たと伝わっている。

 

 あらゆる怪我や病気か、本当にそんな人が居るなら母さんに会って欲しかった。

 まあ、ただのお伽噺だろうけどね。

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