花の蜜のような
まるで大河のような広い水路を進むカヌー。
月の出ていない漆黒の夜空と同じく深い黒に塗られたような水面は、まるで暗闇に飲み込まれるような怖さを感じてしまう。
そんな怖さから逃れるように、私は目の前でカヌーを漕ぐコルバーニさんの背中を見つめた。すると、背中をむけているはずなのに、私の視線に気付いた様で声をかけてきた。
「眠れない?」
「……はい」
エルジアさんの館を出た私たちは、次の目的地であるアルバードと言う街に向かっていた。
コルバーニさんが言うには、アルバートは2つほどの街を越えなければならず、長旅になるのだと言う。
あの後。
エルジアさんが私たちに話したことは、ライムの言ったとおり自分とおじいちゃんが昔、共同研究で万物の石を使いウイルスを生み出したこと。
エルジアさんは愛国心の強い人で、そこにラウタロ国の先代国王、ジョゼッペ・ザクターから万物の石の研究を依頼されたこと。
エルジアさんはその後に起こった事態への
そして……おじいちゃんはアルバードの街にいると言うこと。
「ごめんなさい。これ以上はユーリ本人から聞いて欲しい。彼の事情は彼で無いと分からないことが多い。私だけだと歪んだ情報になる。ただ、彼は……アルバードと言う街にいる」
それを聞いた私たちはエルジアさんの館を後にした。
エリスちゃんは彼女達が丁寧に弔ってあげるとのことだった。
これまでの天に召された子どもたちと同じく。
「ねえ、リムちゃん」
おずおずと話すエルジアさんを見て私は小首を傾げた。
その表情はまるで憑き物が落ちたみたいに可愛らしい。
「リムちゃんって……呆れるくらいのおバカさんよね。でも、そのおバカさんに私達は驚かされっぱなし。それじゃ悔しいから、この先何かあったらここに来るか、手紙で私を呼びなさい。お返しくらいしてあげる」
そう言ってエルジアさんは、住所を書いたメモをくれた。
「エリスちゃん、とても幸せそう。良かったね……」
そうつぶやくエッタさんは憑き物が落ちたような表情だった。
「リムちゃん、アンナちゃん、アリサちゃん。用事が終わったらまたここに来て。今度は本当に楽園を見せてあげる」
そんな言葉を言いながら、握手をして別れた。
*
「何か……考えてた?」
「コルバーニさんこそ」
そう言うと、コルバーニさんはクスクス笑いながらオールをカヌーに固定して、私を振り向いた。
そして、私をそっと手招きした。
私はぐっすり寝ているみんなを起こさないようにそっと近づくと、コルバーニさんの隣にそっと腰を降ろした。
「お互いおんなじ事考えてるよね」
「……おじいちゃんの事」
「だよね」
私たちはボンヤリと夜空を見上げた。
「私、高校に入ってからずっと学校に行けてなかったんです。怖くて。理由はバカみたいな事。入学式が終わって、授業が本格的に始まった頃に自己紹介があったの。私、すっごく緊張してて、自分の番になったとき声が裏返っちゃった。その時……どこかからクスクスと笑い声が聞こえたんです」
コルバーニさんは無言だったけど、私をジッと見ていた。
「それ聞いて、怖くなった。その程度、です。でも当時の私には自分を全否定されたように感じた。そして怖くなって、学校に行けなくなりました。そんな私におじいちゃんは言ってくれた『りむは自分でも知らない凄い力がある。きっといつかそれが分かるときが来る』って。優しく笑いながら。それって……不老不死にしたり、赤い犬さんを出す力なんですか?」
話しながら、自分が泣いているのが分かった。
私、なんで良くなれないんだろ。
いつまでたっても行ったり来たり。
「おじいちゃんは私にとって、優しくて正しい人だった……ホントなんです」
涙が溢れてくる。
苦しくてしゃべれない。
フッと見ると、その顔も涙で濡れていた。
泣いて、体温が上がっているせいだろうか。
コルバーニさんから何とも言えない、甘い香りがした。
まるで……花の蜜のような。
「一緒だね、私たち。ユーリを支えにしてた。そして、いつまでたっても強くなれないよね」
コルバーニさんは私をさらに強く抱きしめた。
「……リムちゃん。顔……見せて」
私は、言われるままに顔を上げた。
コルバーニさんの顔がほんのすぐ近くにある。
「リムちゃんの目……ユーリみたい。出会った頃の彼みたい」
「そんな事……ないです」
コルバーニさんは涙を流しながら言った。
「リムちゃん……口……凄く濡れてる。綺麗にしなきゃ」
「え? うん、大丈夫で……」
そう言ったとき。
コルバーニさんの顔が急に近づいて、その唇が私の唇と重なった。
私は驚きのあまり固まってしまった。
目を見開いたまま見ると、コルバーニさんが僅かに震えているのが分かった。
何を考えているのか分からなかった。
でも、なぜかそのまま私も目を閉じて、コルバーニさんが手を私の頭の後ろに回すのもそのままにしていた。
とってもいい香りだな……
そんな事をぼんやりと考えていると、やがてコルバーニさんは顔を離して
「アンナには……言えないね」
「……はい」
アンナさんの顔が浮かぶと、なぜか胸がギュッと締め付けられるように苦しい。
っていうか痛いくらい。
私はわざと明るく続けた。
「私、分かってるから大丈夫ですよ! コルバーニさん、きっと……」
「ユーリの代わりじゃないから」
え?
心臓がドクンと大きく鳴った。
コルバーニさんはそんな私を見ようとせず、背を向けて立ち上がると再びオールを漕ぎ出した。
「リムちゃんは行ったり来たりじゃないよ。あなたは凄い力を……魅力を持っている。みんな惹きつけられる。多分、あなたこそが……」
コルバーニさんはそこまで言うと、僅かに首を横に振って続けた。
「リムちゃんはもう寝てね。私はまだ漕いでるから」
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