第3話 双子の習性

 中学生になってから、

「自分が損をすることが結構多いんだな」

 ということに気づいたのは、少年雑誌に掲載されているマンガを見たからだった。

 そのマンガでは、双子の兄弟が主人公で、同じ中学に通う二人であった。

 兄の方は、悪戯好きだったり、好奇心旺盛で、その好奇心に逆らうことなく、行動していて、先生からも、

「厄介な生徒だ」

 と思われるようになっていた。

 兄の方はというと、

「成績優秀。スポーツ万能。さらにイケメン」

 という形の、非の打ちどころのない少年だった。

 だが、考えてみれば、

「中学生らしい」

 といえば、兄の方なのかも知れない。

 思春期なのだから、好奇心旺盛なのは当たり前。悪戯好きではあるが、そんなに人に迷惑をかける方ではない。本当に一般的な中学生だった。

 もし、弟がいなければ、兄がクラスの人気者だったのかも知れない。だが、兄の存在が自分を表に出してはくれないのだ。

 いつの間にかコンプレックスを持っていたのかも知れない。

「俺は絶対に弟と同じ道をいかない」

 といって、

「我が道をいく」

 という感覚になるのだった。

 その時、マンガの何話目だったか。その中で、最近味わったのと似たエピソードがあった。

 一人の女の子が、モジモジしながら、兄の前にあらわれたのだ。

 兄とすれば、

「俺に告ってくれるのか?」

 と思ったようだが、それも無理もないことだった。

 しかし、

「すみません。これ、弟さんに渡してもらえますか?」

 というではないか。

「何だよ。俺は伝書鳩か?」

 とでも思うような、自分が道化師に見えたのだ。

 とんだ三枚目の役であり、本来なら一番毛嫌いする頼まれごとだったが、なぜか、その子の顔を見ると、断ることができなくなっていた。

「しょうがないな」

 と口ではそういい、表情も複雑な顔をしていたに違いない。

 それくらい極端であれば、鏡は必要ないと思った。

 引き受けはしたが、兄は弟に渡すことはしなかった。

 すると、それから数日して、兄は、不良に喧嘩を売られた。理由など分かるはずもない。

「何だよ。一体」

 というと、

「お前が、妹を辱めたからだ」

 といって、鼻息を荒くしていた。

 もちろん、兄は何も知る由もなかった。しかし、相手にはそんなことは関係なく、

「問答無用」

 とばかりに襲い掛かってくる。

 2,3尾圧殴られると、そこに見たことがある女の子が現れて、

「お兄ちゃん、こいつじゃない」

 というではないか。

 といって、お兄ちゃんと言われた不良はこちらをまじまじと覗き込み、

「ああ、こいつは、出来の悪い方の兄貴か」

 といって、妹をなだめるように、そのまま何も言わずに立ち去って行った。

 ただ、そこには、ボコられた兄が倒れているだけだった。

 まわりには誰もおらず、ある意味、不幸中の幸いだっただろう。まわりはどうせ助けてはくれないだろう。だから、誰にも知られない方が、数段幸せであった。

 その女の子はラブレターを渡してくれと頼みにきた女の子だった。

 何がどうなって、自分がボコられることになったのか? 正直分からない。しかし、考えられることとしては、

「妹のラブレターに一切反応しようとしない弟に、相手の兄が業を煮やしたというところだろうか。妹がバカにされたとでも思ったのだろう」

 と考えると、分かる気がする。

 だが、そうなると、自分がボコられたというのは、

「まったく自分に関係ない」

 と本当に言えることだろうか。

 遠因になるかも知れないが、

「俺が手紙を握りつぶしたということから、弟は何も知らないのだから、相手の兄が怒るとすれば、その原因を作ったのは、兄以外に誰もいないではないか」

 ということになるだろう。

 だからと言って。ボコられていいわけではない。

 そもそも、

「あの女が、他人になんか頼まず。自分でいけばそれだけのことだったんじゃないか?」

 ということである。

 何があっても、自業自得。誰も巻き込まずにやっていることだから、兄が出てくることもないだろう。

 ただ、主人公とすれば、

「謂れなき暴力ではあったが、殴られるだけのことをしたのではないか?」

 という思いはあった。

 かといって、いまさら時を戻すことなどできるはずもない。

 だったら、前に進むしかなくて、その進んだ前にあるのは、一体何なのであろうか?

 マンガは、それ以降、読まなくなった。

 元々、最初から、兄に対してのみ、攻撃し、罪のない顔をしているが、兄の辛さも知らずに、いつもモテているのは、すべて自分のおかげだという風に思っている、

「お花畑思想」

 の表れなのではないだろうか?

「この兄は、俺なんだ」

 と思うと、もうここから先、読み続ける気力はなくなってしまった。

「まるで、俺の未来を予言しているかのようではないか?」

 と考えたのは、やはり、ラブレターが原因だったことだろう。

「まるで、俺の運命を予見でもしているんだろうか?」

 と恐ろしくなったからだった。

 ラブレターのマンガを見ていると、今の自分の立場を考えてしまう。

「自分たち双子と、兄と弟で立場が逆だが、もし、俺が兄だったら、どんな兄弟だったんだろうな?」

 と思った。

 忠次は、自分のことを、あまりいいようには思っていなかった。

「きっと生まれる時、人間としてのいい部分をすべて兄貴に持っていかれたんだろうな?」

 と思っていた。

 そういう双子は結構いると聞いている。

 だから、双子というと、

「相手のことが分かるくらいによく似ていると、ツーカーなんだろうな」

 と言われるが、実際に双子と言っても、そんなに似ているわけではない。

 顔は確かに似ているようだが、正確はまったくの正反対に感じる。こっちは、性格的にあまりまわりからよくは思われていないようで、しかも、中学になって、ぶくぶくと太り出した。

 それがコンプレックスになり、兄への嫉妬に変わる。

「点は二物を与えないんじゃないのか?」

 と言いたかった。

 どうせなら、いいところと悪いところをそれぞれ折版して、違うところでの、一長一短をつかさどってくれるのであれば、別に恨むこともなかったはずなのにと思うのだった。

「兄貴は俺たちの関係をどう考えているんだろう」

 小学生の頃はあれだけいろいろ話をしていたのに、中学に入ると話をしなくなった。考えてみれば、

「ああ、避け出したのは俺の方だったか」

 と思った。

 兄に対しても嫉妬心からだろう。

「このまま兄貴に対して嫉妬心を抱いたまま、今の距離であれば、最終的に置いていかれるのは俺の方ではないだろうか?」

 と感じた。

 あれはいつのことだっただろうか? 一度、兄が誰か知らないおじさんの車に載って、どこかに連れていかれそうになったことがあった。小学校の低学年くらいの頃だっただろうか? 正直、人さらいいしか見えなかった。

「誰だ。兄貴をさらおうとするのは」

 といって、カバンを振り回して近づくと、車の中から運転手の、

「いいから、早く乗れ」

 と言われた、兄を車に連れ込もうとした男は、兄をそのままにして、急いで車に乗り込むと、運転手が一気に車を加速させ、そこかに走り去った。

 明らかに、

「誘拐未遂だ」

 と思った。

 だが、兄貴はキョトンとしていて、自分が置かれた立場が分かっていない。

「せっかく、遊園地に連れて行ってくれるって言っていたのに」

 と、兄貴はまったく疑うことなく、むしろ、邪魔をしたのは、弟だとばかりに、悔しがっていた。

「おいおい、しっかりしてくれよ」

 と、相手を誘拐犯としてしか見ていない弟に、不信感をいだいたようだ、

 弟の方は、

「助けてやったのに、なんて言い草だ。こんなに危機感がないなんて」

 と子供心に思ったものだ。

 それなのに、すでに、兄貴には、人気が備わっていた。特に女の子からの人気は絶大だった。

 その頃の女の子は、基本、容姿重視だったことだろう。

 兄貴の性格など見ている人はいなかった。その証拠に、人気はあっても、兄と友達になる人は意外と少なかった。今から思えば、

「アイドルのようなもので、抜け駆けなど御法度、しかも、友達の関係になるまでには、まわりに気を遣ってからでないといけないので、結構時間が掛かるだろう」

 ということであった。

 そのせいもあってか、女の子たちは、抜け駆けも難しいので、皆適度な距離を保っていたのだが、ファン心理というものが、意外と居心地のよさを感じさせるということで、この距離感も、女の子間では気楽にできる要因となったのだった。

「兄貴って、あんなにファンがたくさんいるのに、どうして、一人の人に決められないの?」

 と普通に聞いたことがあった。

「だって、一人に決めてしまうと、せっかくいる皆が一気に消えてしまうことになるだろう。それが嫌なのさ」

 という、直球な答えが返ってきた。

 その言葉には信憑性はあるが、それだけではないだろう。まわりの嫉妬の目が怖いというのが、本音なのかも知れない。

 嫉妬だけではなく、一人に決めてしまうと、

「蜘蛛の子を散らす」

 ということは、それまでファンであったことを汚らわしいとでも思うのか、

「傷つけられた」

 という被害者意識を持ってしまうと、そこには、女の間の嫉妬に匹敵するような、いや、怒りを匹敵させようと、離れていく理由を、自分たちで形成しようと思もうのであった。

 女の子も、離れていく理由を考えるように、兄貴としても、女の子が離れていく理由を自分なりに考えようとしていた。

 それは、一種の負け惜しみであるが、その負け惜しみが、言い訳になるということを感じると、

「決して俺は負けたわけではない」

 と感じるのだった。

 負けを認めることは、小さい頃から一番嫌いなことではないかと、忠次は兄の忠直を見ていて思った。

 ここだけは兄弟に共通したことで、

「負けを認めるということが、一番つらく、嫌なことだ」

 と感じているのだということを直感していたのだ。

 だから、忠次は思っていた、

「兄貴の気持ちが分かるということは、それは、自分と同じ性格だということではないか?」

 と思ったのだが、最初は、

「そんなバカな」

 と、兄貴の気持ちが分かる部分は、

「俺にはない部分なんだろうな」

 と感じるところばかりだったのだ。

 否定したい気持ちは、やまやまだが、逆に兄貴の方は、弟が、

「そんなバカな」

 と思っていることを、疑うことなく感じているという。

 そもそも、その性格が、

「まったく似ていないところではないか」

 と言えるのではないか。

 俺にとって、兄貴という存在は、正直。悔しいが、なかなか追いつけないものを持っている。それが何かというと、

「似て非なる者ではないか?」

 と感じることであった。

「そもそも、双子なのだから、似ているところはたくさんある」

 という気持ちに変わりはない。

 しかし、その気持ちを必要以上に否定しようとしている自分がいるのだ。

 なぜここまで必要以上になるかというと、やはり、双子だという事実は、簡単に覆すことはできない。

「事実は変えられないが、真実というものは、変えることができるんじゃないか?」

 と、これは、小学6年生くらいの頃に感じたものだ。

 今から思うと、小学6年生くらいがピークで、思春期に入ってくると、その悩みや特別な感情が渦巻くことで、自分が分からなくなり、思考が混乱することで、自分自身、思考が後退しているように思うのだった。

 そんなことを考えていると、

「俺は小学校6年生くらいの頃には何を考えていたんだろうな?」

 と、ついこの間のことだったはずなのに、考えてしまう。

 中学に入ると、急に太り出した忠次は、自分の中で、

「何かのホルモンのバランスでも崩れたかな?」

 と考えた。

 普通なら、

「食べすぎや、栄養のバランスを考えていないからだ」

 と思うのだろうが、

「だったら、双子で、自分と同じ食生活の兄貴も同じではないか?」

 と思えるのだが、実際には、太ったのは自分だけだった。

 そうなると、後は言い訳を考えるだけ、浮かんできたのは、ホルモンのバランスということだったのだ。

 ただ、もう一つ思ったのは、

「思春期というのも、その一つではないだろうか?」

 ということであった。

 ホルモンのバランスが崩れるということは、

「思春期だから」

 というところに返ってくるのだ。

 思春期というのは、

「肉体の変化に精神がついてこれない」

 というところから起こったことではないかと、思春期を抜けてから考えた。

 精神と肉体のバランス。まさに、ホルモンの関係ではないか。

 しかも、男性と女性でホルモンが決定的に違う。逆に言えば、

「ホルモンが違うから、男性と女性が存在する」

 と言ってもいいだろう。

 男と女の一番の違いは、

「子供を産むことができるかどうか」

 というのは、分かり切ったことである、

 だから、思春期になると、男女とも、

「異性を求める」

 という気持ちになるのだ。

 だが、それは一足飛びにあるものではない。

 異性を求めるまでに、まずは異性に興味を持つ。さらに、自分を中心として、身体に変化が生まれてくるだろう。

 女性は初潮があり、男は、生殖機能としての精子の生成が始まる。

 それによって、精神的に、自分にないものを持っている異性に興味をいだくのは、それこそ、

「人間としての本能」

 であろう。

 人間の身体は実によくできている。

 身体が、異性を受け入れられるようになってくると、精神的にも異性を求めるようになる。

 異性がまわりにいないと、おかしな気分になり、

「これを寂しさというのか?」

 という。家族が少しの間いなかったり、まわりに友達が一人もおらず、味わう孤独感とは違うものだ。

「家族には、絆のようなものがある。それが血の繋がりというものだ」

 ということで、

「家族だけは特別だ」

 と思うであろう。

 しかし、これが異性になると感情が違う。絆のようなものは感じないが、その代わり、身体がムズムズするのだ。何とも言えず、ムズムズしてくることで、寂しさが生まれ、その寂しさを補うには、どうすればいいか、身体が教えてくれるのだった。

 だが、その寂しさを紛らわすその行為は、

「もろ刃の剣」

 と言ってもいいだろう。

 寂しさを紛らわせたとしても、満足感は一瞬にして消えてしまうという儚いものであった。そのあとに訪れる、

「賢者モードと呼ばれるもの」

 それは、男性特有のもので、女性は、その快感が結構続くという。

 しかも、男性の賢者モードは、罪悪感から来るもので、罪悪感がなくなると、少しすると、身体が回復し、また、女性を求めるのだ。

 しかし、女性は、絶頂を迎えても、男性のような賢者モードには突入しない。その代わり、寂しさがこみ上げてくるようで、ついつい男性にしがみついてしまう。

 だが、男性は賢者モードの真っ最中。全身が敏感になっているくせに、欲望も興奮も消えている賢者モードなのだ。思わず払いのけてしまう人もいるだろう。

 女性はその時、

「この人、自分だけのことしか考えていない」

 と思うかも知れない。

 気持ちが盛り上がって、貪るように相手を求めるところはまったく同じなのに、絶頂を迎えてしまうと、ここまで違うのか。

「身体の構造の違い」

 というだけで、かたをつけてもいいのだろうか?

 そんなことを、考えるのであった。

 もちろん、中学生の二人が、性行為を知っているわけでもない。ただ、興味はある。しかも、クラスに一人くらいは、いるだろうという、

「好奇心を持った純真無垢な男に、性的な話をして、相手がどんな反応をするかということを見て、興奮するという、異常性癖に近いようなやつ」

 である。

 そんな奴が、別に知りたいと公言したわけでもないのに、耳元で、ひそひそ囁いて、

「いかに性行為が気持ちいいか」

 ということを吹き込んだりするのであった。

 ここで、

「双子だといっても、決定的な違いがある」

 ということが露呈してきた。

「兄貴は、貪欲に性欲に興味を持っているようだが、俺は、そんなに性欲というものがなくなってきた気がするな」

 というものだった。

 そのことが分かってきたから、自分が太り出したことい気づいたのだ。

 だが、そうなると、

「俺がモテないのは、太ったからではないということか?」

 と思うのだった。

 自分が太り出した原因として、

「食欲が旺盛なんだ」

 という当たり前のことであったが、

「なぜ、食欲が旺盛になったのか?」

 というところまでハッキリとわかっていなかったのではないだろうか?

 つまり、

「性欲がない分、食欲に走ったのだ」

 と考えれば理屈に合ってくる。

 思春期の間というのは、

「食欲、支配欲、睡眠欲」

 など、生活必需の欲だけではなく、支配欲や性欲などという、本能むき出しではあるが、人によって形が違うものもあることを考えると、

「それぞれの欲が一気に花開くのが思春期であるが、限界がないわけではない」

 と言えるのではないかと思うのだ。

 つまり、何かの欲を抑えれば、それだけ別の欲にその力が発揮され、逆に、何か一つに力が集中すれば、他のことはおろそかになってしまっても仕方がないというように、人間の精神や肉体の構造はそうなっているということであろう。

 それが、

「ホルモンのバランス」

 という、抽象的で、中途半端な表現になるのではないだろうか?

 そんな状況において、

「どういう感情を持つか?」

 あるいは、

「ホルモンのバランスというのが、どういうものだというのか?」

 ということを考えるのであった。

 すると、

「ホルモンのバランス」

 という表現が使い勝手がよく、中途半端で曖昧な表現であることに気づく。

 自分の欲が、

「思春期になれば、すべて日の目を見る」

 ということではないとは思ったが、逆に一概に言われる欲が一つでもないと気になるところであった。

 ただ、欲というものは、たいていの場合、あまりいい意味で用いられない。それはきっと、

「欲を持ちすぎると、犯罪行為に走ったり、自分を見失ったりするからではないだろうか?」

 ということなのではないだろうか?

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