ほんとうの勇気
「ヤマモトさん? 大丈夫ですか」
アンナさんの声に私はハッとして慌てて顔を上げた。
「ごめんなさい、ちょっと考え事をしてて」
「大丈夫です。疲れたんですよね。慣れない訓練ですもんね」
「いいえ、お陰で楽しくやれてます。でも、アンナさん凄いですね。そんな若さなのに先生とか……」
「いえ全然です。私なんて先生に拾ってもらった身分なので」
「拾って……」
「はい、元々はここの生徒でヤマモトさんと同じく剣術を習っていたんですが、仕事が見つからなくて困っていたときに、道場の講師のお仕事を紹介してくれて……私、弟と妹合わせて3人の面倒を見てるんで、お金が必要なんです」
「え? ご両親は……」
「死にました。私が9歳の頃、森でモンスターに襲われて。それからはわたしが親代わりに弟と妹たちを育ててきました。だから出来る仕事は何でもしています。モンスターからの護衛も単価が高いので、良くやってます。そのためにこの道場で訓練を」
私は目の前のアンナさんに対して何も言えなかった。
なんて強い人なんだろう。
私は、自分がお金を稼いで自分の力で、大事な人を死ぬ気で守る、なんて考えてもいなかった。
周囲からの
包んでくれている羽に居続けるため。
もっと沢山の人に包んでもらうため。
その対価として「良い子」で居続ける……
でも……この人は自分が「包む側」なんだ。
私は夕方になって、ライムを連れて1人街を歩いていた。
オリビエとブライエは新しい依頼に出ている。
私は当面、訓練に専念して欲しいとの事だった。
この街の事も段々分かってきて、危ない場所や時間が分かってくると、1人でもある程度は歩けるようになってきた。
この町の鮮やかな色彩や装飾を見ていると、沈んだ心が浮かんでくるような安心感を感じるから。
ボンヤリと家々を眺めていると、ふとある一件の家に目がとまった。
そこは煙突のあるひときわ大きな家だったけど、そのてっぺんに人影が見えた。
その人影は煙突を降りると、屋根にかかったはしごで降りてきた。
あれ……アンナさん。
驚いて突っ立っている私に気付いたのか、アンナさんは恥ずかしそうにぺこりと頭を下げた。
「どうも、ヤマモトさん」
「それは……どうしたんです?」
「お恥ずかしいところを……煙突掃除のバイトをしてたんです。単価が高いから訓練の後によくやってて」
すすまみれの格好で恥ずかしそうに笑うアンナさんを見て、私は居ても立ってもいられなくて、思わずハンカチで顔を
「女の子なんだから……」
アンナさんは最初、ポカンとしていたがすぐに恥ずかしそうに笑った。
「有り難うございます。女の子扱いなんて……いつ以来だろ」
「アンナさんはとっても可愛いです! いつか……コルバーニさんと3人でパフェ食べに行きましょう!」
「パフェ……」
アンナさんは頬を蒸気させて、目を潤ませた。
「どんな味なんだろ……」
「とっても甘くて美味しいですよ。特に白いクリームのフワフワした口溶けと染み渡る甘さと言ったら……もう!」
「もう?……もうってなんです! 聞かせて聞かせて!」
「えっとですね……あの甘さは……」
その時。
背後からの突然の怒鳴り声で私の言葉が止まった。
「掃除終わったのか、クソガキ! 無駄話してんじゃねえよ、日当下げるぞ!」
驚いて振り向くと、そこにはデップリ太って、ランプの魔神みたいな口ひげをはやした男性が立っていた。
「すいません、掃除は全て終わっていますので、ご安心を」
アンナさんは慌てて頭を下げたが、ランプの魔神は舌打ちをして言った。
「だからってヘラヘラしゃべってんじゃねえよ! おしゃべりは日当に入ってんのか! 見に来て良かったぜ。貧乏人の考えはすぐ分かる。どうせ手を抜いて満額もらおうとしてたんだろ。次やったら半分に減らすぞ」
そう言ってランプの魔神はアンナさんに向かって、封筒を叩きつけた。
「今日の分だ。ったく、せっかく女と会う所なのに、てめえの汚え姿見たお陰でテンション下がっただろうが」
そんな言葉にアンナさんは、笑顔で頭を下げる。
「やっぱ気が変わった、ご主人の前で汚え格好見せた罰だ。日当1割引な……って、なんだ、お前? 何、にらみ付けてんだよ」
私は気がついたら、ランプの魔神の前に進んでいた。
「この人は……サボっていません。終わった後でお話ししてたんです」
「だからなんだ」
「これって日当引く理由にならないですよね?」
そう言った直後。
私は胸ぐらを
「殺すぞ、お前」
その冷たい口調と目に私はすくみ上がった。
それはこの前の4人の男性の時と同じ恐怖感だった。
「すいませんご主人様! 私が無理矢理声かけたんです。この人嫌がってたのに。日当の1割分です。どうかお納めください」
アンナさんが封筒から数枚の
「……運が良かったな。今日会う女を落とす前に、無駄な労力使いたくねえんだよ、こっちも。この金で手打ちにしてやる。だが、次同じことしたら本当に殺すからな」
ランプの魔神はそう言うと私を地面に落とした後、舌打ちをしてアンナさんから
私は激しく震えながらその姿を見送っていた。
「……ごめんなさい、ヤマモトさん。巻き込んじゃって」
「違うんです……違う。私……守れなかった……怖かった」
「それは仕方ないです。いきなりあんな目に遭ったら誰だってそうなります。私が悪いんです」
「違います! あの時……ただ『助けて』としか思えなかった。自分の事だけ……アンナさんを助ける勇気なんて……どっか行ってた!」
私はそう叫ぶように言うと、そのまま走って行った。
走りながら涙がボロボロと
でも、そんなものに構わず私はコルバーニさんの道場へ走って行った。
オリビエもブライエさんもいない。
でも、誰かに聞いて欲しかったのだ。
暗がりに包まれた道場で、コルバーニさんは1人素振りをしていた。
それはあの時と同じく羽のように美しく舞っているように見えた。
コルバーニさんは入り口で泣きじゃくる私を驚いた表情で見た。
「……どうしたの?」
私は道場の軒先にコルバーニさんと並んで座ると、泣きながら一部始終を話した。
「……そっか。辛かったね」
「私、小さいときからそうだったんです。肝心な時に怖がって逃げちゃう。大事なものを守れない。みんなとっても勇気があるのに。私はいつまでたっても怖がりで……勇気なんて、私には無理なんです」
そう言ってまた泣き出した私の背中を撫でながら、コルバーニさんはそっと言った。
「ねえ、リムちゃん。勇気ってなんだろね」
「それは……どんな事にも怖がらずに、真っ直ぐ立ち向かう強い心……」
「ちょいと違うかな。私が思う『勇気』ってね……『小さな一歩を踏み出そうとする気持ち』だと思う」
「小さな……一歩」
「そう。怖がりながらでも必死に一歩。何とか一歩。ってちょっとづつ進むこと。泣きながらでも、時には逃げながらでもまた一歩足を前へ。かっこ悪くたっていい。ちょっとだけ足を出せれば……それが『勇気』って言うんじゃ無いかな」
その言葉に私は止まったはずの涙がまた
「私……できるかな……」
「出来るよ。だってリムちゃん、助けようと思ったじゃん。ちょっとでも足を進めようとした。それが『勇気』なんだよ」
私は涙が止まらなくなって、いつしか声を上げて泣き出した。
コルバーニさんはそんな私を抱き寄せて、優しく言った。
「よしよし、辛かったね。今から一緒にご飯食べる? あったかいスープ作ろうと思ってたんだ」
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