第28話 初恋の人と初対面。

 

「っ」


 がくん、と、まるで魂が抜け落ちたかのように力が抜けて、身体が全く言うことを聞かなくなる。


 オレは立っているのも辛くなって、後ろに後退する。

 ユーリがこちらによってこようとするので、オレは叫んだ。これ以上こいつに触れられたら、オレはどうにかなっちまう。


 ずるり。


 すると、ブーツが地面を踏む感触がなくなる。


 景色がぐるりとかわり、落下感とともに、遠くなった地面が上に見える。


 ……ああ、オレ、足を滑らせて屋上から落ちたのか。


 直感がある。今のオレは、ただの女だ。

 気合が入ってる時ならともかく、このまま頭から落ちたら、確実に死んじまうだろうな。


 オレ、死ぬのか……。


(ま、別にいいか)


 人をいっぱい殴ってきたオレは、どうせ地獄に落ちるだろう。したら、地獄を仕切ってる悠人様に会えるに違いない。


 オレは目を閉じて、まぶたの裏に悠人様の顔を描こうとした。


 しかし、代わりに出てきたのはユーリの顔。


 ああ、オレには地獄も勿体無い。どうやらオレは、本気でユーリのことが好きになっちまったらしい。


「櫛田さん、大丈夫?」


 ……その上、ユーリの声まで聞こえてきちまった。


 目を開けると、ユーリの綺麗な顔が目の前にあった。

 走馬灯がこれなら、オレはもうそう言う女ってことだ。


 ……だったら、もう、我慢しなくてもいいか。


 オレはユーリの首に手を回して、最後の力を振り絞り、ユーリのムカツクくらい綺麗な顔に顔を近づける。


 そして、その艶やかな唇に、オレの唇を重ね合わせた。


 ……ああ、オレ、ほんと気持ち悪りぃ。幻覚のくせして、感触してやがる。


「……え、えーっと、なかなか大胆だね」


 このまま死ぬまでこうしていたかったが、力が入らなくなって顔を離すと、ユーリは、ポッと顔を赤くした。


 幻覚のくせして、妙にリアリティがある……ていうか、え、これ、もし現実だったらやばくねぇか!?


 とんがった耳を思いっきり引っ張ると、痛みを感じる。

 唇に残った感触も生々しいくらいに残っていて、これが幻覚ならやばい薬でもやってなきゃおかしいってレベルだ。


 てことは、お、オレ、本物のユーリにキスしちまったのか!?!?……い、いや、今は、そんなことどうだっていい!!


「何してんだ!! お前も一緒に死んじまうぞ!?」


「大丈夫大丈夫。ほら、下を見てみて」


「……あぁ!?」


 違和感はあった。


 屋上ったって、ただの校舎だ。とっくの前に、オレは地面に打ち付けられ、内臓をぶちまけているはずだ。


 オレは、恐る恐る下を見て、思わずあっと声をあげた。


 う、うい、てる……?


 いや、正確に言ったら、ゆっくり、ゆっくりと落ちていっている。


 ここで、渡部がしつこく言っていたことを思い出す。


 ユーリは妙な術を使うことができる。


 渡部の妄言だと思っていたし、正直ユーリのことで頭がいっぱいだったから、今の今まで忘れていた。


「諸事情で、飛行魔法を使い続ける余裕がちょっとなくてな。今からゆっくりプールに落ちるよ。冷たいと思うけど、我慢してな」


「……これ、悠人様の、伝説みたい」


 自殺しようと屋上から飛び降りた生徒を助けるため、自分も一緒になって飛び降りた悠人様。


 その人を抱えて校舎の壁を蹴り、プールまで飛んでいったことで、二人とも一命を取り留めた。

 ネットじゃあ作り話だって言われてたが、オレはその助けられた本人から話を聞いたんだ。


 ユーリはと言うと、ん? と小首を傾げてから、ああっと叫んだ。


「うわ、そういえばそんなことあったなぁ、なつかしい。今思えば、あの頃の俺はそれなりにいい奴だったなぁ」


「……んだよ。まるでお前が、悠人様みたいな言い分だな」


「ん? だから、そう言ってんだろ?」


「……嘘だ。嘘に決まってる」


 すると、ユーリが苦笑した。


「……まぁ、別にいいか。先にしてきたのは櫛田さんからだしな」


 すると、ユーリの顔がオレに近づいてくる。こいつ、オレにキスするつもりだと分かったが、避けるだけの力はないし……避けるつもりは、なかった。


「んっ」


 先ほどよりもぴたりと隙間なく、オレの唇とユーリの唇がくっつく。 

 ピリピリと身体中に電流が走り、お腹の辺りがキュンキュンしてどうしようもなくなったその時。


 ……そんなわけない。悠人様から浮気した罪悪感から、オレがそう思い込もうとしているだけだ。


 そう心の中で繰り返しても、オレの確信は、一切揺るがなかった。


 ユーリは、悠人様なんだ……。


 ぼちゃん。


 オレ達は一緒になってプールに落ちた。


 ブクブクと底から湧き上がってくる気泡の向こうで、ユーリ……ううん、悠人様と目が合う。


 六月のプールに浸かっているというのに、火照った身体は冷める気配すら見せない。


 一刻も早く水面に上がって話の続きがしたいのに、もう身体に力が入らない。すると、悠人様はオレを抱き抱えて、そのまま水面に上がる。


「はは、やっぱり決闘後のプールは気持ちいいな」


 そう言って濡れた髪の毛を上げると、あの時の悠人様と同じオールバックだ。

 顔まで似てきているように見えて、胸のドキドキが止まらない。


 オレは自分の胸に触れて、その肌の感触に驚き下を向く。


 顕になった胸。きつくきつく巻いたはずのサラシは、水の上をぷかぷか浮いている。


 ……いや、オレの胸なんか、もう何回も見られてる。今はそんなことより、重要なことがある。


 目の前のユーリが、悠人様であるという確信は、消えるどころかどんどん強まっていった。


「悠人、様。悠人様なんですか?」


 オレが問いかけると、悠人様は微笑をたずさえる。


「正確に言うと、俺の前世が柏木悠人ってことなんだがな……悪かったな、とっとと伝えるべきだった」


 めいいっぱい首を振ると、涙が溢れ出しそうになって、必死で堪える。泣いている場合なんかじゃない。


 一生悠人様に会えないと思っていたし、妄想の中の何を話すかなんて考えていない。

 でも、それでも、悠人様と話したくて話したくて、仕方がなかった。


「お、オレ…私、悠人様の、すごくファンで」


「ああ、みたいだね。俺としては、若気のいたり満載の時期だったから、是非とも忘れて欲しいんだけど」


「わっ、忘れられるわけないです! 私、昔は虐められてたんですけど、悠人様に憧れて、悠人様みたいな生き方をするようになってから、虐められなくなりました! 悠人様には及ばないまでもすごく強くなれたんです! 全部、全部悠人様のおかげです!!」


「……そっか。あの頃の俺が誰かのためになってたって言うなら、俺も救われるよ。ありがとうね」


「っっっ!!!」


 身に余りすぎる光栄に、ただでさえ熱い身体に火がついた。想いは溢れて止まらない。


「格好も、バイクも、全部、悠人様の真似をしてて、豊高を共学にしたのも、悠人様が昔望まれてたって聞いたので、頑張ったんです!!! 悠人様が生前望まれたことは、全部叶えたくって……だって、悠人様には、もう、会えないから、それくらいしか、想いを発散できなくって……」


 ……もう、我慢できない!


「悠人さまぁああああああ!!! 」


 私は衝動を抑えきれずに、悠人様に抱きついたのだった。

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