海のような青い鳥

 え……刺されるの? 出て行け、って?

 

 自分の身に起こったことが信じられない。

 私は今、まぎれもなく敵意……しかも本物の敵意を向けられていた。


「聞こえ……なかったか。出て……いけ」


 だが、私はすぐにハッと気付いた。


 この人、皮膚が青白くて冷や汗がすごい。しかも……呼吸が明らかにおかしい。

 そう、出血性ショックの症状だ。

 

 ママがよく、看護師としてお仕事している病院での事を話してくれていたが、その時に聞いた「大量の出血で生命の危険がある」と言う人の状態とよく似ていた。

 見ると、お腹から血が流れ続けている。


「あの……血が……沢山」


「もう一度言う。出て……」


 そこまで言うと、急に向けられていた剣が下がった。

 そして男性は、糸の切れた操り人形のように力を無くし、そのまま気を失った。


「オッケー、りむ。早く逃げよう」


「えっ! でもこの人……このままじゃ」


「は? さっきまで剣向けられてたんだよ。次に意識戻ったら『ブスッ!』だよ」


 右手で突き刺す真似をしてくるライムにそう言われ、私はハッと気付いた。

 そうだ、わたし殺されかけたんだ。


「う、うん……そうだね」


 小さくうなづくと、そっと穴を出た。

 そして歩き出す。

 ごめんなさい。わたし、おじいちゃんを探さないと。


「どうしたの、りむ。泣きそうな顔して」


 心配そうに言うライムの声にハッと顔を上げた。


「ちょっと……思い出したことがあって」


「それはいいけど、早く行かないと。日が沈む前に一晩過ごせそうなところを見つけなきゃ。どうしようね」


「ライム、過ごせそうな所とか作ったり出来ないの?」


「私、空飛ぶのが専門だから」


 私は軽くため息をついた。

 そして、また意識が目の前のライムから、森から離れ7年前の小学4年生の頃に戻った。

 岸から溢れて、生き物のように勢いよく流れる川の水。

 それを見ながら呆然と立っている私。

 そして……


 その時、ライムが急に身体を強ばらせた。


「なに? どうしたの?」


「ヤバい。鎧の音が……3人。近くに居る」


 え……


「それ、ヤバいの?」


「そりゃそうでしょ。さっきの奴の仲間かもよ。それか盗賊なら私たちも狙われるし」


 私はすくみあがった。

 さっきの剣の切っ先の鋭さが脳裏に蘇る。

 私とライムは慌てて、近くの木陰にしゃがみ込む。


「ラッキーだよ、りむ。さっきの3人、あの赤い髪の人を狙ってたみたい。そんな事話してた! 私たちじゃなかった」


 様子を見る、と物音の方に飛んでいったライムが戻ってきて報告してくれた。

 だが、私は安堵するどころじゃなかった。


「じゃああの人……」


「お気の毒様! だね。まだ奴らとは離れてたけど、もうそろそろマズいかも」


 そう言って念仏を唱えるように目を閉じて両手を合わせるライムの言葉が、頭の中でグルグル回る。

 そして……私は自分の身体が震えてくるのを感じた。


「え? ね、ねえ……りむ!」


 私は気がついたらさっきの木の穴へと走り出していた。

 赤毛の彼の居る木の穴へ。


 あの日……6年前の7月。

 

 私は学校帰りに近所の川岸の段ボール箱に捨てられている子犬を見つけた。

 両足を怪我しており歩くことが出来ず、すっかり汚れて心細そうに泣いているその子を、私は放っておくことが出来ず、毎日学校帰りにこっそり餌をあげていた。

 

 そのうち、その子犬も私の姿を見ると嬉しそうにキャンキャンと鳴いてくれるようになった。

その子と出会ったのが10日だったので「テン」と名付けると、まるで自分に新しい家族が出来たような気がした。


(この子を飼ってあげれたら)


 そう思いながらも、パパとママに言うことが出来なかった。

 もし反対されたら。もし怒られたら……

 

 私は学校でいわゆる「良い子」だった。

 ルール違反はせず、大人の望まないことは絶対しない。

 当番も宿題も、あいさつも望まれたことは全部頑張る。

 そんな自分が学校生活での支えだった。

 

 おじいちゃんに相談……とも思ったが、なぜかママが実の父であるおじいちゃんを酷く嫌っており、そのためおじいちゃんにも言えなかったのだ。

 テンの事は直接関係ないのに……


 そしてその日が来た。

 その日は朝から台風が直撃しており、雨と風による殴りつけるような音を家中に響かせていた。

 テレビを見ながら話しているパパとママを横目に、私は気が気でなかった。


(テン……大丈夫かな)


 雨はもはや風によってうねりながら叩きつけてくる。

 テンの居る場所は川岸だ。


「ねえ、パパ……ママ。あの川ってあふれないかな。近所にある」


「ああ、あそこか。絶対溢れてるよ。あそこは毎年、岸のギリギリまで水が来てるから」


 聞いた事は無いけど、死刑宣告をされたときはこんな気分なんだろう。


(テンの所に……行かなきゃ!)


 まだ雨も強くなってきたばかり。

 今なら助けられるかも知れない。

 テンは足を怪我してるから自分じゃ絶対逃げられない。


「あ、あの……パパ、ママ……」


(私、ちょっと外に出てくる。用事を思い出して)

(子犬が川岸にいるの! 助けなきゃ)

(外に自転車出しっぱなしだったから家に入れてもいい?)


 色んな言い訳が浮かんだ。

 そして、これだ!と思う言葉を言おうとしたその時……


「りむはちゃんとした子だから助かるよ。こういう時、隣の拓也君だったら絶対、川とか見に行ってそうだからな」


「あ~! ありそう。ホント、止めて欲しいわね。私だったら怒鳴りつけてる」


 私はその場に立ち尽くした。


「……大丈夫? りむ」


 心配そうに言うママに向かって私はニッコリと笑うと言った。


「大丈夫。何でも無い」


「そう。あ、そろそろお風呂入ってきなさい」


「……うん、わかった」


 翌日。

 昇ったばかりの朝日の中、必死に自転車を走らせて川に着いた私の目に飛び込んだのは、川岸の半分以上を埋める、生き物のように荒れている川だった。

 

 いつもテンが居た場所も、地鳴りの様な音を立てて流れる水によって見ることが出来ない。

 自転車を降りると、川岸に近づこうとしたけど、怖くて足が動かない。

 やがてその場にしゃがみ込んで泣いた。

 自分でも驚くくらい大きな声をあげて。


(もう……嫌だ! 嫌だ!)


 赤毛の彼の所なんて戻りたくない。

 怖そうな人たちもいるらしいし、何より赤毛の彼も怖くてたまらない。

 でも……それでも。

 

 さっきの木の所に戻ると、ライムの報告通り鉄の鎧を着た3人の男性が剣を構えており、驚いたように私の方を見た。

 しかも驚いたことにさっきの赤毛の男性も木に持たれながらも剣を構えていた。


「もう……りむのバカちん! 完全に気付かれたじゃん……って、赤毛動いてる!」


 だが、私はライムの声はすでに耳に入っていなかった。

 夢中になって赤毛の彼と3人の男の間に走り込む。


「……なぜ」


 後ろから赤毛の人の声が聞こえる。

 足がまるで痙攣けいれんしてるの?と思うくらい震えている。

 歯のガチガチと鳴る音がうるさいくらいだ。

 涙もあふれている。


「お前は仲間か?」


 男達の真ん中に居る、ひときわ立派な鎧を着た男性が言う。

 私は必死に首を振った。


「そうか。だが、すまないが一緒に死んでもらう。情報が漏れるのは避けたい」


 その言葉を合図に男達は剣を構え直した。

 斬りかかろうと言うのは素人でも分かる。


「……なぜ……戻った……逃……げろ」


 赤毛の人の言葉に私は勢いよく首を振る。


「嫌だ……嫌だもん。もう……見捨て……たくない」


 歯がガチガチと鳴っているせいで旨くしゃべれない。

 私は汗びっしょりの手でペンダントを握りしめた。

 

 怖い。

 死にたくない。

 痛いのはいや。

 おうちに帰りたい。

 おじいちゃんに会いたい。

 もう嫌だ。

 全部嫌だ。

 もう……もう……


 そして自分の物とは思えないような、叫び声にも似た大声が出た。


「見捨てるのは嫌!」


 その時。

 胸のペンダントが勢いよく光り出した。

 

 その光は意思を持っているかのように、ペンダントの……いや、私の周囲でうねるように広がっていく。


「オッケー、りむ。マジでヤバいよ、あなた」


 右肩に乗っているライムが、興奮したような笑顔でつぶやいた。

 そして、彼女が両手を動かすと光のうねりがより大きくなった。


 目の前の男達は、魂が抜けたように光を見ていた。

 だが、真ん中の男の人がハッと我に返ると、大声で言った。


「こけ脅しだ! 魔法などあるわけがない」


 そう言うと、背中の弓矢を構えて私に向かって放った。

 来る!

 思わず目を閉じたが矢は……来なかった。


「りむ。目を開けて」


 ライムの声に恐る恐る目を開けた私は、呆然とした。

 目の前に深い海のように光る巨大な青い鳥がいた。

 その鳥の前で男が放った矢が止まっていたのだ。


「これが、あなたの力。この世界であなたしか持っていない力」

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