第13話 あなたを取り戻したくて:後
私はあなたに尽くします。
「慶介さん、お花を飾ってみたんです。どうでしょうか?」
ある日は、慶介さんの好きなお花をリビングに飾りました。
でも、彼は気づいてもそれを無視して、マンションに出ていきました。
「慶介さん、あの、お散歩中に街で見つけて、あなたに似合うと思って……」
ある日は、慶介さんが好むデザインのジャケットを買ってきました。
でも、一か月経っても、彼は袖を通してくれませんでした。
「慶介さん、こういうのどうでしょうか? ちょっと合いませんか……?」
ある日は、慶介さんが好きな色合いの下着を着用して夜を誘いました。
だけど、彼は驚きはしたものの、逃げるように自室へ戻ってしまいました。
四回目の結婚記念日から三か月。
彼はまだ、私に心を開いてくれません。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私がしていることは、慶介さんにはどう見えているのでしょうか。
媚びている?
それとも、今さら捨てられまいと必死になっている?
どちらも正解です。
私は慶介さんに自分を見てほしいのです。愛してほしいのです。
そのために、私は何度でもあなたの前に立ち続けます。
あなたが好きな色の服を着て、あなたが好きな匂いの香水を振りまいて。
あなたが好きな料理を作ります。
あなたが好きな曲を口ずさみます。
あなたが好きなドラマや映画を一緒に見ようとします。
あなたが好きな場所を見つけてお出かけに誘おうとします。
私は、あなたが好きなものを澪さんよりもずっとよく知っています。
この四年間、誰よりもあなたの近くにいた私はそれを知り尽くしているのです。
ねぇ、慶介さん。
あなたは、本気で誰かを好きになったことがない人です。
だから、私はあなたに教えてあげたいのです。
人を好きになることの甘さを。人を本気で想うことの高ぶりの熱を。
慶介さん、私はあなたに愛される努力をしてあげます。
そしてあなたに尽くして、尽くして、尽くして、どこまでも尽くし尽くすのです。
それが今の私です。
嗚呼、慶介さん。私はあなたを世界で一番――、
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
徐々に、徐々に。
少しずつ、少しずつ。
――五か月目。
「慶介さん、今日は朝食、どうされますか?」
「あ~、いらな……、いや、食べる」
「はい」
――六か月目。
「なぁ、縁。明日の夕飯だけど」
「何かご希望が?」
「ビーフシチューが、食べたいな」
――七か月目。
「慶介さん、明日の土曜日、どこかに出かけませんか?」
「構わないよ。どこに行きたい?」
「自分から言い出して勝手な話ですけど、慶介さんにお任せしたいな、って……」
――八か月目。
「縁。今夜さ、久しぶりにどうかな?」
「慶介さん……。いいんですか?」
「ああ。俺はしたいかな、って……」
――九か月目。
「慶介さん、私達、不妊治療を試した方がよくないでしょうか」
「うん、実は俺も考えてたんだよ。やっぱり、子供は欲しいもんな」
「……はい」
徐々に、徐々に。
少しずつ、少しずつ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
慶介さんの変化は明らかでした。
澪さんのマンションに行く回数は激減し、食事も私ととるようになりました。
休日はよく一緒に出かけて、夜は彼から誘われることがほとんどです。
SNSも澪さんの一人相撲に逆戻りです。
彼女については、嗣晴さんにお任せするしかないのが心苦しいところです。
さて、今日で結婚してちょうど四年と十一か月。
来月にはいよいよ五回目の結婚記念日。私が死んだ日です。
現在の時刻は夜九時。
今は慶介さんと二人でソファに座ってリビングでテレビを見ています。
彼が好きな女優が主演の恋愛ドラマです。
内容は大人向けで、純愛ものではなく浮気と不倫を題材とした愛憎劇です。
『そうやって何でも私のせいにして! あなたは私を見てくれないじゃない!』
場面はクライマックス。
女性主人公の浮気が夫に知られ、口論に発展しているところです。
『私が悪いっていうならあんたはどうなのよ? 先に浮気したあなたは!』
『悪いに決まってるだろ。だけど、おまえだって俺と同じなんだよ!』
主人公も夫役も、力のこもった真に迫る演技を見せています。
どちらも言っていることは自分本意で、繰り広げられる口論はひたすら不毛です。
「……なぁ」
それを見ていた慶介さんが、ふと私に尋ねてきました。
「何ですか、慶介さん」
「もしも、もしもだぞ――」
「はい」
と、私は彼の返事を待ちますが、慶介さんはしばらく口ごもり続けて、
「……俺が浮気したら、おまえはどう思う?」
探るような物言をして、私にそんなことをきいてきたのです。
それはまさしく『愚問』でした。
「慶介さんは浮気なんてしませんよ」
ほのかに微笑んでそう断言する私を、驚き顔の慶介さんが見てきます。
「どうして言い切れるんだ? わからないだろ?」
「わかりますよ」
私は重ねて断言し、隣に座る彼に身を寄せて、その肩に頭を乗せます。
「だって、慶介さんは私のたった一人の旦那様なんですから」
「縁……」
「私、慶介さんのことを信じてます。あなたは浮気なんてできない人だ、って……」
心からの信頼を、私は自らの声に強く響かせます。
言う私の頬は熱を帯び、彼を映す瞳はにわかに潤み始めます。
「私があなたにとって良き妻であるかどうか、本当は自信がないんです。だって、私は今日まで子供を作れず、あなたの期待を裏切り続けてきたから……」
「縁、そんなことは……!」
慶介さんが何かを言いかけますが、私はかぶりを振って遮り、言葉を続けます。
「でも、それでも、私にとってあなたは大切な人です。誰よりも信じています。その想いだけは、間違いないものだと言い切れます。私はあなたの妻だから」
慶介さんの見開かれた瞳に、私が映り込んでいます。
私は、彼の耳元近くまで顔を寄せて、囁くようにして告げました。
「――愛してます。慶介さん」
彼は震え出し、その目には薄く涙がにじみました。
「俺もだ。俺もおまえを愛してるよ、縁!」
そして私は強く強く抱きしめられて、慶介さんの声が部屋中に響いたのです。
「ああ、慶介さん……」
流れのままにキスを交わして、彼の右手が私の腰をまさぐります。
だけど、指先から感じるのは、性欲などよりずっと激しいほとばしる愛情でした。
それはまさしく証明でした。
私は今、この人に心から愛されていることの証明です。
「ねぇ、慶介さん」
「何だい、縁?」
私の服を丁寧に脱がせていく彼に、私は一つの提案をします。
「来月の五回目の結婚記念日、この家で、みんなでお食事会をしませんか?」
「食事会?」
「ええ、お義父さんやお義母さんにも随分お会いしていませんし」
「おまえがいいっていうなら、俺は構わないよ」
思った通り、慶介さんはあっさりと快諾してくれました。
これで、全ての準備は整いました。五年をかけた、あなたを殺すための準備が。
「……慶介さん」
何よりも。
誰よりも。
私はあなたを世界で一番――、
一番、
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