コルバーニの青い花(1)
1月のヒンヤリした風が乗合馬車の淀んだ空気の中を、まるで洗い流すように通り過ぎていく。
ラウタロ国にあって少ない山間部の移動だけに、馬車の中はまるで日本の満員電車のようだった。
お世辞にも快適とは言いがたい環境だけど、贅沢は言えない。
せめてものお詫びにと、部屋に結構な金貨を置いて行ってしまったので、路銀は乏しい。
それに、この劣悪な環境は今の私にふさわしい気もする。
仲間を捨てて、倒すべき敵から文字通り敵前逃亡してしまった私、アリサ・コルバーニには。
昨日の夜明け前、誰にも告げずリムちゃん達の宿をこっそりと出た。
金貨と愛用の剣と手紙を残して。
手紙にはこの身勝手な行動に対する理由を書いた。
全てでは無いが……
なぜこんなことをしたのか。
理由はいくつかある。
1つは現実と向き合うことが怖かった。
夜が明けたらいよいよユーリの住む街へ向かう。
そこで待つ現実。
かつて愛した人が結晶病の元凶を生み出していた。
それによって、今愛している人……リムちゃんがどれほど傷つくのだろう。
その果てにもしかしたら、ユーリに何らかの手を下さなければならないかも……
そんな現実に耐えられなかった。
そして、耐えられなかったと言えばリムちゃんとアンナ。
2人の身に起こった出来事をクロノから聞いたとき、私は嬉しさとも寂しさとも切なさともつかない不思議な気持ちになった。
アンナ、何て強くなったんだろう。
その強さはリムちゃんへの愛なんだろうが……
そしてリムちゃんには心底驚かされた。
彼女はいつの間にそんな勇気を……
そして、浴場での2人の様子を見て、思った。
リムちゃんに必要なのは私じゃ無い。
アンナだ。
私みたいに肝心なときに役に立たない、逃げてばかりの女よりずっと……
それに私は不老不死に近い体質を持つ。
アンナとの方がリムちゃんは平穏な時を過ごせるはず。
そう自覚した途端、自分が独りぼっちになった気がして、怖さが湧き上がってきた。
ベッドに寝ていてもたまらなく怖くて、夜が明けて欲しくなかった。
リムちゃんと一緒に寝られたら……またキスできたら。
彼女の匂いが、温もりが欲しい。
アンナに向けて欲しくない。私だけのもの。
そんな浅ましい事を考えてしまう自分に笑えてくると共に、泣けてきた。
もう私は……リムちゃんの、アンナの守護者でも導師でもないんだ。
色に狂った気持ち悪い女。
外見は12、3歳だが、実際は50を超えている。
自分の心のように歪に歪んで……
私はずっと誰かの1番になりたかった。
物心ついた頃には母は無く、優しかったお父さんは私が4歳の頃、突然消えた。
私を保育園に預けて仕事に行ったまま……
その後、行政の計らいで児童養護施設に引き取られてからも、そのショックから周囲に心を閉ざした私。
大好きだったお父さんに見捨てられた。
そんな現実から逃げるように。
そんな私がこの世界に転移し、ユーリとライムに出会い、コルバーニ夫妻に出会い、ようやく居場所を見つけたような気がした。
でも、本質は変わらない。
好きな人を強引にでも自分のものにしたい。
リムちゃんへのあんな強引なキス。
あれで彼女の心を手に入れようとした。
彼女が私の物になってくれたら、ユーリとライムの空洞を埋められると……吐き気がするほど卑怯な愛。
でも、アンナは違う。
彼女の行為に見返りを求める事はない。
輝く太陽のように。
幼い頃に両親を無くし、私と同じ。いや、それ以上に辛いこともあったろうに。
そう、私は逃げていたのかも。
そして……また逃げた。
もうコルバーニでいたくなかった。
コルバーニだから沢山辛いことに向き合わなくちゃいけない。
リムちゃんにはアンナとオリビエがいる。
クロノも……弱いが知恵者だ。
剣を置いてきたのは決意表明だった。
私はもう何者でもない、普通の娘になろう。
戦いを捨てれば普通の生活が出来る。
普通に生きて、平凡な生活をしよう。
恋は……どうでもいい。
それは思えば日本に居るときからずっと憧れてた生活だった。
父親に見捨てられた自分を背負って生きる事。
いつかお父さんが迎えに来てくれる、と信じていた私。
ずっとどうやって一人で生きていくか考えていた児童養護施設での生活。
そんな私にもやっと普通の少女の生活が……
新しい生活。
そこでならきっと誰かの一番になれる。
私だけを見てくれる誰かに会える。
昼になったら服屋で買った衣類に着替えて、赤いリボンとワンピースはバッグに仕舞った。
他は腰に差した棍棒。
1週間分の携帯食料のみ。
それで山間部を越える乗合馬車に乗り込んだ。
リムちゃん達はもし探すとすれば海路を探すだろうから。
いや、もしかしたらもう愛想を尽かして、先に行ってるかも……
その方が有り難い。
山を越えたら、昔ライム達と旅したときに立ち寄った大きな都市があるはず。
そこで何か仕事を探そう。
当時、ライムと2人で路銀を稼ぐために酒場のウェイトレスをしたときのことが思い出された。
ライム、私にちょっかい出してた酔っ払いにキレて、ピザをその人の顔に叩きつけたっけ……
(アリサに何するの! 私の友達なんだからね。ふざけんな!)
(アリサ、そんなに泣かないで。あなたは悪くないよ。私がキレちゃったのがマズかった。ホントごめん)
ホント、何考えてんのか。
結局バイト首になっちゃったし。
そんな事を考えながらクスクス笑ったけど、次の瞬間には胸がたまらなく苦しくなった。
ライム……なんで。
そう思いながら両手で顔を覆った時、馬車が急に止まった。
あまりに急だったため、私を含む乗客は座席から落ちてしまうほどだった。
敵……いや、そんな気配は無い。
慌てて外に出てみると、馬車が傾いていた。
どうやら車輪が外れてしまったらしい。
「すまない! これは修理に半日……もっとかかるかな」
「おいおい! 急いでるのに勘弁してくれよ」
乗客達から苦情が漏れていたが良くあることなのだろうか。
みんなも慣れているのか、そのうち三々五々にたき火を炊き始めたりしていた。
私はどうしようか。
そのままみんなに付き合っても良かったけど、乗客は男ばかりでそんな中に自分一人は抵抗がある。
彼らが邪な考えを持ち、全員束で襲って来たとしても負ける気はしない。
でももう戦いはしたくない。
少し考えたが、結局一人で山を越えることにした。
御者も含めみんな驚き反対したが、私はお礼を言ってスタスタ歩き出した。
山に入ってしばらく歩くと、高い木々が増えたせいか道が薄暗くなってきた。
やれやれ、地図とコンパス持ってきてて良かった。
そんな山道を歩いていると、この世界に初めて来たときのことが思い出される。
あの時パニックになりながら山道を彷徨っていたっけ。
お陰でユーリとライムに会えたけど。
そう思いながらノンビリ歩いていると、数メートル前方に生き物の気配を感じた。
あれは……人では無いな。
そう思った時、目の前の藪から一体の大きなモンスターが現れた。
筋肉質だが不潔な身体に鬼のような顔。
「オーガか……」
私は腰の棍棒を握った。
戦いたくは無いけど、さすがにこの山を越えるまでは解禁にするか。
そんな私を見て、オーガはうなり声を何度も上げた。
まるで、久しぶりのエサに喜びを抑えられない獣のようだ。
ゆっくりと棍棒を抜こうとした私は、次の瞬間目を見開いた。
背後から凄い勢いで飛んできた石がオーガの右目に当たり、苦しみだしたのだ。
振り返った私は、驚きのあまり思わずその場に固まった。
カールした長い金髪。
クリクリとした良く動く青い瞳。
私と同じくらいの背格好。
そこに立っていたのは、まるで一緒に旅してた当時のライムそっくりな少女だった。
違うのは、当時からライムはゴスロリのドレスをかたくなに着ていたのに対して、彼女は革鎧に身を包みスリングショットを構えていた。
「ライム……」
思わずつぶやいた私に近づいてきた彼女は、私の手をギュッと握って走り出した。
え? ええっ!?
「あなた、なにボーッと突っ立ってたの? 死にたいの! あれ、とっても怖いモンスターなんだからね」
「あ……うん」
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