まるで墨汁のような闇

 空にポッカリと浮かぶ大きな満月。

 その満月が静かな光をカーテンのように私たちに下ろし、それが水面を照らし反射する。

 周囲の建物はその水に沈んでいて、水面から出ている部分は純白の白で、屋根は宝石のような深い深い青。

 それは美しい、と言う言葉では足りないくらいの世界だった。

 人って、あまりに美しい景色を見ると、言葉が出ないんだな……


「ここがスピリオ。水に半分以上を支配されたラウタロ国の中でも特に海水の浸食が激しい街。そのため、住民は海面から出ている部分で生活している」


 コルバーニさんの淡々とした口調に対して、私たちはまさにお上りさんのように周りを見回していた。

 ああ……スマホがあったらきっと、写真撮りまくってたな。


「何というか……凄いところだな。異世界だ」


 クロノさんが驚きに満ちた口調で言った。


「そうか? この街こそある意味ラウタロ国を体現した所。ライムが最初にこの街に行けと言ったのは違う意味なんだろうが、この国の光と影を見る意味ではあながち間違ってないのかも知れんな」


「先生。この街は何があるんですか? さっきから含みを持たせた言葉が多いのですが」


「それに答える前にオリビエ。アンナ。この街に居る間は水面への注意を怠るな。先に話したようにこの街に限らずだが、ラウタロ国は貧富の差が激しい。貧しい者たちは富める者、またはそれらしい者を激しく憎んでいる。その憎悪の対象を狙い金品や食料を奪うことで生活の糧とする者がいる。……こんな風に!」


 そう言うとコルバーニさんは突然、両手で漕いでいたオールを軽やかに頭の上で回すと、それを遠心力によってゴンドラの少し前の水面へと勢いよく叩きつけた。


 え!? な、何!


 心臓が飛び出すかと思うくらいビックリしたけど、私はその後の光景にもっとビックリした。

 コルバーニさんが叩いた水面から、二人の人が飛びだしてきたけど……その姿は私が知っている「人」の姿では無かった。

 身体の3分の2くらいだろうか、緑の鱗に覆われていて僅かに残った部分が、まるで魚のようだった。

 そして、結晶に包まれた二人(?)はゴンドラの両端に出ている建物の柵らしき所に飛び乗って私たちをじっと見ている。


「珍しいな『大人の患者』か……欲に負け、盗賊まがいになっては……」


 コルバーニさんはそうつぶやくと、剣を構えたオリビエとアンナさんに向かって鋭い口調で言った。


「二人は山本リムとクロノを守れ! コイツらは私が戦う」


「ですが先生! コイツらは普通じゃありません。お供を!」


「コイツらは結晶病の感染者だ。お前ら……特にアンナに感染する前に倒す必要がある。お前らはまだ戦い方を知らん」


 そう言うと、コルバーニさんはオリビエにオールを投げて渡すと、腰の剣を抜きすでに飛びかかっている一人に向かって切りつけた。

 閃光のようなその刃の動きは、確実に相手の胴体を切った……はずが、逆にコルバーニさんの剣が折れた。

 うそ! あれじゃ戦えない!

 しかももう一人も一緒に飛びかかってる……


 悲鳴を上げて目を閉じようとした私は思わず目を見開いた。


 コルバーニさんは腕を一振りすると、そこから飛び出したナイフが剣を折った人の顔の右上の結晶の無い所に刺さった。

 そして次の瞬間、コルバーニさんは飛びかかってきたもう一人に向かって、まるで魚のように右足を跳ね上げて蹴りつけた。

 その人は身体を反らせてかわしたけど……首から血を出している。

 見ると、コルバーニさんの右足のつま先から細長いナイフのような物が飛び出していた。


「私の血液を塗り込んでいる。二人とも人として冥界へ行け」


 すでに目の前の水路に落ちた人に続いて、首から血を出している人も大きな音を立てて水の中に落ちた。

 その音は二人の身体と共に、目の前の水面の墨汁を溶かしたような深い闇に吸い込まれるように消え、それっきり浮かんでこなかった。

 私は、それを見ているうち身体が震えだし、それは収まるどころかどんどん酷くなっていった。


「腕が落ちたな。結晶部分を切るとは……ん? どったのリムちゃん? ゴメンね~怖がらせちゃって」


 心配そうにのぞき込むコルバーニさんに向かって、私は身体を震わせながらゆっくりと言った。


「……違うの」


「何が?」


 そう言いながら、コルバーニさんはまるで能面みたいに表情が無かった。


「……怖くないの。さっきのを死んじゃった二人を見てても全然。ううん、逆に……ワクワクしてるの! ねえ! 私どうしちゃったの!」

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