第2話 演繹法による論理的解釈と僅かな主観

 本の虫と自負し、あまり周囲に感心の無い私でも、あの詰襟カラスに関する事柄を放っておけなかった。

 体の硬い私は、背中の痒い部分にとにかく手が届かない。

 それでも一度気になりだしたムズ痒さを放置しておけるほど寛容ではない。猫がそこいらの地べたで背中をこすり付けているように、私も何とかして、いままさに悩まされているムズ痒い部分を排除しようとしていた。

 私が少年の存在に気付いてから八日目のことだった。

 私は文庫本を開いたまま、時折焦点を詰襟カラスに合わせ、得意分野である論理的推理を開始した。

 私がそうしようと考えたのは、自分の腹立たしさを自覚したからだ。

 何故に苛立つのか? 詰襟カラスは小説と思しきものを開いてただ読んでいるだけである。

 別に騒いだりとかの迷惑行為をしているわけでは無い。寧ろ模範的な乗客であるのは間違いない。

 苛立ちを覚えてしまうのは、理に反している。では何故このように腹立たしさを払拭できないのか、それは相手が理解できないからに他ならない。

 人間は得体の知れないものに対して、本能的な畏れを抱く。そして時折、その畏れは攻撃衝動にすり替わってしまうことがある。

 今まさに私の中に膨らみ続けるこの得体の知れない精神状態が、仮にそうだとするならば、解決する方法は一つしかない。

 つまり、相手のことが解りさえすれば、不安や恐れは払拭され、同時に攻撃衝動は消滅してしまうはずだ。

 分かり易く例えるならば、今私の目の前にいる詰襟カラスは、誰もいないはずの部屋の中から聴こえてくる囁き声のようなものだ。一度耳にしてしまえば、気にするなという方が難しくなる。

 耳を塞いでやり過ごそうとしても、不安と好奇心はどこまでも執拗に追いかけてくる。

 そう、その正体をこの目で見るまでは、永遠に逃れられないのだ。

 それならいっそ、ドアノブに手をかけて開いてみたらいい。

 大概の説明できない現象は、それで解決されるものだ。

 奇妙な囁き声は、僅かに開いた窓から聴こえた隙間風であり、超自然的な事柄は、あっという間にそこいらの日常へと姿を変え、記憶にも残らない程度のものになるのだ。

 同様にして、この目の前に居座り続ける苛立ちの正体を解き明かせば、このどうしようもないムズ痒さから解放されて、私は爽快な気分でこう思うのだろう。


 何てくだらないことを気にかけていたのだと。


 そして私は論理的推論を展開すべく、得意とする演繹法で、詰襟カラスに臨んだのだった。


 学校への最寄り駅へと到着するのは、詰襟カラスが乗車してから二駅。

 私はその僅かな時間で、灰色の脳細胞を活性化させて、今ある状況の中からあらゆる事実を拾い上げ、パズルを埋めて行かなければならない。

 まずは大前提として、少年は学生である。

 いつも規則正しく同じ列車に乗り、この先にある学校へと通学している訳である。

 そして彼は私の通う高校の生徒ではない。

 何故なら、紺のブレザーを指定制服としている我が白徳高校とは制服が異なるからだ。

 推測するまでもなく、あと六つほど先の駅で降りたところにある、城東高校の生徒であるはずだ。

 この沿線で学校に通うとするなら、その二校に絞られる。

 疑う余地もない、ここまでは全く推理に値しないものではあるが、ここから核心に向かって論理による階段を積み重ねていくのだ。

 大前提としては、彼が学生で城東高校に通っているということ。

 小前提としては彼が現在、一年生であるということか。

 私がそう確信しているのには勿論根拠がある。

 まず第一に、二年生の私は、この春までの間、一度も彼と顔を合わせていない。

 第二に、服装の真新しさだ。少年は、体に見合わぬややゆとりのある制服を着ていた。つまり、まだ成長期にある少年の成長を見越して、大きめの制服を購入時に選んだに相違ない。

 そして第三に、膝の上に置かれたポリエステル製の通学鞄。

 いかにも真新しい紺色の鞄には殆ど型崩れが見当たらない。擦り切れた部分が一切見当たらないのを見る限り、使用し始めてそれほど経っていないのは明らかだ。

 あと、これは主観ではあるが、同級生として見るならば、少年はややおぼこい。

 耳に少しかかるくらいの髪はなかなか清潔感がある。本を読んでいるせいで、いつもやや伏し目がちだが、まつ毛がちょっと長めに見える。頬がちょっと柔らかそうで、健康的な印象だ。

 ちょっと関係ない主観も入ったが、ともかく彼がこの春入学したての一年生であることは察しがついた。

 そしてここからさらに、詰襟カラスに対する客観的な観測は厳格になっていく。

 まずは足元。靴はその使用者の様々な情報を無言で語りかけてくる。

 例えば、色の好みには、内面の性格が出る。オーソドックスな色ならば、他人との協調性がそれなりにある人物であると推測できる。奇抜な色ならば、自我が強く、個性的な性格であろう。

 その他にも観察に値するものが靴にはいくつもある。靴ひも一つ取っても、その人物を知る手掛かりがあるのだ。

 靴ひもが緩んでいても気にしない、大雑把な性格のものもいれば、きっちりと靴ひもの長さを左右対称に揃える、几帳面な性格のものもいる。

 ブランドの靴にこだわるなら、プライドの高い性格であると想像できるし、履きつぶしたボロボロの靴を履いているのなら、金銭的に余裕のない家庭であると推測できる。注意深く観察すれば、靴はヒントの宝庫であると言えるだろう。

 逆に言えば、制服に身を包んでいる以上、衣料品の類からは読み取れる情報は少ない。学校指定の鞄を持ち歩いているのならばなおさらだ。

 そして私は、少年の履いている靴から、あらゆる情報を引き出すべく観察し、推論を展開していく。

 まず少年の履いているスニーカーは、一般的なスポーツメーカーのもので、グレーを基調とした、素朴なデザインのものだ。

 見た目と同様、性格的にも当たり障りのない人なのであろう。靴ひもに関しては彼から見て左の蝶結びの輪っかがやや大きい。左右両方ともそんな感じなのは、ただ単に結び方の癖なのだろう。

 つまり、何気に靴ひもを結んで輪っかの部分が非対称でも気にならないということだ。そこまで几帳面な性格ではないのだと判断していいだろう。

 そして、私が最も引っ掛かったのは、その靴の外観だった。まだ型崩れしていないスニーカーにしては軽微ではあるが部分的に汚れている個所があった。

 普通に歩いたりしているだけならば、そうはならない場所に土が付着した跡がある。手入れしてなお、綺麗になり切っていないという印象だ。

 左側はそれほど汚れていない。右側の靴はつま先と甲の部分、そして、あまり汚れそうにない内側の部分にも僅かなが土が付着した跡があった。

 ではなぜ、均等にではなく右側だけが特殊な汚れ方をしているのだろうか。

 観察から推測すると、少年は左右均等に靴を汚すことの無いある種のスポーツをした。つまり、利き足である右足が活躍するスポーツだ。

 恐らくサッカーで間違いないだろう。

 土の付着したボールをコントロールし、蹴り込むことで、ああいった汚れ方になったのだと推測できた。

 部活なら専用のスパイクシューズに履き替えるだろうから、普段履きの靴は綺麗なままだ。

 通学用のスニーカーがこうなったのは、体育の授業か、あるいは休み時間に友達とサッカーをしていたからだろう。

 靴の雰囲気を見る限り、積極的にボールを追いかけゲームに参加していたのではないだろうか。


 大人しそうに見えて、そこそこ活動的な男子ってことね。


 特筆すべきものは無かったものの、まだあまり履き込んでいなさそうなスニーカーに、そう結論を見いだしたのだった。

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