第9話 最低で最悪で最高で最善な、あなたの殺し方
痛みがおさまらないまま、もう一週間になります。
右腕、左足、肋骨の骨折と、数か所の打撲と、捻挫。全治二か月のケガです。
ですがそれでも、このケガは治るケガです。
生涯残る傷は一つもありません。
私の体は治る。その事実が私に与えてくれる満足感は素晴らしいものでした。
ベッドから動けない私は、広い個室の中ただ一人、それを噛み締め続けています。
ある日の夕方頃、ドアがノックされました。
私が「はい」と応じると、慶介さんと義両親が入ってきました。
「慶介さん……」
「縁。具合はどうだ?」
彼は私に向かって優しく笑いかけます。
しかし、義両親二人がズカズカと私のベッドへ迫ってきます。
「縁さん。痛かったろうね」
「今回は、本当に大変でしたわね」
お義父さんとお義母さん、どちらも言葉の上では私を心配してくれます。
でも、その顔に張りつく表情は、言葉にそぐうものではなく……、
「ところで――」
と、お義父さんは早々に話を変えました。私への心配など枕詞でしかないのです。
「おなかに子供はいなかったそうだね?」
「偽妊娠? というものだったそうじゃない?」
私に向けられる二人の目が『見る』から『睨む』に変わりました。
実にわかりやすいですね、この二人。
「病院には何度か行っていたんじゃなかったのかね?」
「二度ほど行きはしたのですが、どっちも大変な込み具合で待つのが辛くて……」
私がそう応じるとお義母さんがこれ見よがしにため息を一つ。
「あのねぇ、縁さん。あなたのそれは、本当のつわりではなかったのよ?」
言葉の中に刺々しさが混じります。
声に出していないだけで、お義母さんは私に失望している様子でした。
「……はい、すいません。お義母さん」
私は目線を下げて、お義母さんに謝ります。
すると、お義父さんがポツリと漏らした呟きが聞こえてきました。
「――すでに妊娠のことを周りに話したあとだったのに。いい恥さらしだ」
わざわざ私に聞こえる程度の小声で言い、お義父さんはこっちをチラリと見ます。
私は表情を隠すために俯き、わざとらしく鼻を啜って、
「……本当に、申し訳ありません」
濡れた声で二人に謝ってみせました。
体を少し動かせば激痛が走るので、涙くらいいくらでも流せます。
「ごめんなさい。私、ずっと不安で、私……、本当に、ごめんなさい……」
泣いて許しを乞う私を、でも、慶介さんは庇ってくれたりはしません。
それは、前の人生でも変わらない光景でした。
今回は前と違って、私は子供を作れる体なのに。
それでもやっぱりこの男は、ただ傍観者に徹し続けるだけなのです。
「今後に期待するよ、縁さん。だが、次はないぞ?」
お義父さんは私に釘を刺してきますが、次、とは一体何なのでしょうね。
この人はどういう立場で私に言っているのやら。
「じゃあ、縁。俺達はこれで帰るから。ゆっくり体を休めてくれ」
「はい、慶介さん」
そしてお見舞いという名の吊るし上げはお開きになりました。
いえ、慶介さんにとってはこれもお見舞い、ですか。
「困りました……」
再び一人きりになった個室で、私は呟きます。
この一幕は、私に新たな課題を与えるきっかけとなったのでした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
かつての私は盲目でした。
義両親からの叱責も、慶介さんの素っ気なさも、仕方がないと受け入れてました。
むしろ、悪いのは私だと思っていました。
もっとも罪深いのは子供を生めなくなった私。前は本気でそう信じていました。
ですが、今は違います。
前は見えていなかったものが、今ははっきり見えています。
例えば、このままでは私は慶介さんに大した報復はできないこと。などです。
これは困りました。本当に困りました。
「……どうしましょうか」
夜。
闇に身を沈めた私は、ベッドの上で考え続けます。
澪さんへの切り札は手に入れました。
しかし一方で、慶介さんに対してはまだ何もありません。
これから四年の間に彼は澪さんと不倫をして、子供を作ります。
不倫の証拠を集めるのは容易でしょう。彼も彼女も、どっちも脇が甘いので。
ただ、慶介さん有責で離婚をしたところで、それが何だというのでしょう。
相場通りの慰謝料など彼にははした金にもなりません。
社会的に抹殺しようにも、慶介さんは眞嶋家の御曹司です。
最終的に家の財力と権力が彼を守り通してしまうのは目に見えています。
いつだって、加害者は被害者よりも受ける痛みが小さいのです。
このままでは私は慶介さんの心を殺せない。私の『黒』を晴らすことができない。
――何か、彼を殺すのいい方法があればいいのに。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ギブスが外され、だいぶ楽になりました。
今日まで、義父母は何度子供のことでグチグチと言われ続けてきたことか。
前の人生よりは遥かにマシだとは思っています。
でも、私を人間扱いしない言動はやはりストレスが溜まります。
「……縁」
そんなある日のこと、慶介さんが一人でお見舞いに来てくれました。
部屋に入った彼は、いつもと様子が違っていました。私はそれで思い出しました。
ああ、そういえば今日でしたか。
私の脳裏に、前の人生の記憶が鮮やかに蘇ってきます。
「慶介さん、どうかされたんですか?」
「いや、何でも……」
慶介さんは笑いますが、声にも顔にも力がありません。
この日の彼は珍しくお義父さんに叱られて、落ち込んでいたのです。
ですが愚かな私は、このときの彼を見て思ってしまいました。
この人は私のことでお義父さんに叱られた。私のせいで苦しんでいるのだ。と。
それは勘違いで、慶介さんは単に仕事でミスをしただけでした。
でも思い詰めた私は、それも知らずに彼に切り出してしまったのです。
「ねぇ、慶介さん」
「何だい、縁?」
「私と離婚してくれませんか?」
そう、込み上げる涙を堪え、こうやって自分から離婚を申し出たのです。
ギョッと目を剥く慶介さんの顔も、よく覚えています。
「私が子供を作れなかったばかりに、私のせいで慶介さんまで辛い目に……!」
震え声でうつむいて、肩を揺らして布団をギュッと掴んで、私は涙を零します。
ここ最近、すっかり泣き真似が上手くなってしまいました。
不思議なもので、やり方を覚えれば人は何もなくても涙を流せるのですね。
実に白々しい限りですが、それでも今の私の姿は、前の人生での私そのものです。
「そんなこと、言うなよ!」
そして、見事に獲物が釣り針に引っかかりました。
慶介さんは私をいたわるように抱きしめて、言ってくれたのです。
「俺の奥さんはおまえだけだよ!」
「慶介さん……」
前の人生では、悲しみの底に救ってくれた、その一言。
「子供はこれから作ればいいんだ。今はおまえがいてくれれば、俺はそれで十分だ」
続けざまに放たれたその力強い言葉に、かつての私は心を打たれました。
でもこれ、全部演技なんです。都合のいい女である私を手元に置いておくための。
「慶介さん……!」
私は彼を抱きしめ返し、愛情を再確認したフリをして泣き続けます。
でも派手に泣くのは大変なので、ここは省エネということですすり泣きです。
彼の熱い演技に、私も三文芝居で返しました。
何とも生臭い演劇もあったものです。
でも、おかげで思いつきました。
最低で最悪で、最高で最善な慶介さんの心の殺し方を。
慶介さん、喜んでください。
私、あなたの最高の奥さんになってみせますから。
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