HO1:あなたは心優しい、世界の敵さえ恕すほどに
学校で一番の美人って誰?
っつったらまあ、どこの学生に聞いてもすぐに名前が出てくるんじゃないか。
すぐに名前が出てくる、隔絶した美人だからこそそいつは一番だと思われているわけで、うちの高校だとそれは
その姿はさながらCMに出てくる『清楚で元気な女子高生』の具現化だ。
漆黒の長髪のツヤは艶やかで、虹色に輝いているとすら感じられる。
それと対比するように肌は白く、きめ細かい。
派手な顔つきというわけではないが、くるくるとよく変わる表情がその美しさを何倍も引き立てている―――とかなんとか。
容姿の特徴を客観的に並べるだけで、鼻の下を伸ばしたおべんちゃら野郎どもみたいな文言になってしまってキモいからこの辺にしておくが、まあおおむね、芸能人もかくやというような浮世離れした美人だと思ってもらえればOKだ。
では、学校で一番頭がいいやつ、ってのはどうだろう。
これはもっと簡単だ。
うちの高校では校内テストの優秀者を点数とともに廊下に貼り出すみたいな旧時代的なことがいまだに行われているため、誰の成績が一番か、誰でも知っている。
夏休み前の期末試験で全教科満点を叩き出したのはご存知、不二優二子だ。
テストの点数が高いやつが頭がいい、と言い切れるもんでもないが、全教科満点となると話は変わってくる。
うちの高校に置かれている評価システムでは、この女の才能を測りきれない。
少なくともそれくらいには、不二優二子は頭がいいやつだということになる。
それじゃあ、学校で一番優しいやつ、だったら?
普通ならなかなか、一人には絞り切れないんじゃないだろうか。
ある人間に優しくできたとして、別の人間に優しくできないなんてことは人間だれしもありえる話だ。
優しさに一番なんてもんは存在しない―――
というような綺麗事を言ってもいいが、それでもウチの生徒に聞いたら多分八割がたは不二優二子の名前をあげるだろう。
美人で、賢いうえにお高くとまらず、驚くほど気さくに会話してくれる、らしい。それでいて視野も広く、困っている人に率先して気づき、手を差し伸べるんだとか。
なに? 聖人の逸話?
天は二物を与えず、三四五六、もっと数多の物を与えたもうた、とか言われているらしい。知らんけど。
別に俺は不二優二子のファンだとかいうわけではない。
そんな俺がなぜこんな前置きをしたかというと、その不二優二子が、今まさに火の付いた煙草を、学年主任の教師に取り上げられている場面に、偶然通りかかってしまったからだ。
「不二さん、あなたみたいな子がどうしてこんなことを……」
人の気配が遠い校舎裏。
じめっとした空間に立ち尽くすのは四角四面の鬼ババアこと学年主任ヤマセン。
その声には珍しく怒りが含まれていない。
教師という奴らがしばしば行う『あなたという個人を高く評価していますよ』というパフォーマンスではなく、心底からの困惑を孕んだ声だった。
大声を出すことすら憚られる、とでもいうように声を潜めようとしているものの、動揺しているからか声が裏返ってしまっている。
「山田先生、ごめんなさい。私……」
「何か悩み事とかあるの? うちにはスクールカウンセラーの先生もいるんだから」
ヤマセンは不二を叱るのではなく、その精神状態を心配しているようだった。
スカートが何センチ短いだとかでガラスが割れんばかりの大声で怒鳴る普段の勢いはまるでない。
その瞬間、俯いたままでいた不二の目からある種の緊張が解けたのがおれにはわかった。
落胆。期待外れ。
このシーンがどういう文脈で成立したのかわからないおれには、その細かいニュアンスこそ読み取れなかったものの、だいたいそういった感情の発露がまざまざと見てとれた。
まるで一面輝く絢爛たる花畑が、一瞬で干からびて砂漠と化すような渇きぶりに、俺は背筋を震わせる。
おいおい。なんだそれ。
不二優二子って優等生じゃないのかよ。
いったいどういう精神性してんだ?
怒られなくてラッキー、とかでも安心した、でもなく、心の底からの落胆の気配。
しかし遠くから見ているだけのおれが気づけたそれに、ヤマセンは気付けない。
それだけ、完全無欠だった優等生の悪行にひどく動揺しているのだろう。
「困った時は、頼れる人に相談してくださいね」
ヤマセンはまるで自分は頼れる人ではないかのようにそう言うと、吸殻を持っていたペットボトルに放り込み、逃げるようにその場を去っていった。
残された不二は大きなため息をひとつ吐くと、少し離れたところから様子を伺っていた俺の方をぐるりと向いて、それから声をかけてきた。
「
うえ。
なんでこいつおれの名前知ってんの。
虚を突かれて硬直した俺に、不二のほうは臆することなく近づいてくる。
「……見られちゃった?」
「見ちゃったけど、あー。別に誰かに言ったりしないから」
そもそも俺にはこんな話を言うような相手がいない。
そして、もしいたとしてもこんな話誰も信じてくれやしないだろう。
不二優二子という存在は、ウチの高校ではそれだけ絶対的なものであり、おれみたいな木端が悪評を流したところで揺るぎやしない絶対的な存在なのだから。
不二はまたしても一瞬昏く目を濁らせた後、すぐに輝かしい笑顔で俺に微笑みかけてくる。
「そっか、ありがと! 今度お礼するね」
「いや、そういうのいいんで」
今の一瞬は俺に向けられた落胆。
律儀だな、と素直に思う。
覗き見野郎に不快を感じたろうに、それをぶつけることもせずに、飲み込んで笑顔で装飾してみせたのだから。
でも、そういう営業用のスマイルは欲しいやつにくれてやればいい。
俺みたいなのに向けたところでメリットなんてないだろうし。
「あーでも。ひとつ聞きたいことがあんだけど、いい?」
「いいよ。なんでも聞いて」
「なんで、さっきがっかりしてたんだ?」
さっき。
あるいは今も。
こいつは明確に落胆していた。
たっぷり2秒ほど沈黙が続き、それから不二が体をびくりと震わせる。
「え、私?」
「いやお前の話以外に誰の話なんだよ」
「それはその、山田先生は私が煙草なんか吸って、がっかりしてらしたかも、って」
「見逃されただろ、ヤマセンに。なのに不二は安心するんじゃなくて、落胆してた。
それが気になって、」
そこまで言っておれは気づく。
もしかして、そういう性癖(誤用)の持ち主だったとか?
教師に叱られて気持ちよくなっちゃうタイプの?
「……やっぱいいや。なんでもねー。んじゃ」
「どうしてわかったの?」
弱みを握って不二優二子にエロ方面の話をさせた、なんてキショい人間になりたくない。
逃げようとしたおれは、しかし伸びてきた白魚の指に服の裾を掴まれる。
意外にも強い力で、振り解くことができなかった。
え? 力つよ。マジか。こんな細い指でどうなってんだこのパワーは。
「どうして?」
「……そういう目してただろ。『あーあ』っていうような」
「あーあ、か。うん。そうだね。あーあだね」
あーあだねじゃないんだよ。
しかし不二は「あーあ、か。うん。なるほどぴったり、あーあだね」と繰り返す。
「すごい。どうしてわかったの?」
「見りゃわかる」
見てなんとなくそうかなと思っただけなので、そのまま俺はそう言った。
陰キャに必須のスキル、顔色伺い。
それだけのことだ。
「もしかして……ほーちゃん?」
「は?」
突然なんちゅー距離の詰めかたをしてくるんだこの女は。
確かに俺の名前は
だからほーちゃんという呼び方は間違ってはいないが、そんな仲良しになったつもりはない。
というか、ほーちゃんなんてガキみてーな愛称で呼ばれた覚えはないぞ?
そんなのそれこそ、幼稚園に通ってた時くらいのもので、
『ほーちゃ!』
舌ったらずなその呼びかけを思い出せば、自然と口から言葉が出てきた。
「……なきむしコーン?」
「ユニコだよ!」
それはかつて何度となく繰り返されたやり取り。
不二優二子は満面の笑みを浮かべる。
そこにもう落胆の色は欠片もない。
遥か遠い過去からの再会を、心から喜んでいるようだった。
HO1:あなたは心優しい、世界の敵さえ恕すほどに 遠野 小路 @piyorat
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