フィーゴ公爵の招待状(2)

「おいアンナ。貴様何をそんな所で突っ立っている。早く行くぞ」


 スタスタと近づいて声をかけたクロノさんに、アンナさんはビクッと身をすくませると、慌てて振り向いた。


「何でも無い! 来るんじゃ無い、クロノ!」


「ん? 何を慌てている。何か重要な物でも見つけたのか」


「何も無いと言ってるだろう!」


「ぬ? その本は……おっ、そのイラストはお前が読んでいる例の書物と同じ系統ではないか! お前がヤマモトとの濃密な行為を落書きしてた……うおっ!」


 クロノさんが何か言いかけたとき、アンナさんがクロノさんに短剣を突きつけた!

 って言うか、私との濃密な行為ってなに!? 


「そ、それ以上言ったらその口、二度と閉じれぬよう切り裂いてやる!」


 ああ……もう!

 たまらず私はアンナさんの前に進んだ。


「なにやってるの! コルバーニさんがいなくて、私もオリビエもクロノさんも頼りはアンナさんなんだよ! こんな事で怒るアンナさんなんて嫌だよ!! だめ!!」


 こんな時に仲間割れなんて見たくない!

 でも、言った後で心がチクりと痛み、後悔した。

 強く言いすぎたかな。

 アンナさん、傷ついたかも……

 そう思って、アンナさんの顔を見た私……は……ポカンとした。

 

「ア……アンナ……さん?」


「はうう……ヤマモトさんが私を睨んで……罵声を。なんでだろう。なんで胸がドキドキするの?」


「え、えっと……アンナさん?」


「ヤマモトさん……何だか私、あなたと深いところで繋がれたような……あの、私もしかしたらまたクロノを切り裂くかもです。よろしければ……こんなダメな私をもっと……お叱りください」


 そう言いながら目を潤ませ、頬を紅潮させながらにじり寄ってくるアンナさんから、私は後ずさりしながら言った。


「あの……あの。うん、もう大丈夫だよ! 私こそ言いすぎちゃった……アンナさん、ご、ごめんね」


「あ……大丈夫です、ヤマモトさん。なんだろう。なぜか残念……」


「見事だアンナ、一段レベルアップしたな! ヤマモト、試しにアンナ・ターニアに『気持ち悪い。このメスブタ』と言ってみろ。今のコイツはきっと泣いて喜ぶ。よし、お前の成長を祝ってその書物、特別サービスで2冊購入してやろう」


「へ? 2冊……」


「ああ、そうだ。1冊は読書用。もう1冊は保存用だ。保存用は決して読んではならん。読まずに新品のまま保管する」


「そ、そんな買い方が……」


 心なしか目を潤ませているアンナさんに、クロノさんはどや顔で続けた。


「私はこういう方面にはうるさい。お前にこういった書物の扱い方伝授してやる。ああ、こちらの白紙のノートもプレゼントだ。これにお前のヘドロのような妄想を書け。私も読みたい。いいか、私のような存在を『推し』と言うんだ。ヤマモトから教わった」


「お……推し……」


「ああ、そうだ。その妄想がいずれヤマモトの心も動かしお前らは晴れて……って、おい! ぶつかるなクソガキ!」


 何やらアンナさんと不穏な会話をしていたクロノさんに、走ってきた子供がぶつかるとそのまま走り去っていった。


「全く、これだからガキは嫌いだ……って、ぬ?」


 クロノさんはキョトンとした表情で衣服をまさぐりだした。

 あ、これもしかして……


「あのガキ! 私の財布を盗んだな!」


 クロノさん、あの時と同じ……って、言ってる場合じゃ無い!


「リムちゃん、アンナ先輩、追いますよ! 貴重な路銀だ」


 そう言うとオリビエとアンナさんは、短距離走者のような早さで駈けだした。

 

「クロノさん! 私たちも行きますよ」


 そう言って私もクロノさんと一緒に子供の後を追った。


「待って! それ大事なお金なの!」


 必死に走っていると、大分前方を走っているスリの子は、突き当たりに来てしまったようだ。

 あれ、気のせいかあの子、途中からペース落としてたような……

 そして、その子が突き当たりに入ったのと同じタイミングで、横の路地からひげもじゃの厳つい男性が……え! 3人出てきちゃった!

 これ……マズい!?

 

 でも、その直後。

 横の屋根からアンナさんがひげもじゃさん達の前に飛び降りてきた。

 え! 屋根を移動して……た!?

 そして、ひげもじゃさん達が虚を突かれたその一瞬で、まさにまばたきの間に3人のおじさん達を殴り倒してしまった。

 凄い……さっき、にじり寄ってきたアンナさんと同じ人とは思えない……


「アンナさん!」


「ヤマモトさん、お怪我は!」


「大丈夫。所で……ねえ、君。お金返してくれないかな」


 私がそう言ったとき、その子は突然姿勢を正すとまるで執事の様な所作で頭を下げた。


「失礼しました。リム・ヤマモト様。そして、アンナ・ターニア様。特にアンナ・ターニア様、やはり報告に違わぬ力量」


 その時、横に立つアンナさんの全身からヒンヤリとした氷のような圧が漂うのを感じた。


「あなた、何者?」


 抜いた剣を構えたアンナさんに、スリの子は無表情で言った。


「失礼しました。僕はジャック・カーと言います。我が主、ヴィクトル・フィーゴ公爵の命によりリム・ヤマモト様一行……特にアンナ・ターニア様の力量を確認させていただきました。まさに流れる水のごとき芸術。あなたならば……今から主の屋敷にご招待します。フィーゴ公爵よりアンナ・ターニア様のお力を見込んで直々の依頼を」


 その時、背後から「その公爵ってのは何だ。なぜアンナ先輩に依頼をする?」と、声が聞こえたので、振り向くと顔面蒼白でゼイゼイ息を切らしているクロノさんをおんぶしたオリビエが鋭い目で睨んでいた。

 あ、クロノさん疲れちゃったんだ……


「フィーゴ公爵はこの国の王による圧政から、ラウタロ国の民を救おうとされる無私の英雄。あなた方とは利害が一致するかと。あなた方も王女含むザクター王の取り巻き達と戦ってきたのでしょう?」


「なんで、そんな事知ってるの……」


「ザクター王に関する動きは僕から逐一報告しています。そのため公爵は全てご存じです。各地の動きの中でもリム・ヤマモト一行の動きは特筆すべき物。ぜひそのお力をこの国のため、民草のために貸していただければと」

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