コルバーニの青い花(7)

 夢を見ていた。

 空気も歪んでいるように見えた夏の日の保育園の砂場。

 いつまで経っても現れないお父さん。

 いつもなら早く来てくれるはずなのに、全然迎えに来ない。

 他の友達がどんどん母親や父親と帰っていく中で、取り残されていく。


 何やってるんだろう。

 もう謝っても口をきいてあげない!

 お菓子買ってくれてももう遅いんだから!

 そう思いながらも、いつものオロオロした顔で走り込んでくるお父さんがいつ来てくれるんだろう、と何度も何度も園の入り口を見た。

 膨らむ不安に怯えながら。


 そして……やっと来てくれた。


(お父さん! 遅いよ!)


 慌てて立ち上がって、走り出そうとするけど足が前に動かない。

 何で!

 足下を見ると、誰かが足を掴んでいる。

 その真っ黒な影は私に向かって何度も言った。


「アリサ」と。

 その声は……ショー・ガリアだった。


 驚いて目を開いた私の視界に飛び込んだのは、灰色の石で出来たひび割れた天井だった。

 一瞬、自分の置かれている状況が理解できなかったが、すぐに自らの感覚の確認をした。

 呼吸は出来る。

 首は……動く。 

 手足は……動く。

 小声で自分の名前と生年月日。

 先日の食事内容を含む1日の流れを言う。


 大丈夫だ。

 なぜか分からない。

 でも、私は生きてる。

 あの時、確かにガリアに首の骨を折られたはずなのに。


 しかもなぜこんな所に……

 そう思ったとき、遠くから微かな足音が聞こえるのが分かった。

 誰か来る。


 私は近くに花瓶があるのを確認すると、それを口の部分のみ割って破片を手に隠し持った。

 そして破片を持った右手を相手の近くに向けて動かせるよう、横向きになって寝たふりをする。

 やがて、足音は部屋の前で止まると、微かな音を立ててドアが開いた。

 足音は男性。

 しかも訓練された者特有だ。

 感覚を研ぎ澄ませて、目を閉じたまま相手の動きを気配で把握する。

 相手がベッドサイドに近づいたら……頸動脈を切る事が出来るよう。

 もう少し……後……2歩。


 その時。

 足音が急に止まると、頭上から声が降ってきた。


「起きているのだろう。狸寝入りはするな」


 この声は!

 私は、目を開くと起き上がった。


「……ガリア」


「やっと目覚めたか。誤って本当に骨を砕いたかと思った。色々とらしくないな『死神の恋人』」


 私は返事の前に右手に隠し持った破片を握り替え、斬りかかった。

 だが、予測していたのかガルトは軽々と私の手を掴んだ。


「右肩の関節を外しただけだ。首は何もしていない。だが、関節を戻したとはいえすぐにはベストの動きは出来ん」


「私を……どうする気だ」


「どうもせん」


 私はガリアの言っていることが理解できなかった。

 何もしない?

 私を殺そうとしてたのでは無いか。


「リーゼ様には、お前は捜索中と言ってある。今夜中にこの街を出ろ。だがいつまでリーゼ様をごまかせるか分からん。街を出たら一刻も早く山本りむ達に合流するんだ。今、彼女たちはアルバードに向かう道中の、シャムランの丘に入ろうとしている。お前が陸路を進んでいると予想したようだ。昨日の一戦でよく分かった。お前は限界だ。一人で進むのは心身共に」


「なぜ……ガリア」


「なぜ、か。そうだな。それはハッキリしている。私はお前を助けたい」

 

「その理由は無いはずだ」


「いや、ある」


 ガリアはそう言うと私の目を真っ直ぐに見て言った。


「娘の事を守りたいと思わぬ父親はいないからだ。亜里砂」


 え?

 私は完全に虚を突かれ呆けてしまったが、すぐに顔を歪めると左足で蹴り掛かった。

 ガリアは片腕で防いだが、私の右腕を持っているせいか大きくよろけた。


「お父さんを……利用するな!」


 私は叫ぶように言うと、左手で殴りかかったがガリアはそれをあっさり防ぐと言った。


「8月17日。その日、当時4歳のお前を迎えに行けなかった。万物の石の渦に巻き込まれてしまったせいで。その日の朝食は卵焼き。お前は私の卵焼きを好んで食べてくれていたからな」


 私は動きが止まった。

 いや、時間が止まったように感じた。

 なぜ……それを。


「それは、私とお父さんしか知らないこと。どこで調査した……」


「いくらウィザードでも異世界転移する前の人間の詳細を把握するなど不可能だ。だとすれば、この事を知っているのは高木亜里砂と高木翔太親子以外いない」


「嘘……」


 私はやっとの思いでつぶやくと、その場にへたり込んだ。

 頭が……動かない。


「あの森でお前の『守る』と言う言葉を聞いたとき、最初の疑念を感じた。お前は良く私に『守るから』と言ってくれたとき、必ず眉間にしわを寄せて話してた……あの時の表情によく似ていた。そして酒場でのやり取りでようやく確信を持った」


 ガリアは呆然としている私に向かって言った。


「亜里砂……ようやく会えた。ずっと……会いたかった」


 私はガリアの顔を見た。

 そこにはそれまでの鉄のような無表情は無かった。

 そこには……ああ……一緒だ。

 お父さんが泣くとき、いっつも困ったような顔して泣くんだ。

 そんな顔してる。

 私を捨てた男。

 憎い男。

 そのはずなのに。

 でも、気がついたら私はその場で泣き出した。

 ただ、泣いていた。

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