早くお家に帰りたい

「オッケー、堅苦しい挨拶は終わり! オリビエさんとブライエさん、ここからは敬語抜きでね。私の事はライムでいいよ。そっちのブライエさんもね」


「ふむ。じゃあ、よろしくな。ライムちゃん。俺の事もオリビエでいいよ」


「私も同様だ」


「オッケー、じゃあこれからはそれでね」


 ってか、なんでライムがエラそうに仕切ってるんだろう?

 そんな疑問などお構いなしに、ライムは楽しそうにオリビエとブライエの周りを飛び回っている。


 っと、そんな事を考えていると、いつの間にか空からの光が急激に朱色に染まっているのが分かった。

 そっか、もう夕方なんだ。


「じゃあリムちゃんとライム。ここからちょっと頑張って着いてきてもらってもいいか? もうすぐ暗くなるから、その前に野宿出来るところを探したい」


「ありそうですか?」


「目星をつけたところがある。本当はもうちょっと歩くと、より開けた場所があるんだが、二人とも疲れてるだろ? 早く休んだ方がいい」


 オリビエはそう言うと歩き始めた。

 ブライエさんも無言で歩き出す。

 私もライムを連れて、頑張って早足で追いかけた。


 流石に鍛えられた足腰だけあって、オリビエもブライエさんも信じられない早さで進んでいく。

 気を抜いたら置いて行かれそうだけど、そこは流石オリビエさん。

 ちょこちょこ振り返っては、待っててくれる。

 

 それに引き換え……


「リム殿、置いていくぞ。力を振り絞れ」


「りむ~、遅すぎてカビ生えそうだよ。気合いだ気合い~」


 コイツら……

 いつか仕返ししてやる。


「ライムなんて飛んでるだけじゃない!人の苦労も知らずに」


「『人生は平等じゃ無い。その事に慣れるんだ』ビル・ゲイツの言葉、知らないの? りむ」


 その時、オリビエが私の近くに来て微笑みながら言った。


「リムちゃん、いいよゆっくりで。置いてったりしないから」


 そう言うと、私の近くに来て革袋から何かの粒を出した。

 見ると、鮮やかな黄緑色で形は干しぶどうを一回り小さくした感じ。

 柑橘系の甘く心地よい香りがフワッと鼻腔をくすぐる。


「良かったらどうぞ。これは『カムラ』と言う果実を干した物だ。小さいがとても甘くて、疲労回復に役立つ。腹持ちもそこそこいいから、非常食にもなるんだ」


 お言葉に甘えて、カムラと言う実を一粒取り口に入れる。

 すると噛んだ途端、驚くほど沢山の甘酸っぱい果汁が口に広がり、私の意識を一気に目覚めさせた。

 何これ……美味しい!

 私は思わず顔をほころばせて、オリビエを見た。


「気に入ってくれたようだな。袋ごとあげるよ。チョコチョコつまむといい。さて、行こうか。あと、足が痛くなったらすぐに言うんだ。無理は決してしないように」


 オリビエはそう言うと、その後さりげなく私の斜め後ろについて、歩いてくれた。

 なんて言う紳士……


 それからはオリビエの励ましと、カムラの実の効果もあって何とか置いて行かれずに歩くことが出来た。

 そして、少しするとオリビエの言うとおり少しだけ開けた空き地のような所に出た。


「今夜はここで野営しよう」


 オリビエの言葉にブライエは黙々と火の準備を始める。

 その後、二人が周囲の偵察を終えた時には周囲はすっかり暗闇に覆われていた。


「もう秋だからな。日が沈むのが早い。何とかここに来るのが間に合って良かった」


 ブライエが私の方を見て言った。

 う~ん。嫌われてはいないと思うけど……ホントに不器用なんだな。

 スイミングスクールの先生を思い出す。

 不器用で無表情だけど、とても熱心に教えてくれた先生……

 

 その時、私はフッと自分の心に何とも言えない「ズンッ」とでも言うような、重い物が乗ってくるように感じて戸惑った。


 あれ……?

 何、これ……


 その重い物は消えるどころか、段々大きくなってくる。

 先生の事を思いだしたら急に始まっちゃった。

 たき火はとても暖かく、身体の緊張も溶けていくようだったけど胸が苦しい。

 その時、私はふと思い出した。


 そうだ、今日スイミングスクールの日だったんだ。

 私の大好きな日。

 無表情だけど優しい先生。

 やっと心の中の「ズンッ」の理由が分かったけど、そうなるともうダメだった。


 私は立ち上がると「ちょっとお手洗いに」と言って少し離れた藪の向こうに行った。

 そこはたき火の光が僅かに照らすものの、黒の絵の具を塗ったように暗い。

 でも、それでいい。


 私は、そこにしゃがみ込むと両腕で身体をギュッと抱えた。

 

 そう。

 私はどうしようも無く家に帰りたくなったんだ。

 オリビエもブライエさんも優しい。

 ライムも悪い子じゃなさそうだ。

 何より、おじいちゃんを絶対に連れて帰りたい。

 でも……でも。

 ここは私の世界じゃ無い。


 喧嘩しながらも優しいパパとママ。

 今日の夕食はエビフライにするって言ってた。

 私はエビが大好きなんだ。

 今夜は、私の好きな動画配信グループのゲーム実況を見ようと思ってた。


 いつ帰れるのか、本当に帰れるのか分からない。

 パパやママに会いたい。

 スイミングの先生に会いたい。

 お布団で寝たい。

 動画配信も見たい。


 段々と涙があふれてくる。

 どうしよう……でも、みんなに迷惑かけたくない。

 我慢しないと……もし怪物とかに気付かれたら。

 早く戻らないと、心配させちゃう……良い子でいなきゃ。早く……我慢して!


 その時、背中をポンと優しく叩かれたのでビックリして振り返ると、そこにはランタンを持ったオリビエがしゃがみ込んでいた。


「どうした? 体調でも悪いのか」


 私はブンブンと首を振った。


「そうか……じゃあ……辛くなっちゃったか」


 私は無言で小さく頷いた。

 この人の声を聞いてると、なぜだかポロポロと気持ちが漏れ出す。


「我慢してるんだな。無理しなくていいよ。人はそんなに強くない。って言うか強くならなくていい」


「……そう……なの?」


「ああ。だから人は助け合う。だから友達とか仲間を持つんだ。無理矢理気持ちに蓋をすると、その気持ちはいつしか心の中で腐ってしまう。そうなると……もっとやっかいな感情が出てくる。そして……取り込まれる」


 そう話すオリビエの顔は何かの痛みに我慢しているように見えた。


「リムちゃんはどうしたい? 心のままに吐き出すといい」


 その言葉が呼び水になったかの様に、あふれていた涙が次々とほほを伝う。

 そして顔をおおうと、声を上げて泣いた。


「……帰りたい! お家に帰りたいの! パパ……ママ、先生……」


 オリビエは何も言わずに、ただ優しく背中を撫でてくれた。

 それは昔、何かで泣いた時におじいちゃんが背中を撫でてくれた時と凄く良く似ていた。

 全てを包んでくれる暖かい空気。

 その空気の中で私は声を上げて泣いていた。


 ひとしきり泣くと、驚くくらいにスッキリした。

 さっきまでの胸の「ズンッ」もほとんど分からないくらい小さくなっている。


「ありがとう。なんだかスッキリした」


「だろ。辛いときは泣くといい。泣きたいだけ泣くと『何とかなるかも』って思える」

 

 オリビエは優しく言うと、私の頭を優しく2回ほど叩いた。

 

「大丈夫。君は絶対お家に帰れる。俺が約束する」


「有り難う……オリビエの言葉なら信じる」


「おっ、嬉しいね。俺は約束を破った事はないんだ」


「ふふっ、そう思う。ところで、オリビエも泣きたくなることってあるの?」


「……ああ、あるよ」


「その時は……私がそばにいる。だから思いっきり泣いて欲しい」


 オリビエは驚いたように私を見ると、子供のような笑顔を見せた。


「そりゃ嬉しいな。その時はぜひ頼むよ。できればギュッと抱きしめてくれればなお良し、だ」


「……え」


 思わず顔を真っ赤にした私に、オリビエは笑いながら言った。


「冗談だよ。すまなかった。君のような子に言うにはちょっと品が無かったな。さ、戻ろう。ここだと身体も冷える」


「うん」


 私たちはたき火の方に戻った。


 そして、翌日。

 

 森の中の泉のほとりで私たちは呆然としていた。

 その視線の先には倒れているブライエさん。

 彼の顔は土気色になっていて、すでに息もほとんどしていない。

 そう。

 ブライエさんはいつ死んでしまってもおかしくなかった。

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