第6話 現状打破

 何でもかんでも、ネガティブに考える忠次は、自分のこの考え方を、

「負のスパイラルだ」

 と思っていた。

 最近、覚えた言葉が、完全に自分に嵌ったことで、そう感じるようになったのだが、確かにその言葉にウソはなかった。

 今のように、

「どうすれば助かるか?」

 ということよりも、

「どうせ助からないんだ」

 ということを証明するかのように、頭を巡らせていた。

 最初は、

「何かの悪い冗談か?」

 と思った。

 さすがに最初からすべてを悪い方に考えるようなことはしない。せめて、

「悪い夢なら、早く覚めてくれ」

 と思うのだった。

 誰だって、最初は、

「ウソだろう? ウソだと言ってくれよ」

 と思うはずだ。

 もちろん、忠次も一緒だったのだ。

 だが、最初は、

「冗談だ」

 と思ってみても、それが、どうにもならないことを悟ると、後は悪い方にしか考えられなくなる。

 しかも、理論的に考えてしまうので、たちが悪い。

 考え方に隙がないのだ。

「もし、この部屋から出られても、向こうには門番があるだろう。門番を超えても、さらには、警官隊のような部隊に囲まれて、相手は複数で武器を持っている。こっちは、一人で丸腰。完全に、袋のネズミではないか?」

 と思ってしまうと、

「二度と出られない、棺桶に閉じ込められ、しかも、開かない棺桶をそのまま、火葬場で一気に焼き殺そうとするようなものだ」

 と思った。

 ただ、彼はさらに残酷なことを考える。

「推理小説の読みすぎか?」

 と言われることであるが、一番怖いのは、

「棺桶に閉じ込められ、食事も水もなく、そのまま土葬にされる」

 という感覚である。

 しかも、すぐに窒息してしまわないように、棺桶には小さな空気穴が、複数空いている状態である。

 こうなってしまうと、

「間違いなく訪れる死に向かって、絶対に助かることはないのに、すぐに死ぬことができないという苦しみを味わいながら死ぬことになる」

 というのだ。

 これは、水責めにおいて、自分よりも、自分が大切にしている家族を少し低いところにしておいて、

「お前の家族が苦しみもがいて死んでいくのを、見届けながら、いずれ、お前も死んでいくんだ」

 という恐ろしいことが、復讐鬼によって、復讐計画が実行されるというのを読んだことがあったが、まさに、背筋も凍るという話であった。

 これが、昔の探偵小説であり、スリルとサスペンスを味わう復讐内容だったりするのであった。

 今のミステリーには、そういうものはないかも知れない。あまり読んだ経験はないが、最近のものよりも、戦後間もない時代の探偵小説などを、好んで読んだりした。

 最近は、本屋も少なくなって、古本屋ですら手に入らないものが多いが、それでも、本屋を梯子して見て回ったりしたこともあった。

 何事も、最悪なことをまず考えてしまう。

 それは、いいことの時でもそうだった。

「いいことを考える時くらい、楽しいことを考えようぜ」

 と友達に言われたことがあったが、

「それはそうだと思うんだけど、それができないんだよな」

 というと、

「お前、兄貴に、楽天的な性格を皆持っていかれたんじゃないか?」

 というのだった。

 最初は、そういわれてもピンとくるものではなかったが、

「そうなのかな? 俺には自覚のようなものはないんだけどな」

 というと、

「俺が聞いた話によると、双子の兄弟というのは、似たように見えるが、それぞれ、極端な違う面を持っているという。まるで、陰と陽の関係のようななんだが、あくまでも、聞いた話だというだけで、信憑性はないんだけどな」

 というのを聞いて、

「それは俺も感じているんだよ。確かに言われてみれば、そんな感じがしてきた」

 というと、

「双子の場合は、二人を足して、一人の人間を表しているのかも知れないな。だから、ある意味でいくと、お互いに裏がないように思うんだ」

 という話を聞くと、

「本当にそうなのだろうか? 自分には裏があるという自覚もあるし、兄に対しては、何か裏があるように思うんだ」

 というと、

「それはお前たちが、それぞれの裏が自分と同じ性格だということを、無意識に理解しているからさ。双子が引きあうのであれば、それくらいの感情は当たり前にあってしかるべきだと思うんだよな」

 というのだった。

 その話を聞いて、双子がどういう感情なのか、少し考えるようになった。

「俺にないモノを持っている? ということは、よく見ていると、反面教師にもなると、本当の手本にも見える。そこを見極める必要があるんじゃないか?」

 と考えるようになったのだ。

「兄貴なら。この場面、どうやって乗り切るだろうか?」

 と考えた。

 友達がいうように、

「二人合わせて、一人前」

 ということであるのであれば、兄貴の考え方を踏襲するというのも一つの手である。

 こうなってしまったのであれば、そう簡単に逃れることはできないだろう。

 そう思うと、どうやってでも、助かる方法を自力で考えなければいけない。もうここまでくれば夢というわけではないからだ。

 忠次のいいところは、すぐにその状況を把握できて、順応しようとするところである。だが、そのおかげで損をすることもよくある。これに関しては、他人であれば、ここまで直に自分の運命に影響してくるということはないだろう。

 もし、影響してくるとするならば、他の人であれば、もっと時間のかかることであるので、そういう意味で、忠次は、

「損を補ってあまりある順応性があるのではないか?」

 と思うのだった。

 この性格は順応性だけに限ったことではない。その時に考えるのは、

「兄貴なら、こんな時どう感じるだろう?」

 と感じることから始まっているように思えてならないのだった。

 忠次にとって、この、

「絶体絶命」

 ともいえる危機を逃れるには、

「まず、自分が置かれているこの状況」

 を、

「まるで他人事のようだ」

 と思う必要がある。

 他人事だと思うと、不思議といつもいいアイデアが浮かんでくるのだ。そして、

「俺が他人事だと思うのが得意な気がするということは、いいことのように思えてならない」

 と感じていた。

 他人事と思うと、楽天的に考えることが普通であれば、できるのだろうが、冷静になることはできても、決して楽天的になれない。

 他人事だと思うことでさえ無理なのだから、それ以外の時は無理に違いない。

 だから、自分では他人事だと思っていても、それは、他人がいう、

「他人事」

 という考えとは違っているのだろう。

 他人がいう、

「他人事」

 というのは、多分に、楽天的な部分も含まれているのだろうが、忠次のいう他人事には、決して楽天的な考え方は含まれていないということである。

 つまり、忠次にとって、

「他人事と、楽天的だということは平行線であって、交わることすら許されない関係であり、近くに見えないだけに、永遠に違うものだと思い続けるに違いない」

 と感じるのであった。

 楽天的に思えないと、この窮状を逃れることはできないだろう。

 しかし、それは難しい、万が一楽天的になれたとしても、短い間だけのことで、脱出までに、必ず、現実に引き戻される。

 その時は、その反動がどれほどのものなのか分からずずに、恐ろしいと思うに違いないのだ。

 それを思うと。

「楽天的になりたい」

 と感じる方が恐ろしいというものではないだろうか?

 忠次は。

「ここから逃れるにはどうしたらいいか?」

 ということを考えた。

 それには、頭の中にある知識や、残っている記憶から、類似のものを探し出して、一つ一つ当てはめていくしかないと思うのだった。

 つまり、

「テレビで見たり、本を読んだりして得た知識」

 というものであった。

 サスペンスや刑事ドラマなどで、誘拐や、主人公の刑事が拉致監禁された時など、どのように脱出した場面があったかということを、頭の中から引き出そうとした。

 本当は子供ができるような発想は、やめておきたかったのだが、思い出すのはそっちばかりだった。

「きっと、テレビを見ながら無意識に、自分と同じくらいの少年だからという思いで見ていたからに違いない」

 と感じる。

 それは、嫉妬というよりも、自尊心の方が当たっている心理状態なのではないだろうか?

「あの子にできて、俺にできないはずはない」

 という、普段はあまり感じたことのない、自惚れのようなものが、その時にはあった。

 いや、本当は他の時にも感じているのかも知れないが、それだけではないのかも知れない。

「自分にだけできる、あるいはできないという発想は、すべては自尊心の有無から始まっている」

 と考える。

「自尊心というのは、多い少ないの差はあるのだろうが、誰にでも備わっている」

 という人もいるし、忠次自身もずっとそう思っていた。

 しかし、兄の忠直を見ていると、表から見た分には、その自尊心の存在を感じさせることはない。

 だから、人当たりがよく見えて、誰もが安心して兄貴に近づけるということであれば、兄がいつも誰かと一緒にいるということも理解できるというものだ。

 そして、

「他人事に考える」

 ということを思い浮かべた時、頭に浮かんできたのが、兄の顔だった。

 しかも、その顔は、なぜか笑っている。実際に一緒にいる時、兄貴が笑っているところなど、あまり見たことがないにも関わらずである。

 その顔には、どこか、

「いやらしさ」

 というものがあり、そのいやらしさは、人間としての、裏の部分を思わせる、

「陰湿な部分」

 が感じられたのであった。

「他人事のように思う」

 というのは、同じ人間臭さであっても、

「どこか、逃げている感覚」

 というものが付きまとい、そう簡単に逃げられるものではないはずだ。

 だから、陰湿さというものがあったとしても、その感情は、膨れ上がりながら、空気が膨張していくというだけの、

「重さは決して変わらない」

 ということから、感覚として、

「むしろ軽くなっていっている」

 というものが残ると思っていた。

 しかし、実際には、陰湿な部分があることで、蒸し暑さが身体のダルさを伴って、軽いと思っているものを、感覚として、

「重たさがこみあげてくるような気がする」

 ということに変わっていっているのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「兄は、本当に楽天的なのだろうか?」

 と、日ごろの態度だけではなく、双子であるがゆえに分かるであろう兄の性格を鑑みると、そこには別の、何か、陰湿なものが含まれているような気がした。

 それは、他人であれば、不思議に思わないが、兄に対しては、おなしく思うのは、やはり双子というキーワードが存在しているからなのかも知れない。

 では、一般的な人の考える、

「陰湿性」

 というのはどういうものであろうか?

 ここは、

「兄だから」

 という考えを捨てて、それこそ、兄を

「他人事」

 として見る目を養わなければならないのではないだろうか?

 と感じるのだった。

 さて、

「実際にここから逃れるには、どうすればいいか?」

 ということを考え始めてどれくらいの時間が経っただろうか?

 かなり兄のことを考えていたような気がするので、すでに、一時間くらいは経っているのではないかと思ったが、実際には五分も経っていなかった。

 なぜ、こんな、何もないところで、そんな時間まで、しかもハッキリと分かることができるのかというと、何とこの何もないと思われたこの部屋に、時計だけは存在していた。

 時計を見ていると、確かに五分くらいしか経っていない。

 だがそれよりも、

「どうして、ここに時計だけが存在しているのか?」

 ということが今度は気になっていた。

 その時計は、デジタル時計ではなく、昔からの、針のある、いわゆる、

「アナログ時計」

 であった。

 アナログ時計とデジタル時計の違いは、針を刻むことで、アナログ時計は、音がなるのだ。

 かっちりと寸分の狂いもなく刻まれているその音は、どこか、催眠効果があるようではないか。

 そんなことを考えていると、次第に時計の針の音だけが響いているように感じ、そのわずらわしさが、頂点に達したかと思うと、耳から消えていたような気がする。

「モスキート音?」

 というものを反射的に感じたが、すぐに、

「そんなことはない」

 と感じた。

 モスキート音というのは、

「ある年齢に達した時に感じる、高周波の音である」

 ということなので、

「自分がそのある年齢にはほど遠いこと」

 あるいは、

「時計の音が、高周波ではない」

 ということを考え合わせれば、モスキート音ではないことは、明らかなことだった。

 それでも、モスキート音にこだわるということは、考えがいったん限界近くまで行ったので、一周まわってきたかのような感覚になったのであろう。

 そんなことを考えていると、

「まさか、時限爆弾ということはないだろうな?」

 と感じた。

 こんなところで時限爆弾が爆発したら、どうなるというのだ?

 とも思ったが、考えてみれば、

「こんなところ」

 と言っても、ここがどこだか分からない。表が見えるわけでもなければ、他の部屋がどうなっているのかも分からない。

 そもそも、まわりに他の部屋があるのかどうかも分からない。自分がいる部屋が、地下室のようなところになっていて、表から見えなければ、時限爆弾が爆発しても、別に怪しむ人もいないような、山奥だったり、立ち入り禁止の場所だったりすれば、助からないどころか、自分が殺されたことすら、分からないことだろう。

「今頃、俺の家では、この俺がいなくなったことを知って探しているんだろうな?」

 と思った。

 しかし、よくよく考えてみると、なぜ自分がここで監禁されているのかということがまったく覚えていない。誰かに拉致されたという意識もないし、攫われる恐怖を感じたわけでもなかった。

 それを思うと、何がどうしてこうなったのか、意識がないということは、

「何かクロロフォルムのような薬品で、気を失ったのかも知れない」

 とも思ったが。逆にもしそうであれば、臭いくらいは、意識の中に残っていそうなのに、それもないのだった。

 意識が前後不覚になることはあっても、その原因になるようなことが、記憶のどこかに残るだろう。

 しかも、トラウマになりそうなくらいに深いものではないかと思うのだが、それがまったくないということは、自分の中で、何がどうなっているのか、正直分からないのであった。

 そんな時、思い出したのが、

「小学生の時の、友達の行方不明事件」

 であった。

 その事件は、小学三年生の時だったような気がする。

 都会ではそんなことはないのだろうが、田舎に行ってのことだった。

 あの頃は、夏になれば、旅行に行くのが恒例だったが、実は、毎年旅行にはいくが、二人を一緒に連れて行くということは決して親はしなかった。

 喧嘩が絶えず、

「旅行先で、トラブルを起こされてしまうと、どうしようもなくなる」

 というようなことがあったわけではなかったのだが、なぜか。母親は、隔年で自分たちを旅行に連れていってくれる。

 兄の忠直の場合は、なるべく遠くで、行った先も範囲を広げて楽しむというようなことをしていた。

 だから、期間も一週間くらいのもので、翌日には違う土地に行っていたのだ。

 しかし、忠直の場合はまったく正反対で、出かける場所は、近場に限られていて、行った先では、そんなにたくさん動き回るわけではない。

 兄の場合は、観光が目的だが、忠次は違った。

「現地の人間と仲良くなって、交流を深める」

 というようなことをしたかった。

 だから、そんなに飛び回るようなことをせず、ペンションのようなところを、一定期間レンタルし、そこを起点としていたのである。

 だから、

「田舎の別荘に、避暑にやってきた」

 と言ってもいいだろう。

 しかも、以前は身体が弱く、あまり遠くはきついと思われていただけに、

「近場の避暑地で静養する」

 ということが、一番よかったのだ。

 実際に、現地で友達もたくさんでき、忠次も皆に対して、決して優越感を表に出すことはしなかった。

「優越感がないのか?」

 と言われれば難しいところであるが、仲間意識をまわりが持ってくれるというのは、嬉しい限りだったのだ。

 元々、昔から、

「避暑地の街」

 ということで、都会から、夏になると、別荘に避暑にやってくる人が多く、人口は肥大したものだった、

 街の方も賑やかなのは、ありがたいということで、結構、人流に関しては、そんなに嫌がっているわけではなかった。

 しかし、人が増えれば、おかしな連中が出てくるというのも無理もないことで、

「俺たちの街を荒らす連中は許せない」

 という、名目上は、

「街の治安を守る」

 ということを目的とした団体が立ち上がったりした。

 自治体の方も、彼らの行動は、

「街を憂いてのこと」

 ということで、嫌な顔はするが、大っぴらに否定することもできない。

 案の定、街にやってきた、中にはいるだろう、心無い連中と、騒ぎを起こすことはしょっちゅうだった。

 それを街の方も恐れていたのだ。

 街を守りたいという連中も、

「自治体が味方になってくれる」

 という思いがあるからこそ、このような行動ができるのだ。

 何といっても、相手はよそ者。田舎では、昔からいる土地の人間を贔屓するのは当たり前だと思っている連中からすれば、団体に味方をしないというのは、おかしいということだろう。

 こんな状態に、歴史が好きな人だったら、

「義和団の乱」

 を思い出すことだろう。

 アヘン戦争をきっかけとして、植民地時代を代表するかのように、欧米列強に、いいように蝕まれた祖国を助けるということで、

「扶清滅洋」

 をスローガンとして、清国のかわりに、欧米列強と戦おうという集団であった。

 最初は、当時の権力者である、

「西太后」

 が、義和団の勢いに則って、暴挙ともいえる、

「多国籍軍」

 である九か国に、宣戦布告するということをしたために、あっという間に、北京を占用された。

 一国でさえも、相手にして負けてきたのに、一気に九か国などと、何を考えてのことだったのか、占領された北京から、命からがら逃げだすという無様な姿を見せることで、その数年後、自身の死を境に、清国は滅亡することになる。

 それはそうであろう。前国王である自分の息子を粛清ということなのか、殺害したりしたのだから、自分の死後、清国を支える人間は誰もいないだろう。

 あっという間に、清国は革命軍である、中国国民党に滅ぼされ、中国は、そこから、名目上の、

「共和制国家」

 が建国されることになったのだ。

 そんな

「義和団の乱」

 である義和団を最後は、自分の身を守るために、欧米列強に売ってしまった西太后と同じ道を歩もうというのか?

 下手をすれば、そこに待っているのは、

「街を売った暴君」

 というありがたくない称号になるかも知れない。

 たいていそういう場合の首長というのは、

「独裁者」

 というイメージがついてしまい、追われるように辞任に追い込まれ、悪名だけが、後世に残っていくだけである。

 その時はよくても、後で悪名だけが残ってしまうのは、

「とてもいいことだとは思えない」

 ということであろう。

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