大嫌いな剣

「わあ……」


 目の前に広がる一面の湯気と、暖かい空気。そして広々とした温泉に私は一気にテンションが上がってくるのを感じた。

 宿の温泉はかなり評判が良い所だったと聞いてたけど、磨き上げられた大理石のような壁に椅子。

 そして、天然の岩場をそのまま残した温泉は家族で行った某スーパー銭湯のように感じられ、心が浮き立つ。


 あの後、宿に戻ってみるとコルバーニさんとオリビエはすでに全て終わっていて、私たちの様子を呆然と聞いていた。

 怒られるかな……と、思ったけどコルバーニさんは何とも言えない泣き笑いのような表情で私とアンナさんを見ただけだった。

 オリビエも優しく笑いながら私の頭を軽く撫でていた。


 終わった……で、いいんだよね?

 でも、いつまでも考えていても仕方ない。

 今はせっかくのお風呂なんだ。

 ぐっすりと眠った後で、私が目覚めたのは真夜中だったせいか、浴場には誰も居ないみたいだ。


「こんな広い温泉……独り占め!」


 私は開放感から思わず声を上げて、身体を洗おうといそいそ向かうと、隅の椅子で誰かがビクッと身体をすくませたのが見えたけど、湯気でよく見えない。

 あれ?

 こんな時間に先客いたんだ。


「すいません。大声出しちゃって」


 そう言って頭を下げると、湯気の向こうの人は「いいえ。お気になさらず」とボソッと言った。

 あれ? この声は。


「アンナさん、入ってたんだ」


 そう言って近づくと、やっぱりアンナさんだった。

 けど、何故かアンナさんは椅子ごと後ずさりしている。


「そんな露骨に避けなくてもいいじゃん」


「申し訳ありません……でも……ヤマモトさんの裸体を見るなど……ああ、お美しい……じゃない! ああ! 邪念よ去れ!」


 そう言って近くのお湯をすくっては、修行中のお坊さんみたいに何度も頭からお湯をかけていた。


「べ、別にいいよ! 女の子同士なんだから……」


「そ……そう……ですよね。そっか……堂々と見ても……へへ。じゃない! ああ! 邪念よ去れ!」


 そう言ってまた、お湯を頭からかけ始めたので切りが無いと思い、声をかけた。


「良かったら身体、洗おうか?」


「はへ? か、身体……ヤマモトさんが!」


 アンナさんは壊れた人形みたいに首をガクガク何度も縦に振ったので、私は石けんを付けてアンナさんの身体を洗い始めた。


「ああ、これって……あの書物の159ページに書かれていたのとおんなじ。ここから、リルルとメルはいい感じに……『ああ……何て綺麗な肌』『そんな』『いつまでも洗って……いいえ、触れていたい』『ああ! そんな恥ずかしい』『ふふ。そう言って身体はとっても正直』」

 

 身体を真っ赤にしながら、何やら聞こえるか聞こえないかの小声で延々とつぶやく様子に、心配になる。

 アンナさん、のぼせてる?


 洗いながら、アンナさんの背中を見た。

 アチコチに傷が残ってる。

 万物の石でも傷は消せない。


「ゴメンね。私のために」


「……大丈夫です。見苦しい物をお見せしちゃいましたね」


「ううん。アンナさん、とっても綺麗だよ。この傷も……」


 そう言って傷をそっと撫でる。


「私、ずっと剣が……大嫌いでした」


「え?」


 突然つぶやいたアンナさんに驚いたけど、アンナさんは構わず続けた。


「早くに両親が死んで、兄妹を養うために必死で……剣術は好きで始めたわけじゃ無かった。剣の関係のお給金が高かったから。それだけです。身体を動かすことは元々苦手で……本当はお勉強したり本を沢山読みたかった。でも、お金の高い仕事をしないと……先生は気さくで優しかったけど、訓練は辛かったし、ギルドでもらう任務も死と隣り合わせで怖かった。下心で近づく連中もいたし。でも、自分や兄妹の人生が掛かってる。必死で食らいつきました。そんなギルドの仕事も子供、しかも女ではまわってくる数も少ないから煙突掃除もして」


 私はアンナさんの言葉をじっと聞いていた。


「そんな日々で疲れ切った帰り道。街を歩くと同じくらいの歳の子達が本を読んでたり、学校帰りの制服姿でパフェを食べてた。それを見るたび心がざわついて……そんな自分が嫌で。そのうち、自分の心に蓋をした。剣でお金を稼ぐんだ。剣なら誰にも負けない。あの子達にはこんなこと出来ないんだ。私は剣を愛してる。運命の出逢いなんだ。そう言い聞かせて。先生に内緒で非合法な護衛や輸送もしてました。……そんな時、あなたに出会った」


 そこでアンナさんは振り返って私を見た。

 その顔はとっても優しかった。


「最初は先生のお気に入りの子が遊びで剣を習いに来たんだな……って思ってた。払ってもらったお金の分、気分良く遊んでもらおう。それで終わり。そう思ってた。でも……あなたは私に言ってくれた『パフェ食べに行こう!』って。そしてすすに汚れた顔を拭いてくれたし……泣いてくれた」


 あ、あの時……

 カンドレバの街で煙突掃除をしていたアンナさんの顔が浮かんだ。


「ううん……あの時は、アンナさんを守れなかった。口ばっかで」


「いいえ。私、生まれて初めて『女の子』として接してもらえた。そして、初めて他人に本気で接してもらえた気がしました。私、女の子でいいんだ……そう思わせてくれたのはヤマモトさんです。私は初めて剣術を覚えて良かったと思いました。……だって、あなたを守れるから」


 アンナさんはそういうと振り向いて私をじっと見た。

 アンナさんの顔が仄かに赤いのは。

 そして私がすごくドキドキしているのはお風呂のせいなのかな……


 アンナさんから目を離せず、じっと見ていると入口の方で本当に小さく足音が聞こえた気がした。 驚いて音の方を見たけど、そこには誰も居なかった。

 気のせいかな……


「今、誰かいましたね」


 アンナさんが恥ずかしそうにつぶやいた。


「そ、そうだね……そろそろ温泉入ろっか。冷えちゃったかも」


「え! そ、それは大変! ヤマモトさんがお風邪など引いたら……で、でもその際はお任せを! あの書物の206ページでリルルがメルに行ってた『自分の口から相手の口へ直接飲み物を提供する技術』を……」


「い、いや! 大丈夫だから! ……ってか、その書物ってなんなの?」


 それからしっかりと暖まった私たちは幸せな気分で部屋に戻った。

 明日からは仕切り直し。

 いよいよおじいちゃんに会いに行く。

 そんな不安と緊張感に包まれていたせいか、中々寝付けなかった。


 その翌朝。

 そんな不安や緊張は完全に消え去っていた。


 いや、正しくはそれどころじゃなかった。

 一向に食堂にやってこないコルバーニさんを心配して、部屋に向かった私たちが見た物。 それは、私物の一切が整理された室内。

 そして、机の上にはコルバーニさんの剣と革袋に入った金貨。そして……一通の手紙が残されていた。

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