背中を押されて

 学校には電車で通学。

 毎朝、満員電車に揺られて、まだ高校一年生だというのにサラリーマンの気持ちが分かってしまう。


 オレの四方八方には、ハゲとデブと真っ黒い肌の三拍子が揃ったオッサンが立っている。


 ガタン、ガタン。ガタン……ガタン……。


 電車に揺られると、誤って前にいるおっさんの頭にキスをしてしまった。


「ぶちゅ、お、……おぉ、すいません」

「はは。……ふぅ」


 何が悲しくて、可愛い彼女を手に入れたのに、リアルではおっさんにキスをしなくてはいけないのか。


 気持ちが落ち込んで仕方ないので、オレはスマホを起動し、イヤホンを耳にハメる。電車は音楽を聴くか、動画を見るに限る。


『うわ。エッチな画像しかない』

「え?」


 変な声が聞こえた。

 変なって言うか、本来聞こえるはずのない声だ。

 スマホを持ち上げて確認すると、心臓が飛び跳ねた。


 長方形の画面の端っこ。

 見覚えのある金色の髪がチラチラと見えているのだ。


 そりゃ、最新機種だし、色々な機能はあるけど。

 オレのスマホには、女の子が常駐するアプリは入れていない。

 壁から顔半分だけ出すかのように、スマホの中ではスイがひょっこりと出てきた。


『ねえねえ。びしょ濡れ女子高生っていう画像消していい?』


 やっべぇ。

 今、電車の中だし、どう答えたらいいのか分からない。

 オレは声のトーンを落とし、「ダメ」と答えた。


『あ、ごめん。もう消してるから』


 スマホに額を押し付け、オレは目を閉じた。

 びしょ濡れ女子高生というのは、シャツの濡れ透けにこだわったフェチ系のエロ画像だ。


 消すな、って言ってるとき、すでに行動は実行されている。


「お前さぁ」

「はい?」

「あ、……いや」


 前にいるスダレハゲのおっさんが振り向く。

 オレは愛想笑いをして、「いえ……」と何度か頷き、違いますよと意思表示する。


『ね。見てみて』


 スマホを覗くと、スイが両腕を広げてポーズを取っていた。


『こういうの好き?』


 パンクファッションのスイがいた。

 黒いパーカーを着ているのだが、普通のパーカーとは違う。

 肩から斜めに開くタイプのようで、半分ほど開いた状態だった。

 中に来ている白いキャミが見えていて、下は赤黒のチェック柄のスカート。

 頭にはキャスケット帽を被っている。


 見た感じはパンクなんだけど、よく見たら、色々混ざってる感じだ。


『触手に絡まれた画像があってさ。自分で作ってみました。へへ』

「作れんの⁉ 自分で⁉」


 すると、周囲のおっさんが一斉に振り向いた。

 オレは片手を挙げ、「すいません」と謝る。


 改めて、AIってすげぇなと思った。

 なるほど。大容量が必要なわけだ。

 服のデザインはネット上から拾ってくれば、AIが解析して自分で作る。作った衣装は、こうやって着てくれたりするわけだ。


 自律している。

 この言葉の意味も痛感した。


『ところでさ……』


 顎に人差し指を当て、聞いてくる。


『電車の中で、エッチなことしてる人いるんだけどぉ』


 なに、その羨ましい状況。

 黙って見ていると、スイが横を指す。

 指差された方を見ると、おっさんのアヘ顔が目に飛び込んできた。

 眠いのだろう。

 白目を剥いて、大口を開けている。


『5m先』


 と、言うので首を伸ばして、覗いてみる。

 オレが見たのは、電車の扉がある位置。

 その端っこには、一人の女子高生がいた。


「……あれって」


 ていうか、アオイさんだった。

 口を押えて、小刻みに震えている。


 もしかして、彼氏と変な事をしているのかな、と思った。

 視線を横に持っていくと、アオイさんの後ろには、涎を垂らしたオッサンが立っている。


 モジャモジャ頭の浅黒い肌をした、いかにもなオッサンだ。

 腕の付け根を見ていると、小さく動いている。


 一瞬、アオイさんが援助交際でもしてんのかな、と思ったけど、そんなわけがなかった。


 アオイさんは小さく震えているし、どう見たって悦んでいるように見えない。


「……やべぇじゃん」

『このスマホ。広角レンズ搭載だから、すぐに分かったよ』


 一つ言っておくが、オレには「やめるんだ!」と男らしく怒鳴る勇気はない。喧嘩なんかできないし、平和主義だ。


 でも、放っておくのは、寝覚めが悪すぎる。


「すいません。すいません」


 半ば無理やり割り込む形で、おっさん達の間を通っていく。

 せいぜい、オレにできるのは妨害だけだ。


 おっさん達に舌打ちをされながら、オレはぐいぐいと割り込んで、アオイさんの後ろに「すいませぇん」と割り込んでいく。


 恐らく、尻を触っていたであろう手が、オレの股間に触れた。

 この不快感がオレの恐怖心や緊張を和らげた。


 ぎゅうぎゅう詰めなので、必然と股間の膨らみをアオイさんに押し付ける形で密着する。


「お、おはよ」

「……っ」


 アオイさんは泣いていた。

 ゆっくりと振り向いて、オレの顔を見ると、すぐに前を向く。


「ぶふぅ! ふぅ、今日、あっついねぇ!」

「……やめて、ください」

「いや、……あの、オレ何もしてないよ」


 新たにヤバい事態になってきた。

 痴漢から助けたと思ったら、痴漢に間違えられる五秒前だった。


「ふぅ、ふぅ、……あの、アオイさん」

「……いやぁ……」

「だから、何もしてないんだ」


 焦ったオレは後ろを振り向く。

 モジャ頭のおっさんがオレを見ていた。

 オレは、焦りと緊張感で何も言わずにオッサンの顔をジッと見る。


 どうしよう。

 入れ替わろうか。

 そして、いっそ叫んでもらった方がいいかもしれない。


 そう考えた矢先の事だ。


『いやああああああああ! この人! 痴漢です!』


 反射的に、オレは自己防衛のためにおっさんの手首を握る。

 正義心じゃない。


 ――オレじゃないっス! オレじゃない!


 必死に自分を守ろうとする防衛本能だ。

 人間、焦りすぎると、普段とは違った行動をするものだと痛感した。


「な、なんだよ!」

『この人、痴漢です!』


 オレのスマホからは、超大音量でスイの声が聞こえた。

 いや、正確にはスイの声ではない。

 アオイさんに似た声色だ。

 ちょっと低いけど、パッと聞いただけでは分からない。


 どういうつもりだ。――なんて考えるだけ野暮か。


 スイは背中を押してくれたのだ。

 でも、スイにできるのは、ここまで。

 オレは自分の肉声で言った。


「ち、痴漢! ダメだと思います!」


 おっさんの股間を睨みながら、オレは叫んだ。

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