食肉
それからしばらくして。
「♪~」
俺は生まれてから今までになかったほどの上機嫌で森を闊歩していた。
それはもちろん例の鋏を道ずれに。
道を遮る小枝を片手で切り落とし、道中に掛かった蜘蛛の糸すら切断する。
本来道を遮るはずの障害物がただの一刀のもとに引き裂かれる様は、俺を自らが森の主であると錯覚させるには十分すぎるほどの爽快感を与えたのだった。
……というか、蜘蛛の巣を引きちぎるならまだしも蜘蛛の巣が切れるってどんな切れ味なんだよこの鋏。
ふと冷静になってそう考えるが、次から次へと湧き上がってくる万能感がその疑問をまぁ、いっかと押し流す。
要するに、俺は調子に乗っていたのだ。
だが、出る杭が打たれるというのは人の世に限らずこの世の常。
この頭一つ飛び抜けている様な態度を取っていた俺も当然、その例外ではない訳で……
「ん?」
そうご機嫌に歩いていると、突然前方の茂みが揺れた。
その様子に俺は思わず足を止める。
あぁ、そう言えばそうだ。今更ながらほかの生物に遭う可能性をすっかり失念していた。
森に居る様な野生の動物なんかだと軒並み俺よりは強いだろうしなるべく出会わないように気を付けないと。
そんなことを考えながら近くの木陰に身を隠した俺だったが、その次の瞬間に茂みから現れたその姿を見た俺は思わず目を見張った。
深い緑の体表に、ほかの人種よりひときわ高くなっている鼻。加えて黄色一色に染まった瞳。
そんな変わった特徴を持った俺の腰程度に小さな人間がそこには居たのだった。
えぇ……なにこれスゴイ。
こんな人間見たことないや。世界にいるのって黒人白人黄色人だけじゃなかったの?
そう考えつつ、俺は観察を続ける。
目の前にいる緑の人間は三人。
何やら談笑中に出てきたようで、目を細めながらなにやら聞いたことの無い言葉でギャアギャアと騒ぎ立てていた。
加えてその手には木製のこん棒や、ひどくさびてしまった鉄製の剣。
なるほど。狩りへ行く途中だったのだろうか。
……あ、いや。そうでなくともここは自然溢れる森の真っ只中だ。動物に出くわした時用の武器くらいは持ち合わせているのだろう。
そう考えつつ俺は一つの事象について頭を悩ませていた。
それは目の前の知性体の文明レベルである。
目の前の緑の人間は腰ミノに、ズタボロのシャツだけをまとっている。
体を隠す、あるいは体温調整をできる程度の知性はあるらしいが、着ているものがこれだからなぁ。見た目だけで言うならまだ蛮族としか言いようがない。
もうちょっとましな格好をしていたなら助けを求めても良かったのかもしれないが……はぁ。
まぁ、どちらにせよ敵か味方かを調べるのは必要か。
そう判断した俺は鋏を木に立てかけ、両手を上げてゆっくりと姿をさらした。
そうすると、初めにこちらに気づいたのは一番奥にいる人間だった。
それはこちらを指さし、残りの二人に俺の存在を伝える。
口を開くなら今だろう。
「あの、すいません。俺、気づいたらこんなところに居てどうしたらいいのか分からないんですけど助けてもらえたりしませんかね?」
そう身振り手振りを交えて話すと、何やら輪になって相談する様子を見せた三人。
どうやら一先ずは伝わった……のか?
自分でやっといてなんだがあんなジェスチャーで正しく伝わった気がしないんだが……
そんなことを考えていると、何やら話はまとまったようで、三人を代表してか、手前の人間がこちらまでちょこちょことやって来た。
それはこちらまで近づくと……
「うぉっ!!!」
こちらの膝目がけてこん棒を振るってきたのだった。
それを後ろに飛ぶことで何とか回避する。
あっっっっぶねー……
ぎりぎりまで警戒してて良かった。
というかだまし討ちとは流石人間。やることが汚いな。
そんなことを考えながらも、俺は目の前の人間に注意しながら木陰に立てかけた鋏を握った。
本来なら怪しまれそうなものだが、それを木に手を当てているだけと判断したのか、いぶかしむ様子もなく慎重そうな足取りで近づいてくる一人の人間。
それはある程度近づくと、再びこん棒を振りあ___げるより早く、俺の左腕が空を切った。
その腕の先にきらめくのはもちろん例の大鋏。
「_____ッ!!!!!」
その直後、声にならない悲鳴が上がった。
その声を上げた主はと言うと、激痛に悶えるように腕を振り回し、辺りを転げ回る。
その先には有るのは本来あるはずの肘より先ではなく、紅い血をまるで噴水の様に吐き出し続ける真っ赤な断面だけだった。
「いやぁ、すいません」
その苦痛にのたうち回る様に少し申し訳ない気分になりながらも、俺は脳天に向けて鋏を振り下ろした。
それに伴って、頭蓋から腰辺りまでまっすぐ縦に裂ける人間。
うわぁ、グロ……
その光景にそんな感想を覚え、若干気分が悪くなった俺だったが、どうやらあちらの方が驚きの度合いは大きいようだった。
相変わらず何を言っているのかはわからないが、何やらこちらに指をさしておどろいた様子の人間2号に、すでに走り去り、もはや背中の小さくなった人間3号。
しばらくすると、2号も3号が居ないことに気づき、慌てて逃げだす。
なんとも根性無しな連中である。
最初はそう鼻を鳴らした俺だったが、少し考えると直に別の可能性に思い至った。
これってワンチャン助けを呼びに行ったりしてないか?
先ほどは運よく無傷で勝てたが、数が増えるごとにケガも増えるし、疲れも貯まる。
そうなればだんだん動きが悪くなって数に飲み込まれる。
あの頃の生活で学んだ数少ない役に立つ経験だ。
だからこそ今後あの蛮族に追われる可能性が有るのならこちらを見つけるより早くこの森を出たいんだが……
「はぁ」
今後の不安や、懸念。
そして今を生き残った安心がこもった溜息を一つ吐き出す。
とにかく今は考えても無駄か。
とりあえずは警戒しながらちゃっちゃか足を動かすとしよう。
俺にはどうせそれしかできないのだから。
そう考えた俺は改めて一歩を踏み出し、そこで思わず固まった。
ふと、とある可能性が頭をよぎったのだ。
そういや、あれ。食えるんじゃね?と。
そうして振り返った俺の目線の先にはいまだたらたらと鮮血をあふれさせる上半身が縦に裂けた死体。
正直今のところそんなに空腹というわけではないのだが、これからもずっと腹が減らないということはまずありえない。
あれで保存食でも作れたらと思ったのだが……あ、いや。火が起こせないからそもそも調理ができないのか。
それにしたってこれから腹も減っていくことは確実なのだから今のうちに食いだめでも出来たらいいのだが、そもそも大前提として、だ。
「……こいつ、食えるのか?」
そうして肉のあちこちを持ち上げたり引きちぎって調べるも、少なくとも表面を寄生虫が蠢いているということはなかった。
ただ見つけられなかったか、俺の見た場所にたまたま居なかっただけか。
考え始めれば不安になる可能性はいくらでも出てくるが、そこはひとまず置いておくとしよう。
だが、寄生虫は置いておくにしても、ウイルスを含めた病原菌に、食中毒。実に様々な危険がこれには存在している。
加えて、それを改善するには炎が必須なのだ。火のない現状やはり手を出すべきではないのだろうか。そう考えつつ、俺は細かく裂いた肉片の一つをつまみ上げた。
未だ鮮血を滴らせる真っ赤な肉片。
見た目としては普段食べるような肉と大差は無いんだがなぁ。
こんな蛮族の肉だと性病なんかも心配だし……まぁ、最悪ぶった切れば問題解決か。あのアマも既にいないことだし、もう二度と使うことも無いだろう。排尿だけは少し不安だが、まぁ慣れるしかないな。
そう我ながら事を楽観視しながら俺は舌を伸ばして、ひょいと口の中に放りこんだ。
それを舌で奥に押しやり、奥歯で繰り返し嚙み潰す。
うーん、生なのもあってうまくはないのは当然なんだが……それにしたってそもそもが不味い気がする。昔食べたカラスに味が似てる様な……
そんなことを考えていた時だった。
「ッ!?」
突然感じた脈動に、思わずその発生源だと感じた腹を押さえる。
な、なんだ今の。
まるで全身が心臓になった様な……
そんな感想を抱きつつ、体を確かめようと体を見下ろした俺は思わず目を剥いた。
その先には例の大鋏を握る右手。
それが鋏の装飾だと思っていた紫の血管に侵食されていたのだった。
なんだこれ。
なんで今になって……って考えるのは後か。とりあえずはこの血管を切らないと。
そう考えて、とりあえずは鋏を手放そうと力を緩めるが、なんと右手がピクリとも動かない。
信じがたいことだが、どうやら乗っ取られている様な状況になっているらしい。
何を狙っての仕組みだか知らないがとにかくこのままじゃまずい。腕を折っても良いから何とか制御権を取り戻さないと。じゃないと……
「まぁ、こうなるよなぁ。」
そう口角を引きつらせながら笑う俺の視線の先にはゆっくりとこちらに向かってこようとする刃。今はかろうじて左腕で抑えきれているがこれも時間の問題だろう。
実はこの乗っ取られた右腕。半端ない力なのだ。ほら、こうしている今もじわじわと押し負けている。まるでプレス機か何かと押し比べでもしている気分だ。
だが、俺もやられるままという訳にはいかない。なんせ命が掛かっているのだ。だから、こうだ。
そう覚悟を決めつつ、俺は右腕を打ち付けるようにして飛び上がった。
これならいくら右腕の制御権を握っていようがどうしようも無いだろう。頼むからそのままおとなしくしててくれ。
そう願いながら飛んだのだが、俺が相手にしているのは神ではなくただの無機物。
人間の願いを聞き届けるような存在では無いのだった。
そう理解したのは飛び上がった次の瞬間だった。
なんと右腕はナイフでも持ち替えるように鋏を逆手に握り、その刃を地面に突き立てたのだった。
それにより体勢を崩し、背中からびたーんと落下する俺。本来刃が突き刺さったままだとこうはならないのだが、なんとこの鋏は俺の体勢を崩すだけ崩すと、素早く手を上にあげて俺が背中から落下するように仕向けたのだった。
なんとも芸達者な鋏だ。
「……はぁ」
そう思わず内心賞賛を送りながら俺は諦観していた。
目の前をギロチンの刃の様に持ち上がる鋏の先端を眺めながら。
やはり俺はとことん運命と言う奴に嫌われているらしい。まさか何気なく拾った鋏がひとりでに人間を殺すような鋏だったなんて。そりゃああんなふうに封印もされるわ。
何ならもっと分かりにくくしてくれてた方がよかったかもな。そしたら俺も死なずに済んだかもしれないのに。
暗転。
Reライフボーイとシザーガール~暴食の憑きし業~ かわくや @kawakuya
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