図工室のステンドグラス



「図工室を開けるぞ。いま来いすぐに来い」


それだけ言って切られた通話。普通のやつなら「なんだ今の電話」と言って二度寝をキメることだろう。だが、僕にはそうもいかない理由があったのだ。


図工室。


打ち付けられた板、光の漏れるその隙間から見えたのは、素敵なものたち。


きっと、大事にしていたのだ。

きっと、捨てられなかったのだ。

きっと、捨てたかったのだ。

きっと、大事だったのだ。


いつか、「開けてみようか」などといっては忘れ去られた部屋。


絵を描くのが好きだった彼女のアトリエだったであろう部屋。


それを、今、開けようというのだ。



「あいかわらず遅いな。ドラえもんさんなら秒で来てるぞ」

「ドラえもんに敬称をつけるなよ……」

「そっちかい」

「とにかく……本気なの?開けるって」


息せき切って走ってきた僕に対する言い草がこれだ。僕はいたって真剣だって言うのに、彼女は朗らかにニコニコと……。


「見たまえ!本気印の金属バット!走り回りたくなっちゃうぞ!盗んだバイクでな!」

「君さ、年齢詐称してないよね?」

「親世代は守備範囲内だろう」

「そう……」


金属バットを振り回す彼女に連れられ、看守と囚人のような様子で図工室へ向かう。ちなみに、もちろん僕が囚人だ。そこまで考えてはっとする。


「手ぶらで来ちゃった」

「気にすんなよ。お前の役目は見てることと……まあ、今はいいか」

「あのさ、手ぶらでっていうのはそういう鈍器だけじゃなくて」


轟音。


鼓膜が現在の状況を拒否してる。「キーン」だって。ストライキの音だ。


ああ、僕がもっと早く気付いていれば……。


「釘抜きなり斧なりあったでしょうがッ!!」

「これが一番だろ!ぶっ壊すイメージにはもってこいだ!!」


彼女は扉を殴打し続ける。経年劣化のツケがたまっていた木材は脆くも崩れ去り、思い出の代わりに埃っぽい木ゴミが積み重なっただけ。


防具を忘れた僕は、破片の被害を被らないように真後ろにある男子トイレの扉に隠れた。


「……あれだけ強固に見えたんだがな」


軽く息切れしている彼女は、先ほどまでの暴れっぷりと打って変わって、寂しそうにぽつりと呟いた。


確かに彼女にとっては強固だったのだ。

どんな武器をもってしても破れないような、強固な扉だったのだ。


砕け散った扉から、彼女を射殺そうと光が射す。


彼女は、光に負けなかった。光を受けて軽く笑い、「こんなものか」とこぼした。


「お前の仕事はまだあるぞ!来い!」

「あ、はい……」


圧倒されて、何か言う余裕なんてなかった。そこには、ぼくの言葉が入る隙間なんてなかったはずだ。


彼女は、しっかりした足取りで図工室へ入ると、感慨深げに見回した。


「こんな小さな世界が、私すべてだったんだな」

「アトリエ……ではないね」

「趣味の部屋だ。好きなものは何でも、この部屋にしまいこんだ」

「ステンドグラス?」

「私が作った。ガラス細工にハマった時にな」

「多趣味だねえ」


彼女は、胡桃色のイーゼルに立てかけられた絵へ向かい、その金属バットを振り下ろした。


「ちょっ……」

「これも、これも、これもだな。あとこれも」

「頼むから趣旨の説明をしてくれ!」


怖すぎる。慈しむように見た直後に金属バットを振り下ろしてめしゃくしゃにしてしまうのだ。怖いに決まってる。人間の怖いもの第一位は「理解できないもの」だ。持論だけど。


「……これは、私が普通であろうとして描いた絵だ」

「上手だね」

「至極つまらん」


ぐしゃり。


「そっちはモネ、それはゴッホの影響で描いた絵」

「なるほどわからん」

「私は私と向き合おうと決めたから、私以外のだれかが私を通して描いたものはゴミだ」


僕にはわからないが、彼女には彼女なりの線引きがあるらしい。懐かしむように見ては金属バットを振り下ろし――――ステンドグラスを突き破って外へ投げた。


「ちょっと何してんの君は!!」

「ちょっとたのしくなってきた。お前の係は掃除だからな!好きなだけ散らかせるって算段だ!!」

「それでか!!」


ドアといい絵といいガラスといい、全部僕が片付けなくてはいけないのだ。彼女が言うならそうなのだ。ナントカの弱みってやつだ。仕方ない。


「なあ、たのしいな!私はどうしてこんなもんがこわかったんだろう!!」


最早破壊の女神と化した彼女が笑う。割れたステンドグラスがまた不規則な光を落として。


ああ、なんて神々しい。


「若さってものが鼻についても、芯があれば誰も何も言わない。未熟だから余計に鼻につくんだ。あれも。これも。それも!」


好き放題壊し放題して、ようやくおとなしくなった。


描写してなかったけど、僕の耳はかわいそうなことになってたからね。普通に話してるように見えたかもしれないけど、両者だいぶ叫んでたからね。最後の方なんてもう悲鳴だった。


ああ、そうか。

彼女の精一杯の悲鳴だったんだ。


それでも最後に残ったものが、彼女にとっての宝物なんだろう。彼女自身なんだろう。僕に美術的感覚があったら、また何か違った感想を持ったのだろうか。


「………………」

「……気が済んだ?」

「まだだ!!いらんもんはぜーんぶまどから捨ててやるんだ!!」


彼女は、欠片も、木片も、キャンバスも、破片も、ついでに金属バットも、全部全部窓の外へ投げ捨てた。自分の土地だからって好き放題やりすぎだ。


「なーにが図工室だボケェ!曾祖父ちゃんの頃には学校でもなかったくせに!こんなもんはこうだ!!」


「図工室」と書いてある、ネームプレートらしきものまで投げ捨てた。


「だーっはっは!!私は自由だ!!思い出になんかすがってやるもんかバーカ!!死ねボケ!!」


だいぶ口が悪くなってきているが止められないのは、彼女が初めて涙を流していたからだろう。無意識なのか、僕より遥かに強くて、雲の上の人間だと思っていたことに気づかされた。


僕より年下の少女なのに。


「大事なもんと一緒にしてやるもんか!!この生き恥が!!黒歴史が!!バアァーーーーーーーカ!!」


それを最後に、彼女は肩で息をして座り込み、男らしい仕草で涙をぬぐった。


膝も呼吸も、震えていた。


「これが、君に残ったきれいなものなんだね」


背中を軽く叩いて、来た時より広くなった気のする室内を見回す。


「僕には、絵とか芸術とかわからないけど……」


何と言っていいかわからないけど。うまく言えるかわからないけど。


「濾過されたんだなって思う。不純物が取り除かれて、純粋な君だけが残った」

「なんで……お前にはわかるんだろうな」


その言葉に、どんな気持ちが込められているのかわからなかった。


歓喜とも、落胆とも、憔悴とも、自嘲とも、期待とも取れる。


「曾祖父ちゃんの時には、ここってなんだったの」

「ん?たしか、やど?民宿?しゅくはくしせつ?」

「なんとなくわかった」


細かい塵や欠片のなかに、光を反射するものがあった。それがやたら気になって、拾い上げてみる。どこかに挟まっていたようで、木材が鎖を噛んでいた。木材は脆く、手でも折れた。


「ねえこれ落ちてたけど。状態を見るからに、どこかに挟まってたんじゃないかな」


すこしだけくすんだ銀色。ペンダント、らしいそれのトップには、魚が泳いでいた。彼女らしい。僕の手元を見ると、彼女は先程涙を流していた時よりも泣き出しそうな貌をしていた。


「……それ、そんなところにあったんだ。やっぱりお前が見つけるんだな」

「なに?僕と何か関係あるの?」

「ないよ。ないんだけど……」


彼女は、僕から魚のペンダントを受け取ると懐かしむように掌の上でつついた。


「兄からの、さいごの貰い物なんだ」

「…………」

「見て。あの絵」

「魚の絵?」


一番大きなキャンバスに描かれた魚の絵。


「これ、あの絵をもとに作ってくれたんだ。私の、宝物だった」

「お兄さん、器用だね」

「そうだな。そういえば、あんまり兄の話をしてこなかったな」

「聞くのも悪いかと思ってたしね」

「そうだなあ。じゃあ、すこしずつ、話していこうか……」


止まった時が、動き出す。悲しい音を立てながら、時に軋みを上げながら。


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