第14話 眞嶋家のとても幸福な時間

 私を裏切ったあなた。

 私を愛していなかったあなた。


 あなたは哀れな人。

 だって、あなたは今まで本当の愛を知らずに生きてきた人だから。


 そんなあなたに私が本当の愛を教えてあげます。

 本当の愛情の尊さを、重さを、素晴らしさを、わたしがあなたに教えてあげます。


 だから私に殺されてください。慶介さん。

 終わりの今日が、始まります。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 五回目の結婚記念日。

 お昼前にお義父さんとお義母さんが到着しました。


「やぁ、慶介、縁さん」

「お久しぶりです、お義父さん」


 軽く手をあげるお義父さんに、私はお辞儀をします。

 隣のお義母さんが、はぁ、と軽く息をつきます。


「そちらのお父様、腰痛ですってね。残念ですわ」


 本来なら、この家に来るはずだった父。

 でも直前でぎっくり腰をやって、今日は来れません。


「それで、ゆかりさん。子供の方はどうなのかしら?」

「すいません。子供は今のところは、まだ……。でも、不妊治療も始めたので――」


「ああ、聞いているよ。期待してるぞ。なぁ?」

「そうですわねぇ」


 今まで散々私に嫌味を言ってきた義両親が、今は機嫌よさげに笑っています。

 不妊治療の件を伝えただけで、この変わりようです。だけど、その一方で――、


「…………」


 少し晴れない顔をしているのが、慶介さんです。

 その表情の意味はのちのちわかるでしょう。これからは、食事会の時間です。


「お義母さん、あの、今日お出しするお料理なんですけど――」

「ええ。我が家の味をちゃんと受け継いでいるかどうか、見てあげますよ」


 明るい雰囲気の中、準備は進んでいきます。

 テーブルに料理を並べ終えて、私の右側に慶介さん。向かい側にお義母さん。慶介さんの向かい側にお義父さんという配置で、食事会が始まります。


 今日の料理はいささか自信があります。義両親の好みも知っているつもりです。

 慶介さんの好みは、この世の誰よりも熟知していると断言できます。


「おお、こりゃあうまい!」

「縁さんは我が家のお嫁さんに相応しい人になってくれたわ」


 舌鼓を打つお義父さんに、何故かお義母さんの方が得意げです。

 慶介さんも私に料理に笑顔になってくれます。


「毎日食べてるけど今日は特に美味しく感じるよ。何でだろうな」

「いつもより愛情がこもってるからだろう!」


 お義父さんが大声で笑って、慶介さんは「親父……」と照れくさそうです。

 場は和やかな空気に包まれています。食事が終わると、談笑の時間となりました。


「縁さん、実はこの間、慶介が縁のために仕事を頑張りたいなんて言い出してなぁ!」

「な、親父! 何を言い出すんだよ!?」


「何だ、恥ずかしいのか、オイ!」

「痛ッ」


 お義父さんに背中を叩かれ、慶介さんが顔をしかめます。

 そのやりとりにお義母さんも相好を崩しています。ですが――、


「これであとは子供ができたら、言うことはないのですけどねぇ」


 彼女は、そこに話を持っていってしまったのです。


「そうだなぁ!」


 お義父さんも、それに大声で賛同します。

 同じ雰囲気を共有していた慶介さんの表情が、そこで少しだけ曇ります。


「なぁ、その話は今する必要あるか?」

「ど、どうしたの、慶介。急に突っかかるような言い方をして」


 驚くお義母さんに指摘された彼は、ハッとして「何でもない」と顔を背けます。

 そうですよね、今のあなたに子供の話はタブーですよね、慶介さん。


「いいじゃないか。子供の話は不妊治療が終わってからでも遅くはないからな!」

「そうですねぇ。何もないといいんですけれどねぇ」


 釘を刺すような二人のまなざしを、私はニコニコ笑って受け流します。

 慶介さんの方は、何故かさりげなく視線を逸らしていますが。


「なぁ、縁さん」


 と、お義父さんが、何やら改まった様子で私に頭を下げてきました。


「どうかこの先も、慶介のことを支えてやってほしい。頼む」

「私からもお願いしたいわ。縁さん」

「お義父さん、お義母さん……」


 急なことに驚くわたしに、義両親は真摯な態度で再度繰り返します。


「息子を頼めるのは君だけだ、縁さん」

「私も夫と同じよ。お願いします、縁さん」


 引っ越す前まで、ずっと私に言いたいことを言い続けてくれた二人。

 でも今は、その私にこんなにもかしこまって――、


「俺からも頼む、縁」


 ついには慶介さんまで、頭を下げてきました。


「俺はもう、おまえがいないと無理だ。ずっと隣にいて欲しい」

「慶介さん……」


 彼の声に偽りの響きなど少しもありませんでした。

 義両親の誠意と、慶介さんの本気が、しっかりと私に伝わってくるのです。


 その事実に、私の心は震えました。

 震えはすぐに体へと伝播して、私は目頭が熱くなるのを感じます。


 ああ、慶介さん。

 あなたは何という人なのでしょう。何て、何て……!


「嬉しいです、慶介さん……!」


 泣き出しそうになるのを何とか堪え、私は再び彼の名を呼びます。

 それを告げる私の声は、感動に打ち震える内心をそのまま反映していました。


「縁……!」


 顔をあげた慶介さんが、受け入れられた喜びに微笑みを浮かべます。

 お義父さんもお義母さんも、彼と私の間にあるものを感じとってうなずきます。


 今、間違いなくこの部屋は世界で一番幸せな空間でした。

 本当に、この人達は幸せですね。――おめでたいほどに愚か、という意味で。


「離婚しましょう、慶介さん」


 十分に温まった空気に、私が上から冷水をかけてあげました。


「……え?」


 慶介さんが笑顔のまま凍りついたのは、少し面白かったです。

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