第3話 ナナの家
二時間程で、JR大久保駅近くの二階建てのおんぼろアパートの前に着いた。
「ふう。すっかり遅くなっちゃったね。
あれ? 電気ついてるね。お母さん、帰って来たのかな?」
ナナの部屋の前で、桂浜先生がそう言いながらドアの脇にあるボタンを押した。
ピンポワーン……
間の抜けた音がして、しばらくしたら、ドアがガチャリと開いた。
「なんだ、オメエ……」
出て来たのは、何か柄の悪そうな中年の男だった。
「あ、あの。私、ナナさんの担任の……桂浜と申します。
ナナさんが、江ノ島で保護されたって警察から連絡があって、連れて参りましたが……お父様ですか?」
「あん? ……がっこの先生? へへっ、それはご苦労やんした。
あっしは、こいつの叔父です。ほら、ナナ! さっさと入れ!」
そう言いながら、叔父を名乗る男は、エリカの手を思い切り引っ張った。
その瞬間。頭の中のズキンズキンが最大限に鳴り響く。
「それじゃ。来宮さん。明日はよろしくね……」
桂浜先生は、そう言いながら逃げる様に去っていった。
くそ、こいつ思いっきり酒臭いな……。
でも、こいつもナナの記憶には見当たらない。
部屋に入るが、何だこれ。思いっきり汚い部屋だな。
足の踏み場もないとは、まさにこの事だ。
もともと綺麗好きなエリカには耐えがたい状況ではあるが、とりあえずこの叔父や母親の様子が分かるまでは我慢と、自分に言い聞かせた。
でも、これ。どこで寝るんだ?
仕方ないので、壁に寄りかかってぼーっとしていたら、叔父を名乗った酒臭い男がそばにやってきて、エリカの隣に座った。
「ナナー。お前、何やってんの?
マッポとか、がっこの先生とか勘弁しろよなー。
でもよー。麻美には内緒にしてやっかんよ……いいよな?」
そう言いながら、叔父を名乗る男がエリカの太腿をさすりだした。
なんだ、こいつ!
エリカは、全身の毛が逆立った様な悪寒を覚えた。
同時に、頭の中のズキンズキンがさっきよりさらにひどくなる。
そうしていたら、男はエリカのジャージの中に手を突っ込んで、股間をまさぐりだした。
ぷちっ!
その瞬間。エリカの堪忍袋の緒が切れ、男のあごを下から思い切り殴り上げた。
ドガッ!!
叔父を名乗る男は、そのまま二mくらい吹っ飛んだ。
「て、てめー。何しやがる!
てめえを女にしてやったのが俺だって忘れた訳じゃねえよなー。
それとも何か? 麻美が連れ込む男どもにヤられ過ぎて忘れちまったか!?
ふざけんじゃねーぞ! 俺は麻美に金払ってんだ!
おとなしく俺にヤられろってんだ!」
「おい! お前、今何て言った!? 麻美って何だ!」
エリカが大声を出しながら立ち上がる。
「気がふれたか、おめー。麻美はオメエのかあちゃんだろうが?」
なんだって!? ……なんてこった。それじゃナナは……。
呆然とするエリカに、男が後ろから抱きついて、無理やり胸を揉もうとしたが、その男の腹にエリカが肘鉄を食らわせ、ひるんだところで間髪置かず、エリカの右ストレートが顔面にさく裂した。
男は玄関先まで吹っ飛び、白目をむいて気絶していた。
「はん! マナが使えなくたって、このくらいは楽勝なんだよ!
魔王を舐めるな」
だが、気が付くと、右のこぶしが割れて出血している。
あーあ。ナナの身体が私の動きについてこられないか……。
こりゃ気を付けないと、三年たたないうちに壊しちゃうかもな……。
しかし、頭の中のズキンズキンはもう止んだ様だ。
こいつは……。
ナナの封印された記憶が何かのアラートを発していたのかも知れないな。
「さって。こいつどうしようか……あたいとしては死刑なんだが……。
こっちの世界でそれやったらシャレにならなそうだし……。
そんじゃ、さらし亀首?」
そう言ってから、エリカは気絶している男を真っ裸にして、部屋の外に引っ張り出し、階段から下に転がした。
部屋に籠って聞き耳を立てていたら、外が騒然としてきて、そのうちサイレンの音が聞こえてきた。
その後、どうなったかは知らんが、まあ、まさかこの部屋の少女と姦淫しに来たとは言えんだろ。まあ、あの程度の奴なら何度襲ってきても負けはしないけどな。
その後、部屋の中のゴミを端に寄せ、横になってウトウトしていたら、明け方近くになって、玄関が開いた。
見ると三十代後半と思われる、めっちゃケバい、香水の匂いのきつい女が入ってきた。こいつが、麻美……母親か……。
エリカは、寝たふりをしながら薄眼を開けて母親を観察していた。
すると、
ドゴッ!!
いきなり、みぞおちに蹴りを入れられて、エリカは悶絶した。
くそっ、カツ丼が出ちゃうじゃねえか!
キッとにらみ返すエリカに向かって、麻美が言った。
「そんな眼で親睨むクソガキに育てた覚えはないよ! あん?
なにマッポにしっぽ振ってるんだよ……。
ったく、めんどくせーったらありゃしない。
で、高橋のオヤジはどうしたんだい? ちゃんと相手したんだよな……」
「高橋って……あの、叔父さんって言ってた奴?
なんか警察に連れてかれた……」
ドガッ!! 今度は顔に正拳が飛んできた。
「なにしてくれてるんじゃ、ぼけぇ!
あんな金づる、そうそうそういないんだよ!
まったく、誰のおかげでメシ喰えて学校行けてるって思ってんだよー、おい」
な、何なんだ。こいつ、本当に母親か?
だが、さっきしていた頭の中のズキンズキンはまったく発生しない。
おい、ナナ。お前、これでいいのかよ……。
すると、頭の中で小さな声が聞こえた。
「お願い。お母さんは許してあげて……」
◇◇◇
やがて麻美は、足元のゴミを蹴飛ばして隅に寄せ、そのまま毛布をかぶって寝てしまった。
「くっそー。ああ痛てえ……」殴られた頬が腫れている様にも思える。
「で、おい……ナナ。いるんだろ?」
「……うん。ごめん。なぜか分からないけど、貴方がこの身体に入る時、私も巻き込まれちゃった……」
「そっか。だが済まねえ。もうこの身体を返してやる訳には行かないんだ。
あんたの魂の尾は切れちまってる。
だからあたいが出てったら、こりゃ只の死体だぜ。
あんたは、うまくここから出ていって、ちゃんと成仏したほうがいいよ。
ったく……たった一晩で、あんたが死にたくなった理由がよっく分かったぜ」
「…………それで、どうやって出ればいいの?」
「はっ? うーん。それは……ちょっと分かんないな……。
くそ、デルリアルとは三年後まで連絡とれねえし……」
「あのね! ……さっきはありがとう。あの高橋をぶん殴ってくれて……。
私じゃあんな事出来なかったから……」
「ああ、お安い御用だ。
あんなクソ虫共が、ワサワサお前にたかってたのかと思って、ゾッとしたぜ。
これからも、もしあんなのが湧いたら、せいぜいぶちのめしてやるよ。
だが……元凶はこの母親じゃねえのか? なんでこいつに抵抗しないんだ?」
「……お母さんは、私のたった一人の肉親だから……私の為に、自分が不幸になる道を選んでくれた人だから……私、ずっとお母さんのそばにいたいから……だから、お母さんだけは殴らないで」
「……そうか……お前がそう言うなら、とりあえず分かった。
だが、余りにひどいと、あたいも切れる事があるからな。そん時は勘弁だ」
「うん……それで、あなたのお名前聞いてなかった……」
「ああ、あたいはエリカ。魔王エリカだ。
ここじゃない世界から来たんだが、訳あってお前の身体を三年借りる。
それで……この身体から出られねえとなると、お前はどうするよ?」
「私……この身体、自分で捨てちゃったんだし、あまりあなたにいろいろ言う資格ないよね。だから貴方の深層意識っていうの? それに隠れてじっとしてる。
たまにお母さんの声だけ聴ければいい。
後は、あなたが好きにしていいから……」
「わかった。だがあたいは、筋の通らない事は大嫌いでな。
今日みたい事があると、いろいろ騒ぎを起こすかも知れないから、もし目に余るようなら注意をしてくれよな。
それと……虫の良い話で、いまさらなんだけど……。
この世界、何かと分からん事だらけでな。
いろいろ教えてもらえると助かるんだが……」
「うん……」
そう言って、ナナの意識はまた、エリカの深層意識下に消えていった。
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