42. 更新される最愛

 午後の授業になっても、琴乃ことのは教室に戻ってこなかった。


「俺、ちょっとトイレに行ってきます!」


 クラス中がどよめく。


 授業が十分ほど過ぎたあたりで、俺は琴乃ことのを待つことが出来ずに席を立ちあがってしまった。


「お、おう……。気をつけてな」


 俺の鬼気迫る声を聞いたからか、先生が変なことを言っている。


「わ、私も!」

木幡こはたはここにいて」

「で、でも!」

「もしかしたら戻ってくるかもしれないから」


 小声で木幡こはたにそう告げて、俺はダッシュで教室から飛び出した。

 

 廊下を急いで走り抜ける。


 とりあえずもう一度屋上に行ってみよう。

 校内で一人になれるところはあそこしかないはずだ。


 どうしたんだ琴乃ことの……!

 どこに行ったんだ!?


琴乃ことのっ!」


 屋上に到着するやいなや、琴乃ことのの名前を叫ぶ。


「はぁ、はぁ……」


 屋上中を探し回るがどこにもいない……。


「そ、そうだ! また家に戻っているのかも……」


 前世の実家にも電話してみる。

 携帯に番号は登録はされていないが、何年もいた家なので忘れてはいない。



プルルルル



 俺の焦りとは裏腹に、いつも通りの着信音が流れる。

 頼む……! 早く出てくれ!


『はい、もしもし古藤ことうですが』


 俺の思いが通じたのか、オフクロが電話に出た。


「オフクロ! 琴乃ことのはそっちに帰ってないか!?」


『ん? 康太こうたかい?』


「そうだよ俺だよ! 俺!」


『うちの康太こうたはもう死にましたが……』


「詐欺じゃねぇから! 琴乃ことの! 琴乃ことのはそっちに戻ってないか!?」


『えっ? うちには戻ってきてないけど――』


琴乃ことのが家に戻ったらこの番号にすぐに連絡をしてくれ!」


 オフクロの返事を待たずに、携帯を切る。


 くそっ、じゃあどこだ! 

 琴乃ことのはどこに行ったんだ!


 とりあえず、琴乃ことのが行きそうな場所に行ってみるしか……!


 俺は急いで学校から外に出ることにした。




※※※




 琴乃ことのの携帯を何度も鳴らすが、一向に出ない。


 息が切れるのも忘れて、俺は走り続けた。


 琴乃ことのに何かあったら……。

 琴乃ことのに何かあったら俺は……!


琴乃ことのに何かあったら転生した意味なんかっ!


 まだあの話をするのは早かったのか……?


 でも、今あのタイミングを逃すとまた言えなくなってしまう。


 ……俺が異性として好きなのは美鈴みすずだ。


 アホで、とんちんかんで、運動音痴で、不器用で、アホだけど、一緒にいると暖かい気持ちになれる美鈴みすずが大好きだ。


 だから、前世の俺は美鈴みすずと家族になりたいと思った。


 美鈴みすずとの子供が欲しいと思った。 


 自分が幸せになりたいから、美鈴を幸せにしたいからと思ってずっと生きてきた。


 でも今は――。


「はぁ……はぁ……! ここにはいないか」


 最初に琴乃ことのを助けた通学路に来たが、どこにも見当たらない。


 あ、あと琴乃ことのが行きそうなところは……。


「つ、次は最初に待ち合わせした駅か……!」


 転生してから琴乃ことのと過ごした日々を思い巡らせていく。

 

 目元にはじわっと涙が浮かんでいく。


 悪い方向に勝手に想像が膨らんでしまう。

 俺は、そんな思考を振り切るために再び走り出した。




※※※




 気がつけば、時間はとっくに夕方の六時になろうとしていた。


「ぜぇ……ぜぇ……」


 琴乃ことのと一緒に行った場所は、ほとんど探し回った。

 何度も携帯の画面を見るが、琴乃ことのからは着信がない。

 携帯の電池もそろそろピンチだ。


美鈴みすず! まだそっちには戻ってないか?」


『こっちにはまだ戻ってないよ。そろそろ私も!』


「一番いそうなのは学校だから! つらいだろうけど校門が閉まるまで待機していてくれ!」


『わ、分かった……。ところで康太こうた、あそこには行った……?』


「あそこってどこ!?」


『――』


「え……?」


『もしかしたらだよ……? 私も校門が閉まったらそっちに行ってみるから』


「うん……」


 そう言って、木幡こはたとの着信が切れた。


(……)


 そこは盲点だった……。


 木幡こはたの言う場所は、果たして琴乃ことのは覚えている場所なのだろうか。


「くそっ……!」


 でも、今は前世の妻の言葉を聞いてみるしかない。


 俺は急いでその場所に向かうことにした。




※※※




 汗が噴き出す。


 足が痛くなってきた。


 でも休むことはしなかった。できなかった。


 俺は、住宅街に来ていた。


「……ここらへんは変わってないな」


 俺は町の外れにある、場所に来ていた。

 開発が進んだ駅前とは違い、この周辺はそのまま昔の名残が残っている。


 潰れたままの個人商店。


 汚い自動販売機。


 お年寄りが住んでいるのか、それともただの空き家なのかすら分からない古びた家。


 そんなのが立ち並ぶ、あまり手入れされていない道を進んでいくと、ボロボロのアパートが見えてきた。


 ――昔、俺たちが住んでいたアパートだ。


「あっ」


 そのすぐ近く、誰にも使われなくなって、錆だらけになっている公園のブランコに琴乃ことのがぽつんと座っているのを見つけた。


 遊具はブランコ以外は完全に撤去されているのですぐに見つけることができた。


 安堵感からまた涙が出てきそうになる。


「はぁ……はぁ……! やっと見つけた」

唯人ゆいと君……?」

「まさかこんなところに来るとは思わなかったよ」

「ここが分かるってことは、本当に唯人ゆいと君がお父さんなんだね……」

琴乃ことの……」


 なんとか息を整えて、俺も琴乃ことのの隣のブランコに腰を下ろす。

 琴乃ことのは、俺から逃げることなくその場でじっとしていた。


「ごめんね、いきなりいなくなっちゃって」

「ううん、俺もごめん。いきなり色んなことがあり過ぎたよな」

「うん、でも嬉しいよ」

「嬉しい?」

「やっぱりお父さんは琴乃ことのを見つけてくれるんだなぁって」

「すごい探し回ったけどな」

「本当だ、汗びっしょりだね」


 琴乃ことのが少し申し訳なさそうな顔をした。


「それにしても懐かしいなぁ、ここ」

「私ね、落ち込んだときはよくここに来てたんだ」

「……小さかったのによく覚えてたな」

「忘れないよ。大切な思い出だもん」


 琴乃ことのが、ブランコに乗った足をぷらんぷらんしている。


「……琴乃ことの、ちょっと昔話をしていいか?」

「えっ?」


 そう言って、俺は話をすることにした。


 ずっと琴乃ことのの成長ばかりを喜んでいたが……。


 俺も……。

 自分も成長しないといけなかった……!


「お前のお母さん……美鈴みすずとは幼稚園の頃からの付き合いでさ、それから腐れ縁で小学校から大学までずっと一緒。小学校のときは、登校前に俺のこと朝迎えにきたりしてたなぁ。あっ、それはうちのオフクロが言ってたか」

「うん……」

「俺はお母さんとは高校のときから付き合い始めてさ。大学を卒業してからすぐに結婚したんだ。なんでだか分かるか?」

「そんなの分かんないよ……」

「お前が、美鈴みすずのお腹にいたから」

「えっ?」


 そのまま俺は話を続けた。


「最初はお金がなくて大変だったよ。だから、こんなボロボロのアパートに住むことになっちゃったんだ」

「そうなんだ……」

「でもすごく楽しかった」

「え?」

「大好きな人と一緒に暮らせてたから」

「……」

「でもさ、その大好きって更新されていくんだなぁと思った」

「更新?」

「うん、大好きな人からまた大好きな人が生まれたから。琴乃ことのが、俺たちのところに来てくれたから」


 言葉を詰まらせながら、必死に俺は次の言葉を出す。


「それまでは自分が幸せになりたい、美鈴みすずを幸せにしたいって思ってたけど――」


 転生してから、何度も言った言葉をもう一度琴乃ことのに伝えよう。


 大好きは更新されていく。

 好きな人からまた大切な人が生まれる。

 自分ではないものがもっと大切になっていく。


 大切なものが増えていく、それってとても素敵なことだと思う。


 だから、ちゃんとした答えをこの子に伝えないと。


「俺が異性として好きなのはお前のお母さんなんだ。でも、俺が一番大切なのは琴乃ことのだよ。俺が一番幸せにしたいのは琴乃ことのだよ。だからそんな悲しそうな顔をしないで」

「……うぅ」


 琴乃ことのの目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。


「私、ショックだった……。唯人ゆいと君が心春こはるちゃんのこと好きだって言って頭が真っ白になった……」

「ごめん……」

「私、お父さんが好きで……唯人ゆいと君が好きになって……」

「うん、分かってるよ。ありがとう琴乃ことの


 ブランコから立ち上がり、少しかがんで琴乃ことのの体を抱きしめる。


「うぅ……ぐすっ」

「ありがとう琴乃ことの、何があっても琴乃ことののこと大好きだよ」

「うわぁああああん!」


 そのまま琴乃ことのは俺の胸の中でしばらく泣いていた。




※※※




 それからしばらくすると公園の近くにクルマが止まった。


琴乃ことのっ!!」


 そのクルマが木幡こはたが血相を変えて飛び出てきた。

 運転席には義兄の姿も見える。


琴乃ことの!」


 木幡こはた琴乃こはたに抱きついた。


「馬鹿ぁあああ! あんないなくなりしたら心配するでしょう!」

「ごめん……」


 在りし日の口調で、木幡こはた琴乃ことののことを叱っている。

 二人の顔はぐちゃぐちゃになっていた。


「一番大切なのはあなただって言ってたでしょう!」

「ごめん、何度もそう言ってくれてたよね……」

「本当に馬鹿! 琴乃ことのの馬鹿!」

「そ、そんなに怒らないでよぉ……」


 木幡ことの琴乃ことのの体を力いっぱいに抱きしめている。


「っ……!」


 俺も、自分の涙を手で拭う。


 なんとなくだけど、体育祭から続いた前世バレ騒動はこれで少しは落ち着くような気がした――。


「ところで心春こはるちゃん」

「どうしたの?」

「針万本飲むって言ったよね?」

「えっ!?」

「……これからが本当の勝負だからね」


 ……。


 ……。


 琴乃ことのが怖い顔をしている。


 こ、琴乃ことのはきっと分かってくれたよな……?

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