第5話 監禁

「ここは、どこなんだ?」

 目が覚めた忠次は、今自分がどういう状況に置かれているのかを、まったく分かっていなかった。シーンと鎮まり返った場所で、蛇口から水が落ちているのか、たまに、

「ポッチャン」

 という音が聞こえてくるのだが、その音が、

「キーン」

 という耳鳴りのような気がして、その耳鳴りが、一瞬すごい音だと思うと、次第に意識から薄れていく中で、高音の部分だけが、糸を引いているような気がした。

 最近読んだミステリーの中で、

「モスキート音」

 というのがあるということを知った。

 それは、超がつくくらいの高音で、その周波数がまた特徴的であり、そのために、聴いていると、すぐに中毒状態になるようで、一種のトランス状態を感じさせるのだという。

 しかし、高齢になると、音を聞き取れないという意識から、必要以上に音を意識してしまうことで、静寂の後に雨だれのような音が聞こえてくると、かなりの音として認識してしまうだろう。

 その後に余韻として残る音が、高周波と言ってもいいような音で、それが、耳の感覚を刺激することで、苦痛に感じられるのだという。

 その苦痛を何とか逃れようとしていると、余計に意識するもので、一度ピークに達してしまうと、逃れられないことを悟り、次第に、その余韻だけが、耳の奥を支配するようになる。

 それが次第に慢性化し、慣れになると、耳の奥から離れないことを自覚し、それが恐怖に変わってくる。

「恐怖を感じると、慢性化させよう」

 と考えるもののようで、一見矛盾していることに自分で気づかないのだった。

 それがゆえに、

「音を感じなくするしかない」

 という思いから、

「音を消す能力がある」

 と思い込む。

 この思い込みは、慣れていないとできないもので、ある程度の年齢に達しないと、取得できない、

「奥義のようなものだ」

 と言ってもいいだろう。

「だから、ある程度の年齢以上にあると聞こえなくなる音が存在するのだ」

 と、今までずっと思ってきたのだった。

 自分独自の解釈で、

「モスキート音」

 の存在を知っていたのであって、その解釈はまったく違うものだった。

 しかし、一般的に言われている、

「年齢を重ねると、聞こえなくなる音がある」

 という、単純に、

「年のせい」

 というものであるこの考え方は、

「果たして、自分が今まで思ってきた考えと、本当に正反対なのだろうか?」

 と考えた。

 つまりは、

「正反対であるがゆえに、どちらかが本当に正しいものであるとすれば、もう一方にはまったく信憑性がないと、言い切れるのか?」

 という思いである。

 重ねた年齢は、まだまだこれからなので、モスキート音の境目に達するまでの、半分も生きていないはずだ。中学生なのだから、まだまだ子供、思春期というのは、一日で言えば、まだ夜も明けていない、

「草木も眠る丑三つ時を通り越したくらいなのではないか?」

 と考えるのであった。

 そんな時、

「そうか、モスキート音というのは、環境が変われば、起こりえることなのかも知れないな」

 と感じた。

 考えてみれば、モスキート音と言われるものは、

「ある程度の年齢以上になると、聞こえなくなる高周波」

 ということだという。

 そもそも、まだ中学生の自分に、モスキート音の発想からいけば、聞こえない音など存在しないということになる。

 つまりは、

「モスキート音というのが、どういう音か」

 ということを、すべての音が聞こえる自分に、区別できるわけはない。

 というものだ。

 それを調べようとすると、ある程度の年齢に達した人、40代か、50代くらいの年齢の人を連れてきて、どこかで、高周波の音を作ってもらって、どれが聞こえ、どこから聞こえないのかということを、実証実験しないと、分からないだろう。

 だが、その研究に著名で、

「この人はごまかすことはできない」

 というネームバリューを持った人に委ねた研究を行わないと、分からないことであろう。

 そんなことを、普段は考えているような少年だった。

 だから、今回、どこかで監禁されているということが次第に分かってきた時点で、自分が置かれている立場が、あまりいいものではないと思ったが、それだけではなく、

「監禁されているこの場所で、言い知れぬ苦痛があるのだが、それが、モスキート音のような、高周波なのではないかと思ったことで、本当はこんな音を聞きたくはないと思うと、高齢者のような耳にどうにかしてできないか」

 と考えるのであった。

 ただ、モスキート音の存在を分かっているつもりで聞いたこの音なので、何かのスイッチを入れることで、

「聞こえていまいという感覚になってもいいのではないか?」

 と考えるのであった。

 完全に、身体に縄が巻き付いている。

 中学に入ってから、肥満を気にしていたので、身体を縛ったやつも、

「ほどけたら、何にもならない」

 と思ったのか、かなりきつく縛っているようだ。

 だからなのか、もがけばもがくほど、身体に縄が食い込んでくる気がするのだ。

 それこそ、前述のヒーロー戦隊ものなどで、ヒーローが悪の秘密結社に捕まり、台の上に固定されている時など、

「もがいても無駄だ。お前お身体に巻き付いているその縄は、もがけばもがくほど食い込んでくる仕掛けになっている。だから、もがいたってダメなんだ。下手をすると、最期には食い込みすぎて、お前の身体をバラバラにするかも知れないぞ」

 というのだった。

 まさに、今回のこの結び方は、

「リアルな、悪の秘密結社結び」

 と言ってもいいだろう。

 しかし、そんなバカなことを言っている場合ではない。ここから逃れないといけないのだが、

「まずは、縄をほどいて、自由になる必要がある」

 ということである。

 しかし、自由になったはいいが、それから、この場所を脱出し、無事に帰ることができるようになるために、どれだけの段階を必要とするのだろうか?

 それを考えると、とてつもなく、辛い気がした。

 縄をほどいて自由になっても、それは、ただ、手足の自由が利くというだけで、それでは、

「牢の中に収監された、囚人」

 と同じだということである。

 どうやって、この鉄格子の檻から出ればいいのかということであり、それを出ることができたとしても、さらに難関が待っている。

 何といっても、この場所がどこなのか、誰がこんなことをしたのか。まったく何も分かっていないのだ。

 檻から出たとして、どこに逃げればいいのか、そして、逃げる途中で、どんな障害が待ち受けているのか分からない。

 そもそもその要塞から表に出ても、その世界が、自分の知っている世界だということすら分からないのだった。

 いくつまでの難関があるのか、忠次は、最近好きで見ている、

「SFの謎」

 という本を思い出していた。

 そこには。

「タイムパラドックス」

 であったり、

「ロボット工学」

 などといった、科学全般の謎について書かれていた。

 忠次が思い出したのは、その中にある、

「ロボット工学」

 というジャンルの中で、問題にされていた。

「フレーム問題」

 という考え方である。

 そもそも、

「ロボット工学」

 という発想は、昔からいわれている、

「フランケンシュタイン症候群」

 というものから、来たものであった。

「フランケンシュタイン症候群」

 というものは、

「フランケンシュタインという博士が、理想の人間をつくろうとして、怪物を作ってしまった」

 という話である。

 怪物は、理想の人間にするために、意思を持ち、自分の考えで動くように設計されている。なんでもできるように、身体は強靭に、敵が軍隊であったとしても、抵抗が十分にできるように設計されている。

 逃げることはできず、いかに相手を打ち負かすということができないと、

「理想の人間ではない」

 ということである。

「人間というのは、頭はいいのだが、精神的にも肉体的にもあまりにも脆弱にできているという欠点がある」

 ということなので、

「何にも負けない強靭な身体と、どうあっても曲げない意思を持ち続けることが必要である」

 ということを原点に開発されたのだ。

 だが、実際に作ってみると、その意思は反対の方に働いてしまい、

「理想の人間」

 というものが、

「怪物」

 になってしまったということである。

 そんなロボットは、いかに人間に屈服されずに生きていくかということを、生まれながらに知っている。

「ひょっとすると、フランケンシュタインの頭脳が、頭の中に入っているのかも知れない」

 と考えるが、逆に、

「彼は日ごろから、この人間社会に、深い憤りを感じていたのだとすると、そんな彼が理想の人間を作る出した時に、移植した人間の意志は、彼自身のもの以外には考えられないではないか」

 と言えるのではないだろうか?

 フランケンシュタイン症候群」

 とは、

「そんな怪物を作ってしまったことで、人間界に禍は巻き起こる。それこそ、リアルな『パンドラの匣』ではないか?」

 ということである。

 あくまでも、

「フランケンシュタイン」

 というのは、事実ではなく、フィクションなのだ。

 だからこそ、これが教訓となって、それ以降の、

「人造人間界初のバイブルにならなければいけない」

 ということであった。

 その教訓から、その後の、

「ロボット開発」

 という分野において、

「フレーム問題」

 と、

「ロボット工学三原則」

 という大きな二つの問題が、クローズアップされてきたのだ。

 そのどちらも、基本的には、

「その時に起こりうる矛盾をいかに解決するか?」

 ということが一番の問題だったのだ。

「フレーム問題」

 というのは、

「例えば、ロボットに、洞窟の中に入らせて、そこに燃料があるから、取ってくるようにという命令を出したとする、するとロボットは、命令通りに、燃料の箱を持ち上げて、持ってこようとしたが、その上に少しでも動かすと爆発するという爆弾があり、こっぱみじんになってしまった」

 というのが、第一段階である。

「では、ロボットに、いろいろな思考能力を与えた。今回の場合、爆弾を動かさないようにしないといけないわけなので、爆弾のことだけを考えるように細工をすると、結局ロボットは、爆弾と燃料の前から一歩も動けなくなったというわけだ」

 つまりは、ロボットは、

「危険だということしか分かっていないのだ」

 そこで、人間と同じだけの知識を持った頭脳を付けたロボットに同じことをさせようとすると、今度は、洞窟の前から一歩も動けなくなったもである。

 つまり、あまりにも膨大な知識があり、瞬時にいろいろなことを考える。

「洞窟の岩の色が変わってしまったら?」

 あるいは、

「空から、円盤が飛んで来たら?」

 などという、この場合は考えなくてもいいことを無限に考えてしまうのだ。

 つまりは、無限に存在する可能性を考え始めると、無限に動けないということになるのだ。

 そこで考えられたのが、それぞれのパターンごとに物事を当てはめ。それをロボットに組み込もうということなのだが、それが無理なことはすぐに気づいた。

 要するに、一つのパネルの中に、

「フレームを当てがうような」

 そんな考え方をするということであり、それが不可能であるということは、数学の観点からも証明されているわけだ。

 つまりは、

「無限に存在するものを、パターンに分けるといっても、そのパターンだって、無限にあるではないか?」

 というものであり、数学的な観点から言えば、

「無限というものは、何で割っても、無限でしかない」

 という考え方だ。

「整数から整数を割り、どんどん小さくなっていったとしても、そこには、限りなくゼロに近い数字が存在するのであって、ゼロとなり、消滅するものではない」

 という考え方に似たところがあるのではないだろうか?

 その考え方でいくと、

「無限というものは、無限でしかなく、四則演算の何を使っても、実数にすることはできない」

 ということになり、実質的に、ロボットの人工知能は、

「人間が作るレベルでは、無限地獄を解決することができない」

 ということになる。

 それが、

「フレーム問題」

 というもので、人間には、それが最大の問題なのだった。

 なぜなら、

「人間には、自然とフレーム問題を解決できるノウハウと、無意識に持っているからだ」

 ということであった。

 ということは、

「無限を有限にできるのが人間であるが、それは人間に大してしか効力がない」

 つまりは、

「人間が作るロボットにフレーム問題を解決できるノウハウを埋め込むことはできない」

 ということになる。

「人間は人間としてフレーム問題を解決できるのだから、何もロボットなどを作る必要はない」

 ということへの警鐘なのではないだろうか。

 人間というものが、いかにおろかであるかということを人間が証明できないように、フレーム問題を無意識に解決できている人間に、フレーム問題を人工知能で解決できる別のものを作り出すことはできないのだ。

「それが神と人間の違いだ」

 と言われれば、それなりの説得力はあるだろう。

 つまり、それができるのだとすれば、

「神への冒涜」

 であり、この発想こそが、

「聖書」

 の中に出てきた、

「バベルの塔」

 の話と同じなのではないだろうか。

 自分の権威を、神と同等か、さらにそれ以上のものであるということを世に知らしめて、天に向かって矢を射るという暴挙に及んだ、暴君、バビロニアの王である、

「ニムロデ王」

 がどうなったのか?

 その時、神は、人間の言葉を乱し、皆言葉が通じないようにして、民族が世界各国に散ったことで、他民族が生まれるという悪行にしたかったのであろう。

 人間が、戦争をする理由には、宗教や民族という、自分たちが守るべきものがあるから戦争をする。民族や宗教が増えれば増えるほど、争いが絶えないということになるのであろう。

 そんなバベルの塔の話と同じように、神に近づこうとしたり、神を冒涜しようとするとどうなるかということである。

 つまり、人間と神の違いは、

「神は、自由自在に人間のような、自分たちよりも劣るが、一番神に近い存在を作ることはできるが、人間には、フレーム問題を解決できるだけのものを作ることができないということが、神と人間の一番大きなものだといえるのではないだろうか。

 ギリシャ神話などでは、神は、わがままで、

「神ほど人間臭いものはいない」

 という嫉妬深さなどを代表例として、描かれている。

 しかし、それでも神は神なのだ。どんなに矛盾していても卑劣であっても、人間が太刀打ちできるものではない。

 それは、

「フレーム問題を解決できるかできないか」

 ということになるのであろう。

 しかし、人間がフレーム問題を解決できないとするならば、その時点で人間の負けである。

 なぜなら、神は、

「フレーム問題を無意識に解決できる人間という最高傑作を作り上げたのだ」

 という事実を見ただけでも、人間がいかに神に及ばないかということの代表例にされるのがオチとなるだけなのであった。

 人間には、片付けることができない問題として、

「無限の克服」

「矛盾の解決」

 そして問題なのは、それらのことを突き付けられても、それでも、

「まだいけると思う無謀なところではないか」

 ということになるのだろう。

「フレーム問題は、ロボット工学だけに言えることではない」

 要するに、他にもあるのだろうが、人間は気づかないという、まるで、お花畑の中にいるような感覚なのではないだろうか?

 この間読んだ本には、

「このくらいの難しいことを、中学生でも分かるように解説していた。結構読んでいる人も多いんだろうな」

 と考えるのだった。

「それにしいぇも、この檻というのは何なんだろう?」

 ということを考えさせられる。

 普通に考えれば、監獄であり、広さは独房であろうか?

 もちろん、監獄など入ったこともないし、ドラマなどで、監獄のシーンがあったとしても、あくまでもイメージで、どれほどの広さなのか、入ってみなければ分からないということは分かりそうなものだった。

 監獄というところは、

「何か悪いことをした」

 あるいは、

「人質になってしまったか?」

 でなければ、入るものではない。

 となると、考えられるのは、

「誘拐」

 ということであった。

 ただ、誘拐をするのに、こんな独房のようなところを用意するだろうか? こんなにも手間のかかる場所を抑えるにしても、誘拐なら、後から足がつくということも考えられなくもないはずだ。

 それを思うと、コスパという意味でも、ムダではないだろうか。

 しかも、檻の中に入れられていて、さらに、手足の自由が利かない。しかも、猿ぐつわもされていて、声を出すこともできない。

 冷静に考えれば、

「声を立ててはいけない。だから、猿ぐつわを外されるわけにはいかない。当然、手足の自由は奪わなければいけない」

 というわけなので、手足を縛っているのは当たり前だということだ。

 だから、下手に暴れるのは得策ではない。

 猿ぐつわをされているということは、それだけで、呼吸困難なのだ。そうなると、もがけばもがくほど、体力を消耗することになる。

 しかも、これは自分だけなのかも知れないが、思春期になると急に身体が固くなった気がした。

 それが、肥満になってきたことと、どういう関係になるのか分からないが、あまり暴れるのは、一気に体力を消耗するということと、痛いだけで、身体中に縄の痕がついてしまう。それはあまりいいことではないだろう。

 当然のことながら、表は見えないが、声を立てたところっで、誰もまわりにはいないようなところであろう。

 手足を縛って、猿ぐつわまでしているのだから、ひょっとすると、子供が迷い込んでくるくらいのことはあるかも知れない。

 ということは、きっと、まわりは、

「おおらかな田舎なのではないか?」

 と思えた。

 考えれば考えるほど、憂鬱になってくる。つまりは、そこにあるのは、

「限りなく、絶望に近い、希望」

 とでもいうべきであろうか?

 実際にどこまで犯人がもくろんでいるのか分からないが、精神的には、

「もう、助からない」

 という思いにさせられるものであった。

 しかも、壁を見ると、どこからともなく、水が漏れているようで、壁に面した床は、もう完全に、ドロドロであった。

 まるで苔が生えているかのような緑色の水が、まるで、

「毒薬ではないか?」

 と思えるほどのどす黒さを醸し出している。

「俺はこのままどうなってしまうのだろう?」

 という思いと、

「夢なら早く覚めてくれ」

 という正反対ではあるが、その実、

「どうせ助からない」

 と思わせるものなのであろう。

「正直、頭の中が、混乱していた」

 というものであった。

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