第4話 行方不明事件

 そんな欲というものについて考えるようになると、

「俺が太ってきたというのにも、何かわけがあるだろうな」

 と感じた。

 それが、

「性欲のなさ」

 というものであった。

 正直、自分が性欲が少ないと思ったのには、理由があった。

 女の子に興味を持つまでに、しばらくかかったということ。

 これは、普通に、

「晩生だ」

 ということなのだろうが、しかも、異性に興味を持ったのは、性欲からではなかった。

 どちらかというと、

「寂しい」

 という感情に近いものではないかと思ったのだが、その理由としては、

「友達が、女の子と一緒に歩いているのを見て、いいなと感じたからだった」

 というのが理由だった。

 別に性的なことで、女性に興味を持ったわけではない。ただ、一つだけ気になったのが、

「セーラー服」

 のような、女学生の服装であった。

 ブレザーでもいいのだが、制服というものを着ている女の子に、興味があった。同じ子が、私服を着ていても、そこまで感じるものではなかったのだ。

「紺のハイソックスなど履いていれば、もう妄想がハンパない」

 と考えていた。

 つまりは、

「制服フェチ」

 と言ってもいいだろうが、制服を着ている女の子に対しての、自分の中の性欲はかなりのものであった。

 そういう意味で、性欲は極端に少ないわけではない、一部に対してだけ、異常な反応を示すというものだ。

 だから、クラスメイトが女の子を連れているところを見ると、気になるのだ。性欲を抑えきれないところまでは行っていないと思っていたので、

「自分には性欲がない」

 と思っていただけで、ただの、

「フェチ」

 というだけのことだ。

 それが分かってしまうと、本当はまわりに隠したがるものなのだろうが、忠次は、逆にまわりに自分が、フェチだと宣伝したいくらいであった。

「制服というものが、一体どういう魔力を持ったものなのか?」

 ということを、自分では分かっていない。

 しかし、それを極端に最初分かった時は、

「恥ずかしい」

 と感じ、自分が、

「羞恥心の塊ではないか?」

 と感じるのだったが、いつの間にか、羞恥心がなくなっていて。性癖を公表したいと思うようになった。

「一種の露出狂のようあものなのだろうか?」

 と考えるようになったが、どこまでが露出狂なのか正直分からない。

 ただ、人間というものは、

「程度の違いはあれど、誰かに見てもらいたいという思いは、評価を受けたい。自分をもっと知ってもらいたい」

 という思いが重なってきているからであろう。

 それは、男でも女でも同じで、なぜか目立つのが女の方、目立つ方がむしろ、

「いいのではないか?」

 と感じる。

 女の露出狂は、羞恥心との裏返しであり、性的に、

「芸術だ」

 と言えるが、男性の露出は、何か汚らしいものが見えているようで、

「何か犯罪の臭いが感じられるな」

 と思わせるのであった。

 これは、もう芸術などではない。もし、芸術の欠片でもあるとすれば、

「一度は通ったが、通り過ぎただけではないか?」

 ということになるのであろう。

 露出狂も一種のフェチなのだろうが、本当の露出狂と言われる人たちは、

「何か特定のものを見ようとしているのではない」

 のだろう。

 特定のものに興味を示すのが、フェチであり、特定のもの関係なく、ただ、表に見せびらかせたいと思うものが露出狂なのだろう。

 だから露出狂は、

「何に対して興味を持っているのか分からないから、全体を露出し、見せつけることで、自分の目指すものを見つけていこう」

 という考えなのかも知れない。

 それが、露出と、フェチの違いなのではないだろうか?

 とは言いながら、性欲がまったくないというわけではない、

 しかし、女性の前に出ると、完全にシャイになって、何も言えなくなる。ただ、兄貴に手紙を頼まれたあの時は、まだ、異性への感情が何もなく、相手を、

「異性だ」

 という意識もなかったのだった。

 だが、後から思えば、なぜか、嫉妬心が湧いていた。

 この感情はどこから来たというのだろうか?

 ただ、

「異性への興味」

 というものが湧いてきたのは、それからそんなに間もなかった頃だった。

 ということは、

「あの時に感じた嫉妬というものに何か原因があるのではないだろうか?」

 と感じたのだ。

 確かに、

「男に寄ってくる女の子を見て、羨ましいと思ったことから、異性に対して不思議な興味を持ったんだったな」

 と思った。

 正直、忠次は、

「同年代からの性教育」

 というものはすでに、

「受講済み」

 であった、

 クラスには一人くらい、自分が得た性の知識を知ったかぶりして、誰かに話したくてたまらない輩がいるものだ。

 忠次のクラスにもそんな奴はいて、

「教えてほしい」

 などと一言も言っていないのに、勝手に話しかけてくるのだ。

「そんなに勝手に話しかけてきたって、俺は別に興味はない」

 と思うのだが、その割には、身体の一部がムズムズする。

「ああ、小学生の頃にもあったような」

 として思い出すのが、戦隊ものの特撮子供番組を見ていて、女性戦隊のお姉さんが、人げの姿でいる時の、隊員服の以上にミニなスカートを見た時、ムズムズした経験があったからだ。

 今から思えば、思春期の準備段階だったのか、後から聞けば、友達も皆そうだったというではないか。

 テレビ局の策略に見事に嵌り、視聴率アップに彼女たちは貢献しているのであろうが、子供としては、

「なぜ、こんなことになるんだ?」

 と、まったく分かっていないのと同じではないか。

 小学生の間の唯一の思春期であった。

「そういえば、小学生の時、お姉さんに憧れたことがあったな」

 というのは、口に出さないだけで、誰もがあるのではないだろうか。

 大人になってから、戦隊ヒーローものの、

「紅一点」

 と呼ばれる、女性戦隊のお姉さんを追いかけたりするヲタクもいるという。

「アイドルを追いかけるならまだしも、子供が好きな戦隊ヒーローを追いかけるというのは、どういうことだ?」

 と気持ち悪がる人もいるだろうが、そういう人は、自分が子供の頃に。一度は戦隊ヒーローのお姉さんに憧れたということを忘れてしまったというのか、それとも、

「本当は憶えているが、いまさら恥ずかしくて、戦隊ヒーローに憧れていた」

 などということを言えないと思っているからではないだろうか。

 確かに本当に忘れている人も多いだろう。しかし、それも、

「あれは子供の頃に、若気の至りだ」

 というようなことを考えてしまうので、まるで黒歴史でもあるかのように、

「俺は、もう二度と、戦隊ものを見ていたなどという恥ずかしいことは口にしない」

 という思いから、

「記憶の中から忘却してしまおう」

 と思うのだろう。

 つまりは、

「本当は憶えているのに、思い出したくないという思いが強いので、忘れたような気持ちになっているのだろう。だから、皆、記憶の奥に封印してしまい、二度と口にしない」

 と思うからこそ、余計に、覚えていないのかも知れない。

 逆に、大人になってまで、戦隊ものを、嫌う艇もなく、気にもせず、大っぴらに見に行くという精神は、

「皆なんで、隠そうとするんだ。皆だって、俺と同じように、ハマっていたんだろうに。だったら、大人になってから、子供の頃の気持ちを忘れないようにしようといっている人がいるが、そんな連中ほど、昔の恥ずかしい思い出を封印しようと思うに違いない」

 と感じているのだと思っている。

 だから、余計に、派手に振る舞う。隠そうとしている連中が、

「恥ずかしい」

 と思って、こちらに羞恥の目を向けるような連中に、自分たちこそ、羞恥の気持ちを思い出させ、それが、快感であり、恥ずかしいことでも何でもないのだということを、思い知らせたい」

 と思っているかも知れない。

 一種の、

「人助け」

 である。

 戦隊ものを見ていた自分を恥ずかしいと感じるとして、誰に対して知られたくないというのだろうか?

 家族? 会社の人?

 家族であれば、何も隠す必要はない。

 子供の頃に、

「親だって一緒に見たではないか?」

 と思うのだが、普通の大人は、自分の子供が、

「大人になっても、まったく成長していない」

 ということで、自分たちの育て方が間違っていたのだろうかと思うことだろう。

 しかし、逆に親の中には、今でも、戦隊ものが好きで、大人になっても、フィギアを集めている人もいるだろう。

 だが、そういう大人を見ると、子供が今度は恥ずかしくなり、

「あんな親にはなりたくない」

 という、まるで反面教師として親を見ているかも知れない。

 もちろん、親と一緒になって、

「共通の趣味」

 ということで、楽しむ人もいるかも知れない。

「今度、俺がネットで、キャンペーン会場とか探しとくよ」

 などと息子に言われると、親は、

「頼もしくなった」

 と思うかも知れない。

 要するに、恥ずかしいと思う薄い膜さえ破ってしまえば、後は、

「同じ趣味を持つ仲間」

 という親子関係があってもいいのではないだろうか。

 兄の忠直に、持病があるということに気づいたのは、その頃だった。

 元々、

「小児喘息」

 というのを患っていたが、そんなに重たいものではないというのが、医者の見解だった。

 しかし、喘息であることに間違いはないので、

「喘息って、その期間、結構きついんだよな」

 といっていた。

 自分で、吸入器のようなものを持っていて、苦しくなったりすると、それを使って楽になっているようだった。

 弟の忠次には、そんな持病はなかったが、兄を見ていて、

「可哀そうだな」

 という同情はあった。

 自分が喘息を持っていたらと思うとゾッとする。赤の他人が喘息だったとしても、同情はするかも知れないが、しょせんは他人事だと思うに違いない。

 だが、身内、しかも、血の繋がりの一番濃い、双子の兄である。ただ、これは法律的、医学的な問題なのかも知れないが、一番血が濃いのは、本当は父母であろう。直接の繋がりだからだ。

 しかし兄弟となると、自分から、父母に行き、そこから、また兄弟に降りてくるという、いわゆる、

「二親等」

 という関係になる。

 これがいとこになれば、さらに、祖父母にまで至ってから、降りてくるから、四親等になるのだ。

 日本での近親婚、あるいは近親相姦は、基本三親等以内ということになっていることから、

「いとこ同士は結婚できる」

 と言われている。

 だが、基本的に、日本では、近親婚を罰する法律は存在しないが、実際に三親等以内で婚姻が許されないというのは、

「婚姻届けが受理されない」

 からである。

 もし間違って受理されたとしても、それを取り消すこともできる。つまり、近親婚は事実上、

「許されない行為」

 などである。

 これは、忠直は知らないことであったが、忠次は、誰から聞いたのか記憶にないが、記憶にないほど、昔に聴いた。それはたぶん、今はなき、祖父母のどちらか、いや、二人か聞いたような気もしたが、祖父母がまだしっかりしていた頃のことだから、まだ忠次が、まだ小さい頃で、普通なら理解できない年齢ではなかったということであった。

 内容はハッキリと覚えていないが、

「うちの家系は、近親相姦が多かった気がするわね」

 といっていたことだった。

 祖父母の会話から聞いたことだと思うのが一番自然で、祖父母にとっては、

「どうせ、こんな小さな子に分かるわけはない」

 とタカをくくっていたのだろう。

 だから、忠次から、

「近親相姦って、何?」

 と聞かれて、忠次が、何となくではあるが理解できるような回答をしたのだろう。

「ウソをつくわけにはいかない」

 という思いがあったからだろうか。

 正確な答えでなくてもいい。それ以上しつこく聞かれないようにすればいいだけだった。ただ、それでもウソはつけない。うまくこの子の意識を、

「何だ、つまらない」

 と思わせるくらいが一番だということなのだろう。

 それは成功したのだが、完全に分かっているわけではなかったので、モヤモヤしたようなものが残った。

 それでも、

「他の人に聞くこともない」

 と思った。

 それは、また祖父母のように、

「どうせまた、曖昧な形でごまかされるに違いない」

 という思いがあったからだろう。

 そんな忠次が、祖父母が言っていた言葉で意識として残っているのは、

「うちの家系は代々、近親相姦や近親婚が続いているからな。身体の弱い子ができるのも仕方のないことなのかも知れないな」

 ということを話していたようだった。

 もちろん、言い方がもっと曖昧だったという記憶から、この意識も後から考えたことで、自分の中で曖昧になったことだったのかも知れない。

 それを思うと、

「これは、誰のことを言っているんだろう?」

 とその時は、このように感じはしたが、誰のことなのか、分からなかった。

 だが、今考えれば、すぐに分かることなのに、あの時分からなかったというのも、実際に解せない感覚だった。

「覚えていたくない」

 あるいは。

「忘れてしまいたい」

 という意識があったからこそ、分からなかったのかも知れないと感じたということではないだろうか?

 だが、今だったら、それが、

「弟のことを指していたのだ」

 とすぐに分かる。

 このことを聞いた時の時系列と、

「兄貴が喘息というもので苦しんでいる」

 ということを感じた時、その意識が時系列的に、ハッキリ時代的に合っていたかどうか、曖昧だったのだ。

「小児喘息」

 という言葉を知ったのは、かなりまだ後だったような気がする。

 そういう意味で、これらの意識は、どうやら実際の時系列と違っているように思えてならない。

 それだけ子供の頃の記憶というのは曖昧なもので、いい加減なのだろうかということになるのだろう。

 そんな子供の頃の記憶など、あっという間に消えるのが、思春期という時代だろう。

 しかし、まったく色褪せない記憶というのもあって、

「曖昧な記憶程、忘れられないものもない」

 と考えていた。

 実際に、思春期になると、子供の頃の記憶があいまいになってくる。

 しかし、曖昧だったはずの記憶は今度は鮮明とまではいかないが、

「今忘れていないのだから、これからも残っていくに違いない」

 という、どこから来るのか分からない、確信のようなものが、意識としてあるというのは不思議なものであったのだ。

 そんな意識の中で、

「記憶というものは、新しい記憶で塗り替えられるものもあれば、新しい記憶が入ったことで、決して忘れないものが何なのかということが分かってくる」

 という不思議なものが存在することを感じているのだった。

 小学校を卒業する時、忠直は、一人の女の子と親しくしていた。

 思春期でもなかったので、忠次は、それを見ても、何とも感じなかった。思春期に入ってから感じた、嫉妬などはなかった。

 ただ、二人を見ていて、

「よくあの二人、一緒にいられるよな?」

 と感じたのだった。

 その理由として、

「あの二人、まったく性格が合わないのに」

 ということではなく、むしろ逆だった。

「あの二人性格が似すぎているので、一緒にいて、億劫に感じないのだろうか?

 というものであった。

 それは、まるで、磁石の感覚だった。

「N極とS極」

 違うものであれば、磁石では引き寄せ合うのだが、

「N極とN極、S極とS極」

 というように、同じものであったら、

「反発し合う」

 というものであるということは、小学生から知っていることであった。

 だから、人の性格も同じものであり、

「似たというよりも、ほとんど同じ性格であれば、二人の相性は却ってよくはなく、反発し合うものではないか?」

 ということであった。

 そんなことを考えるのは、

「きっと、俺だけなんだろうな」

 と忠次は思っていた。

 他の人もそうなのかも知れないとは、思うことはなく、最初に見たもの聞いたものを信じるという、ある意味、実直な性格だったといってもいいだろう。

 だから、他の人と違うことを考えても、

「俺って、変わり者なんだろうか?」

 と感じてしまったとしても、すぐに、

「どうでもいいことだ」

 と打ち消してしまうのだった。

 忠次は、兄の忠直のことを、あまり好きではなかった。

 それは、きっと、

「性格が似すぎている」

 というところから来ているのではないかと思うようになった。

 性格が似ていると感じると、近くにいなくても、すぐそばに迫ってこられているように思うのだ。

 それは、相当な威圧感である、

 本当であれば、兄貴というものは、

「実に頼りになる」

 と言って感じるものなのだろうが、何しろ二人は双子なのである。

 どっちが兄であっても、些細なことなのだろうが、逆に双子の場合は、似かよりすぎているので、距離を離してやらないと、億劫な気持ちのせいで、

「ストレスが生まれてきたり、無意識に離れなければならない」

 というようなおかしな感覚になるのではないかと感じるのだった。

 そんな兄貴に、

「小児喘息」

 という病気があったのは、兄貴には悪いが、

「俺の中で、近くに寄りすぎていた兄貴が離れてくれたという意味で、ありがたかったのではないか?」

 と感じていた。

 だが、まさか、その兄が、

「小児喘息が原因で、アレルギーには弱い体質になってしまっている」

 ということを知らなかった。

 もちろん、親は先生から聞いて、いろいろ知っていたことだろう。食事などの摂取にも気を付けなければいけない。

 さらに、予防注射もそうだ。受けていいものと、受ける際には、アレルギー体質者用のワクチンが必要になるのである。

 そのことを、当人も知っておかなければいけないだろう。

 そして身近な人間にもその意識は必要だ。

「お兄ちゃんは、小児喘息という病気が祟って、今は、アレルギー体質がひどいの。だから食事やアレルギーに罹りやすいものは近づけてはいけないのよ」

 と言われた。

 最初は、

「父も母も何を言っているんだ?」

 と思ったが、これまでの両親における、兄に対しての、

「気遣いや、腫れ物にでも触るかのような」

 そんな感覚がうっすらとあったが、ここで繋がったと言ってもいいだろう。

 そんな忠直を誘拐したという連絡が入ったのは、ある日の夕方であった。

 やっと涼しくなりかかったこの時期、夏の暑さがまだ身体に沁みついているだけに、秋の虫の声を聞くと、ホッとするところがあるので、

「この時期は、根拠はないが好きだな」

 と思っていた。

 根拠になるかどうか分からないが、セミの声が聞こえなくなったというのは、それが一番の暑さに対しての薬だったといえるだろう。

 そんな時期だった。弟の忠次がいなくなったのは、それを誘拐だと気づくまで、結構時間が掛かったのであった。

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