4. 父と娘は同級生 後編

次の日



湯井ゆいくん! ノートは私が取ってあげるから安心してね!」

「い、いや、利き手空いてるから大丈夫なんだけど……」


湯井ゆいくん! ご飯大丈夫? わ、私が食べさせて――」

「だから利き腕が空いてるから……」


 琴乃ことのが急にぐいぐいくるようになった。


 原因は不明。


湯井ゆいくん、次の時間は体育だよ。見学するの?」

「この手じゃまだちょっとなぁ……」


 琴乃ことのがめちゃくちゃ俺に話しかけてくる!


 なんでだ! 一体何が起きたんだ!

 最初にプリントを渡されたときの冷ややかな表情はどこにいった!?


古藤ことうさん、無理しなくていいよ。そこまで不便してないし」

「ううん! 私のせいでそんな風になっちゃったんだもの! 私が湯井ゆいくんの左腕になるから!」


 な、何を言ってるんだこいつは。

 たかが左腕の親指の骨折くらいで、そこまで責任を感じなくてもいいのに。


「だから別に――」


湯井ゆいー! 古藤ことうー! ちょっとお願いがあるんだけど!」


 琴乃ことのに返事をしようとした瞬間、クラスメイトの男子が俺たちに声をかけてきた。


「体育倉庫にこれ取ってきてほしいんだけど! 先生に頼まれちゃってさ!」

「これ?」


 その男子は俺にぺらっとメモ書きを渡してきた。


「って、結構重そうなのあるじゃん! 俺、一応怪我人なんだけど!」

「いいから! いいから! 古藤ことうもいるから!」


「「?」」


 琴乃ことのがいるから大丈夫? なんで?

 言っている意味が分からず、思わず琴乃ことのと顔を見合わせてしまった。


 そもそもその雑用はお前が頼まれたんじゃないのか。だったらお前が行け。


「じゃあ頼むぞ湯井ゆいー!」

「ちょ、ちょっと!」


 そう言って、その男子は慌ただしくどこかに行ってしまった。


「自分でやれよなぁ……。じゃあ悪いけど古藤ことうさん手伝ってくれる?」

「うん! もちろんだよ!」


 まさかな……。

 一つの懸念を抱きつつも、琴乃ことのと一緒に体育倉庫に行くことになった。




※※※



 

 知 っ て た。



 思いっきり体育倉庫に閉じ込められた!


 閉じ込めた犯人は、絶対にさっきの男子だ。

 こんなベタなことやるのはどの時代も変わらないんだなぁ……。


 よりによってこんなほこりっぽいところにうちの大事な娘を閉じ込めやがって。


「小学生みたいなことを……。とりあえず、少し待てばすぐけてくれるとは思うけど」

「そ、そうなんだ――」


 体育服の琴乃ことのがペタッと倉庫のマットの上に座っている。顔は紅潮し、こちらを見ないように目線をそらしている。肌が白いので、何かの拍子で赤くなったときはすぐに分かってしまう。


「あんまり恥ずかしがってると、皆の思うつぼだからね」

「ご、ごごごごめん!」


 俺がそう言うと、琴乃ことのは体ごと顔を俺からそむけてしまった。


「ご、ごめんね。何だかみんなが噂してるみたいで」

「噂?」

「だ、だから私と湯井ゆいくんが――」



ガタタッ



 琴乃ことのが何かを言おうとした瞬間、急に地面が震え出した。



ガタタタッ!


 

「じ、地震だ! これは大きいぞ!!」

「う、うん」

「あっ! あぶない!!」


 地震の振動で、琴乃ことのの近くにある棚が崩れそうになっている!


「えっ!?」



ドカドカドカドカ!!



 周囲で沢山の何かが派手に倒れる音がした!




※※※



 

「大丈夫か琴乃ことの!?」

「ゆ、湯井ゆいくんこそ大丈夫!? う、腕は!?」

「俺は全然大丈夫! ケガはないか!?」

「わ、私は大丈夫だよ」


 俺は、落ちてくる荷物から琴乃ことのを守るため、咄嗟に琴乃ことのに覆いかぶさるように飛び込んでいた。


 琴乃ことのを押し倒す形になってしまったが、とりあえず怪我はないようだ。


 俺の背中には荷物やら、倒れた棚やらが寄りかかっていた。

 重いし、背中が痛かったが、お互いに無事なのでとりあえずひと安心だ。


「腕つらいでしょ? もっと私に体重かけていいよ?」

「そういうわけには……」


 とは言ったものの、左手の親指が骨折していて身を支えるのつらかったので、少しだけ腕を曲げて琴乃ことののほうに体重をかけることにした。


「少しずつ上の荷物ズラしていくから、琴乃ことのは危なくないように身を小さくして――」

「えへ、えへへへ」


 急に琴乃ことのが壊れた。

 何故か嬉しそうに琴乃ことのが笑い始めている。


「ど、どうした?」

「もっと体重かけていいって」

「え?」


 ふいに琴乃ことのの両手が俺の背中に回された。

 自分のほうに引き寄せるように力いっぱいに抱きしめられた!


「えへへ。昔嗅いだお父さんの匂いがするぅ……!」 

「そ、それ同級生に言うのどうなの!?」

「私にとっては誉め言葉だし。何だか落ち着くなぁ」

「い、いいから離れてくれない? 普通に危ないから!」

「もう少しこのままがいい」


 スンスンと匂いをぐように、琴乃ことのが俺の胸元に顔を擦り付けてきていた。




 も の す ご く 複 雑 だ。



 あの琴乃ことのが!


 まさかあの琴乃ことのがこんな顔をできるなんて!


 元気いっぱいで、何にでも興味を示す子だった!

 何でもやってみて、どんな失敗をしても明るく笑っている子だった!


 そんな純粋無垢だった琴乃ことのが、親にも見せた時ないような顔をしている!


 いや、まさに今見せてはいるのだけど……。


 熱に悩まされたような目つきで、顔を真っ赤にしている。


 密着した身体からだからは、琴乃ことのの心臓の音がこっちにも聞こえてきそうなくらいバクバクしているのが分かる。


湯井ゆいくんと話してると落ち着くなぁと思ったらこれだったんだ」

「お、落ち着いてるのこれ?」

「なんだかね、湯井ゆいくんってお父さんに似てるんだ。話し方もおこり方もお父さんに似てるんだ」

「……」


 琴乃ことのが、自分の溜まっていた気持ちを吐露とろするかのようにそんなことを言ってきた。


 歯がゆい……。俺は黙ってその言葉を聞くことしかできない。


「私が小さいころにね。お父さんもお母さんも死んじゃったんだ。私、お父さんのことが本当に大好きで大好きで。よくお母さんと喧嘩ばっかりしてたなぁ」

「そっか……」

湯井ゆいくんの匂い好きだなぁ……。昔もこうやってお父さんにさぁ」


 ほんの少しだけこの子が抱えていたものを俺に見せてくれた。


 きっとずっと寂しかったんだろうなぁ……。


 父親も母親も急にいなくなってしまったのだから。



 ――琴乃ことのの言葉に、抑えていた気持ちが込み上げてきてしまった。



 今すぐ。


 今すぐこの子に!


 本当は自分がお前の父親だと伝えたい!


 お前のことをずっと愛していたと伝えたい!


琴乃ことの! 俺、本当はお前の!」

「えっ」


 そう言って、琴乃ことのの体を抱きしめてしまった!

 背中に寄りかかっている荷物の圧力もあり、思ったよりもずっと強く抱きしめてしまった。


 もしかしたら失った時間を取り戻せるのかもしれないと、そんな期待感でいっぱいになっていた。


「俺……本当は……! 本当はお前の――」



ガラララ!!



「「「大丈夫かーーーーー!」」」



 薄暗い体躯倉庫に光が差し込んだ。

 さっきの男子の声とともに体育館倉庫の扉が開いた。


「うわぁああ! 湯井ゆい古藤ことうがエッチなことしてるー!」

「ち、ちがっ!」


 男子どもが大声でそんなことを言い始まった!

 どうやら外にはさっきの男子の他にも複数のクラスメイトがいるらしい!


「えぇええええええええ!?」


 がやがやと騒がしい声が聞こえてくる。


「ま、まままずい!!」

「私は別にいいよ。さっきの言葉の続きが聞きたい」

「良くない! 全然良くない!」


 琴乃ことのが赤らめた顔でそんなことを俺に言ってきた。


「こ、古藤ことうさんって意外に大胆……」

「えぇええ!? 湯井ゆいって意外に手が早くない!?」

「えっ? どこまでやっちゃったの?」


 クラスメイトたちの野次馬が次から次へと飛んでくる。

 うるせぇ! 早く助けろ!


琴乃ことのも早く離れて!」

「えへへへ。仕方ないなぁ」


 違う! その反応は間違っている!

 これじゃまるで恋してる女の子と話しているみたいだ!


 い、今はっきりと分かってしまった。

 分かってはいたのだが、再認識してしまった。


 今の俺はこの子のじゃなくて、ただのなのだ!


「ねぇねぇ湯井ゆいくん、次の休みデートしない?」


 ついには娘にデートに誘われてしまった。

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