第9話 初めての女装は大好評。


「ふんふんふんふ〜ん」


 俺は鼻歌まじりにスカートに足を通すと、一刻も早く誰か見てもらいたいという衝動から、いまだにデバフの効いている重い身体で、部屋を飛び出し階段を駆け下りた。


 居間に入ると、ちょうど目玉焼きを皿に乗せているところだった響子が、目をまん丸にして俺を見た。


「どうだ、似合ってるか?」


 俺は、セーラー服姿でくるりと回ってみせる。

 すると、響子はアツアツだろうフライパンを放り出して拍手してくれた。


「うん、お兄ちゃんめちゃくちゃ可愛い。最高。あたしが男子高校生だったらお兄ちゃんで猿みたいにシコってるよ!」


「ふふ、ありがとう。昨日響子に借りたパソコンで、有名ようつびゃーのメイク動画を見まくって研究しまくったんだ!」

 

 器用な方ではないので濃いめのメイクは諦め、初心者向けの動画を漁ったのが功を奏した。

 俺のように元から顔がいいと、それでも十分美少女になれるのだ。


 ちなみに折れた鼻は回復魔法で治した。

 俺の女装デビューが、鼻のギブスで台無しになるようなことはあってはならないからな。


「薫くんもどう? 可愛い?」


「…………」


 ひと足先に朝食を取っていた薫くんは、ぷいとそっぽを向く。今日も今日とて不機嫌だなぁ。


 確かに、叔父がノリノリで女装している様を見せつけられてしんどいのはわかるが、あくまで仕方なくやっているのだから受け入れてほしいものだ。


 慣れないスカートが捲れないよう、細心の注意を払いながら食卓につく。


 すると、薫くんは目玉焼きの黄身をツンツン突きながら、ポツリと呟いた。


「なんで、負けたの」


 昨日もこの手の質問はされたが、デバフでしんどかったのと、メイク動画に夢中で無視しちゃったことも、薫くんの機嫌を損ねた要因かもしれない。


「いやぁ、びっくりしたよ。まさかの魔王を超える逸材がこっちの世界にいるなんてな」


「…………」


 渾身のジョークも、無言の圧力に潰される。

 薫くんとしては、自分をあんな目に遭わせていた渡部に復讐してくれないおじさんなんか、なんら価値のないものなのだろう。


 俺はため息をついて、目玉焼きに醤油をかけるついでに答える。


「あんなところで渡部くんを倒しちゃったら、平穏な生活とは程遠くなっちゃうだろ? それじゃあ、こっちの世界に帰ってきた意味がないじゃない」


「……おじさん、僕の話聞いてなかったの!? あそこで勝ったら渡部から全ポイント手に入ったから、おじさんその時点でAランクのヤンキーになれてたんだよ!? 高ポイント持ちになったら決闘も受けてもらいやすくなるし、とんとん拍子でSランクヤンキーになれたのに! そしたらおじさんに逆らうヤンキーなんて一人もいないよ! 平穏な生活が手に入ったんだ!」


「果たしてそうかな?」


「へ?」


 ああ、デバフのせいで手元が狂って醤油を掛けすぎた。


「俺がいた世界でも、冒険者ギルドって言う同じようなシステムがあった。おじさんすぐにSランク冒険者になってね……結果、毎日のように喧嘩を売られたよ。地道に頑張ってSランクの冒険者になるよりも、一回Sランクの冒険者を倒した方が楽だって考えるような精神性のやつが、冒険者になるんだろうね。あと、自分の勇気を証明したいってところか。ヤンキーも、似たようなものだと思うけど?」


 今はどうなのか知らないが、俺が学生時代の頃は、ヤンキーの間で馬鹿げた度胸試しが流行った。

 

 根性焼きやイッキなんて手軽なものから、チキンレースなる命懸けのものまである。

 

 それをこなしてヤンキーが得られるのはただ一つ。『あいつ、度胸あるなぁ』という評価だ。  

 それが命なんかよりも価値がある時代が、確かにあった。


「毎日のように喧嘩を売られておいて、平穏、ってのは無茶があるだろ? なら、なるべく喧嘩を売られないよう行動した方が良くない?」


「……むぅ」


 どうやら納得行ってないみたいだ。

 仕方ない。それならこちらも本音を明かすしかない。


「セーラー服を着たかったんだよ!!!!」


 薫くんが目を見開く。俺はすかさず早口でこう言った。


「いいかい、決しておじさんを変態扱いしてはいけないよ? こう言った願望は、むしろ四十歳を超えた男にとっては非常に一般的なんだ。なんなら四十代の男の半数は、美少女に生まれ変わりたいと思っていると国土交通省あたりも言っている。残念ながら美少女には生まれ変われなかったけど、美少年に生まれ変わったんだから、女装の一つや二つ、したって文句を言われる筋合いはないよ!」


「…………」


 薫くんがドン引き目で俺を見る……納得してくれたみたいでよかったぁ。




 ⁂




「おいおい、鼻血出しただけで降参したクソ雑魚さんがお出まし……」


 二年一組の教室に入ると、ドレッドのヤンキーが早速俺を嘲笑しようとした。が、言葉の途中で、あんぐりと口を開ける。


 俺は整えた髪を耳にかけながら、恥ずかしそうに俯く。


「え、えっと、これでいいのかな? 女装とか初めてだから、ちょっと分からなくって」


 そして、そのヤンキーに、困ったような上目遣いを向けた。

 すると彼の顔は、みるみるうちに、赤くなっていった。


「は、はぁ!? しらねぇよ! で、でもまぁ、別にいいんじゃねぇか!?」


 他のヤンキーどもも、昨日のようにメンチを切ってくるやつは一人もいない。

 こちらから視線を合わせに行くと、むしろ皆プイっと視線をそらしてしまう。

 

 ふふ、ここまで来ると、もはや確信してもいい。俺は可愛い。


 そして、ほぼ男子校で、いたとしても櫛田のようなスケバンやギャルばかりの豊塚高校で、俺のような清純派はいない。


 粋がっているが、ヤンキーなんて所詮はほぼほぼ童貞の男子高校生。可愛さの前には無力、というわけだ。


 もちろん、薫くんのようにエッチな目で見られるリスクは大いにあるが、むしろドンと来いだ。

 ああ、いや、決して、勇者時代にチヤホヤされすぎて肥大化した承認欲求を変な形で満たしたいわけではなく、当然薫くんを守るためである。


 どうだい薫くん、確かに決闘ではわざと負けたけど、君を守るためにここまで自己犠牲を払っているんだぞ、とドヤ顔で振り返ると、心底軽蔑した目とぶつかったのですぐさま顔を逸らす。


 すると、目の前に渡部がいた。


「おいテメェ、もう一度俺と決闘しろ」


 せっかくの俺の女装デビューが、こんなことで台無しになっては困る。

 俺はビクッと肩を震わせて、涙目になって見せる。


「なっ、何で? もう決着はついたよね?」


「ついてねぇ。お前が舐めた事してくれたおかげでよぉ。ああやって舐めプしてりゃ、本当は負けてねぇって言い訳できるとでも思いやがったか? ありえねぇ。全力のお前をボッコボコにして、言い訳できなくさせてやるよ」


 こいつ、ゴブリンより弱いくせに、プライドだけは一丁前だなぁ……。


「ごめん、何言ってるのか全然わかんない。怖いよぉ」


 俺が上目遣いを向けるが、渡部には全然効かない。「あぁ!? なんだテメェ気持ち悪りぃ!!」と凄み返してくる。


「お、おい、もうやめとけや渡部! 弱い者いじめばっかしてんじゃねぇよ!」


 すると、他のヤンキーたちから渡部へブーイングが起こる。

 「あぁ!? テメェら、頭湧いてんのか!? どう考えても演技だろうが!!」と渡部が怒鳴りつけるが、誰一人耳をかそうとはしない。


「……チッ」


 渡部は舌打ちをすると、自分の席に戻り、どかっと座り込む。渡部でも、俺の可愛さには歯が立たないらしい! ふふっ! こりゃ、オタサーの姫ならぬヤンサーの姫になっちゃう日も近いかもな!





 ⁂





 放課後、いろんな部活からマネージャーにならないかと誘われた結果、帰るのが遅くなってしまった。


 薫くんは待ってくれなかったので、夕暮れ、一人校門まで歩いて行くと、薫くんとは明らかに違うシルエットの男が、俺を待っていた。


「ヨォ、待ってたぜ」


 渡部だ。参ったね。なかなか粘着質な男だ。


「ど、どうしたの?」


 俺は怯えているフリをしてやるが、渡部はフンと鼻を鳴らすだけだ。


 ポケットをゴソゴソし始めるので、チャカでも取り出すのかと思ったが、それ以上に予想外なものだった。


「これ、お前にやろうと思ってな」


 そう言って、俺の方に投げて寄越したのは、薫くんのと形はちょっと違うが、確かにスマホだった。

 

 俺は手のひらでスマホを転がし、重大な事実に気がつく。


「これ、アン○ロイド?」


「あ? ああ、見りゃわかるだろ」


「……ふぅん」


 昨日ネットで調べた結果、林檎を買おうと思っていたところなので、少しがっかりだ。

 しかし、流石に失礼なので、もちろん顔には出さない。


「いいの? 高いでしょ?」


「ああ、かまわねぇよ。もう使わねぇからよ」


「へぇ。優しいんだね」


 その割に、俺に対する殺気が全く衰えないのはいかがなものだろうか。


「そういうことならありがとう。大事に使わせてもらうよ」


 正直林檎の方が良かったんだけど(二回目)、これ以上刺激をして怒らせても嫌だし、何より気が変わったら最悪なので、すぐさまポケットにスマホをしまう。


「充電が切れちまったから、充電器は自分で買え」


「うん、わかった。それじゃあ」


 俺は足早に渡部の前を通り過ぎる。

 少しして、追ってくる気配がないので、振り返ると、彼はその立派なリーゼントに似合わない。陰湿な笑みを浮かべてた。


 途中で電気店に寄って、店員さんに聞いて、スマホの型にあった充電器を買う。

 そして、早速家に帰ると、まだ薫くんが帰ってきていないと響子が言うので、すぐに充電を始めた。


 ある程度充電できたところで、ホーム画面が表示された。


 グルグルに縛られて、涙目でこちらを見る薫くん。


 ……ふふふ。


「わざわざ充電、切らしたのかな」


 無駄な努力に、少し笑ってしまった。

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