日食



「う~ん……」

「いつもひきこもってばかりなんだからたまには出かけようよ」

「うぅ~ん……」

「最近じゃ前みたいに出かけもしないじゃないか」

「うううううううん……」


豪雪地方のド田舎の山、その麓あたりにある、森に囲まれた廃校。


そこが、僕らの世界だった。


廃校の管理人をしている彼女と、友人……と言ったものかなんというか。とにかくそこには春があって夏があって秋があって冬があって。僕と彼女(と、猫)の世界だったんだ。


彼女はどうにもそこから出たがらないというより、出られない理由があるらしく、この頃は以前にもまして外に出なくなった。いや、街に降りなくなったんだ。

保護者心を持ってしまっている僕が、ひきこもってばかりは健康によくないと街へ引っ張っていったのだ。


「森でもないのに、せみがたくさんいるな」

「そうだね……」

「なんだ、連れ出しておいて元気ないな」

「だって、そりゃあ……」


僕が気になっているのはミンミンジャワジャワと小うるさい夏の風物詩ではなく、ヒソヒソコソコソとうるさい人の声だった。夏というものは人の口までうるさく鳴くようになっているのか?


「まあ、あんまり遊び歩いてると体裁もわるいしな。そろそろ帰るか」

「え……ちょっと、」


無気力に見えて、どこか張り詰めたような表情だった。


桜の葉が陰になり森の中は涼しく、廃校の中は外と違って清涼な空気を保っている。


「私な、人身御供なんだよ」

「は?」

「裏庭の桜の木、あるだろ。たくさん」

「ああ、おばあさんのためにおじいさんが植えてたっていう……」

「ほんとはな、あの中の一本を隠すためなんだ。先祖代々、桜を植え続けてる」

「なんか、非現実めいてきたな……」

「ここの人間には、それが現実なんだ」


今の時代に、人身御供なんてことあるのだろうか。


しかし彼女は語りだす。


清流のように。川の潺のように。



「あの桜は、寄るものすべてを狂わせる神の桜じゃ」


そういう言い伝えがあった。


寄れば狂い、触らば祟られ、みな恐れたり畏れたりしていた。


夜には妖しく光り、冬でも狂い咲く。


その桜には、神が宿っているのだと。


神の依り代なのだと。


50年経てども100年経てども枯れることなく咲き続け、人々に呪いをもたらした。


そこで人々は考えた。


桜の守人一族を仕立て上げ、途切れぬ贄を差し出すように、と。


くだらない土着信仰だが、同調圧力の濃すぎる時代遅れの田舎じゃあ、それが真実とされてきたんだ。


それが、私の一族だ――――。



「そんなものでここに縛り付けられてるわけ?」


信じられない。一億総スマホ時代に土着信仰に人身御供だなんて。人権を無視している。


「一緒に逃げよう。僕、よそで仕事を探すから……」

「逃げられないよ。引っ越し業者だって駅員だってみんな知ってるし、家族を残していけない」


ちっぽけだった。僕はすごくちっぽけで、些細な存在なのだ。年下の少女一人救えやしない、慰めもできやしない。世界に何の傷もつけられない。


「絵を好き放題描かせてくれて褒めてくれたのって、やっぱそういうことなのかなぁとも思うよ。絵さえ描ければここから出ようなんて考えないから。陶芸も彫刻も、ビーズ細工だって好きなだけやらせてくれた。おおきなしずく型の、海色をしたビーズがほしいって駄々をこねた時、わざわざ海外から取り寄せてくれたくらいだし。でも、ずっと、からっぽだった」

「桜なんて、伐っちゃえばいいのに……」

「呪いだけならね。みんなさ、あの桜を、呪いを防いで富を与えてくれるものだって、ずっと信じてるんだ」


いつもあいさつする近所のおばさんも、知り合いだらけの店員も、何気なく利用する施設の職員も。みんな。


時代を先どった技術の裏で、こんなくだらないものを信じていたんだ。


彼女と親しくする僕を、笑っていたのかもしれない。


街へ連れ出す僕を、危険因子に思っていたのかもしれない。


「でも、若い人ならそうじゃないはずだ……僕の友達だって、怪談程度にしか知らなかったはずだし……」


ヴヴヴ、と、タイミングよくメッセージが入る。


『神の桜に捧げられた贄は、神へ近づき心を失っていく』


今更か、とか、タイミング良すぎだろう、などというツッコミはしない。


冬に、父親に民俗学のあれこれを聞いてみる、と言っていた友人だ。きっとこの話を知らなかったはずだ。きっと僕の代には薄れていくんだ。だから、彼女だってもう自由になっていいはずなのに。


「兄が死んで、箔が付いたみたいだからな。記憶を失って、狂人みたくなって死んで、伝承通りだって。贄は私なのにな。因果が逆になるんだ。ここじゃ、事故で死んだのに、呪われてるから事故に遭ったんだって言われる。まあ、友達とかその親とか、いい人も何人かはいるけど」


そんなことないんだって、大丈夫だって言わなくちゃならないのに。接着剤か何かで張り付いたかのように、口が開かない。


「もう、気付いてるんだろう。私も、少しずつ、記憶を失ってきていること」


思い描いていたのだ。いつかは彼女を連れて、街の方か、少し離れたところに住もうって。


思い描いていたのだ。彼女だけは、いつまでも変わらずにこの青春を僕と延々繰り返すんだって。


ガラにもなく、ずっと一緒にいる気がしていたのだ。


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