深淵(3)

 以前聞いた事のあるエンジン音。

 ここは飛行船の中。

 その端にあるソファに座っている私の頬にリーゼさんが氷の入った袋を当てた。

 その心地よさに、さっきライムに叩かれた頬の痛みが静かに引いていくようだった。


「……有難うございます。服も新しいのを頂いて」


「こっちこそ荒っぽい事したわね。でも、ああしないと言う事聞かなかったでしょ」


「私をどうするつもりですか。ザクター王のところに連れて行って殺すんですか」


「あら、その目。怖い怖い。まずは私たちの屋敷に来てもらうわ。そのあとは……ライム様のご意思のままに」


 本当にライムを慕ってるんだな……


「どうしたの? リム・ヤマモト。そんな目をして」


「ライムって……普段どんな人?」


 その言葉にリーゼさんは天井を見上げて言った。


「いつも何かを考えてる人」


「自分の都合のいい世界を作る事ですか?」


 リーゼさんは、苦笑しながら言った。


「あの人と私たちは見ている景色が違うの。お城の一番下と一番上では同じお城からの景色でも全然違うでしょ。そういう事。でも、私はあの方が景色を見ることに専念できるようにしたい。それだけ」


「ライムを慕ってるんですね」


「分かってもらおうとは思ってない。私だってあなたがあんなにアリサに懐いてるのが理解できないようにね」


「コルバーニさんはやさしい人です! リーゼさんが敵だから分からないだけで」


「その言葉そっくり返すわ」


 リーゼさんの言葉に私は何も返せなかった。


「あのね、リム・ヤマモト。ライム様の事だけど……」


 リーゼさんが何か言いかけたとき。

 ドアが開いてライムが入ってきた。

 無言でチラッと見た私にわずかに目を向けると、リーゼさんに向かって言った。


「サラ王女はまだうなされてるわ。まったく……」


「ライム様、これから屋敷に戻るという事でよろしかったでしょうか」


「そうね。今後の事を検討したい。あなたたちにもそろそろ共有してもらいたいことがあるし」


「かしこまりました。ではリム・ヤマモトの拘束も引き続き」


「そうね。所でリーゼ。何か音が聞こえない?」


「そうですね。確認しますか?」


 ライムは目を細めて何か考えているようだったけど「私が確認する」と言って歩き出そうとした。

 その時。

 ライムが突然足を止めて、その場に立ち止まった。

 何?

 ライムの方に眼を向けた私は思わず目を見開いた。


 そこには一人の子供が立っていた。


 男の……子?

 ただ、身体はアチコチを赤い絵の具で塗ったかのように赤く染まっており、優しく微笑んでいた。

 見たことない……だれ?

 でも……不思議な事に私はその子を見ていると安らかな気持ちになる。

 まるで肉親に会ったときのような、気の許せる安堵感……


「リーゼ。リムを至急別室に。は私が」


「ライム様! この子供は……」


「あとで説明する。とにかくリムを……」


 ライムの言葉を打ち消すように、私の脳内に直接響くかのように声が聞こえてきた。

 懐かしいあの声。


(あそぼ……べっし……つ……とに……か)


 この声、前も……

 そう思ったとき。

 目の前に女の子が立っているのが見えた。

 真っ赤な服を着て、腰まで伸びた赤い髪の少女。

 10歳くらい?

 でも……顔は見えない。ぼんやりとしてて。


(おねえ……ちゃん……あそぼ。なにしてあそ……ぶ?)


 私はその子の声を聞いてると、たまらなく気分が浮き立つのを感じた。


(そうね。私も……遊びたい)

 

 女の子の近くに行くと、なんともいえない心地よさが沸いてくるのを感じた。

 そして……また意識が薄れていく。

 でもそれはまるでお風呂でフッと居眠りするような。

 コタツの中でウトウトするような。

 そんな包み込まれるような気分。

 ああ……誰かが何か言ってる。

 私の名前を呼んで……いや、叫んでる。何だろ。

 何か凄い音……爆発音?


 だけど、そんなうたた寝するような気持ちは突然の腕の痛みでさえぎられた。 

 痛い!

 思わず手を押さえたけど、誰かが私の腕を掴んだ。

 我に帰ると目の前にはライムが居た。

 

「ラ……イム?」


 ライムはナイフを持っていた。

 そして……泣いてる?


「何で……泣いてるの」


 周囲では……まただ。

 今度は炎だった。

 何故か分からないけど、アチコチが燃えている。

 

 これは……なに。

 呆然としていると、炎によってひどい振動と煙に包まれた中で彼女は突然私の左手の人差し指に指輪をはめた。

 カレッジリングのようなホワイトゴールドの大きくシンプルな指輪で、中心に大きな深い黒色の宝石が埋め込まれている美しい指輪だった。


「この指輪をつけている限りあなたは前のように石の力を使えない。そのペンダントもこの瞬間からただの飾りとなった。今からリーゼと逃げなさい。今後の事は彼女には話してある」


「え、何なのそれ! 訳わかんない。外のは何? 私……大丈夫だよ! 何か力になれる。ううん、なりたい! 戦いたい!」


「リム……今のあなたは本当のあなたじゃない。指輪が追々治してくれるわ。リーゼ! 準備は出来そう?」


 矢継ぎ早に言ったあと、ライムは私を見て言った。


「リム……私の言う事は聞きたくないと思う。でも貴方を信じる。私と約束して。女の子の声が聞こえても絶対に指輪を外さないで。もう一つ。貴方はもう引き返せない。ならせめて……ユーリに会う前に必ず会って欲しい人がいる……」


 そこまで言った所でまた爆発音が聞こえて、船室の家具の破片がいくつか飛んできた。


 あぶない!!

 私が思わず目を閉じた時、誰かが覆い被さってくれた。

 恐る恐る目を開けると、ライムが私を包み込むように抱きしめていた。

 そして……チラリと見えた背中に破片が全て刺さっていた。


「ライム!! 背中!」


 だけど、ライムはまるで気付いて居ないかのように、言った。


「リム、あなたの道は歩く事に絶望するものかもしれない。でも……勇気を持って貴方の世界を信じなさい。リムの世界を」


「何言って……きゃっ!」


 船内が大きく傾き私は横に投げ出された。


「あの子と……遊びたいのに!」


 さっきまでと違い、女の子の姿がぼんやり薄くなっている。

 それに対して、ビックリするほどイライラしていた。


「リーゼ、行きなさい! じゃあねリム。またお互い生きてたら会いましょ。あ、最後に言うね! あの時の……」


 その言葉の直後、リーゼさんに抱きかかえられ、次の瞬間そのまま窓の外に出た!

 え! ええっ!

 そして、私はリーゼさんがグライダーにつかまって滑空しているのをぽかんと見ていた。

 でも……それ以上にライムが最後に言おうとした言葉が頭の中をグルグルと回っていた。


 ライム……あなたは何を言いたかったの?


【第二部 漆黒と純白と灰色 終わり】


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