桜の花が散るように
いつかの春だったと思う。その時は確か彼女がピザを焼くとか言い出したものだから、木を切りに山に入った。
◆
「ねえ、薪にするって言ったって生木はやめといた方がいいんじゃない?」
「別に今日それを使うわけじゃないさ煙がひどいし」
「ああなんだ知ってるんじゃないの」
「山育ちなめんな」
じゃあなんだってわざわざしばかりに行くような真似をしなきゃいけないんだ。と、心の中でぶつくさ言いながら裏の山道を歩いていた。それにしても桜がすごい。どこぞの公園や川沿いの並木道よりすごいんじゃないかこれは。この辺りの八割、いやもしかしたら九割が桜の木だろう。散り始めなのかまだ枝にある花の方が多いがそれでも足元に薄紅の絨毯ができるほどだった。
「桜、きれいだね」
「ばあちゃんが好きだったんだ。元々ここらは桜が多かったけど、ばあちゃんを喜ばすためにってじいちゃんが私より若い頃からずっと植えてたんだ」
「へえ~……おじいさんいい人だね」
「おう。そういえばうちの兄も好きでよくここに来てたな……」
しゃがみこみ、一枚、一枚と花びらを拾う彼女。何も言わない。ただ黙々と花びら集めに勤しんでいる。今、彼女は何を考えているんだろう。
「今年は桜が散るのが早いらしいね。ちょっと寂しいよね」
「桜はな、散らなければこんなに魅力的じゃなかったんだよ」
「そう?綺麗に咲いてた方がいいんじゃない?」
「枝についたまま枯れ腐っていくのは綺麗じゃない。徐々に緑に変わってく方が綺麗だ」
一帯の桜を見つめながら話す。視線は桜に向いているような気がするけど、心はどこかに旅に出ているかのようだった。静かな山の中、暖かな陽射しと風の音。なぜだか、くだらないことで話をそらすことができなかった。
暫し、そうしていたが、思い出したかのように再び花びらを拾い集めていた。花びらは両手に持ちきれないほどで、ピザ生地を捏ねた時の小麦粉がついたままのエプロンに、裾を持ち上げハンモックのように、花びらを包むようにして持っていた。
「そんなにあつめてどうするの?」
「ジャムにするんだ。ジャムと入浴剤と、押し花と、えっと、なにに使おうかな……ポプリも作ろうかな」
「へ~色々作れるんだね。なんかそういうの得意だっけ?」
「好きに得意とか得意じゃないは関係ない」
縫い物もしてたし苦手ではなさそうなんだけど。
「昔は色々作ったぞ。たしか図工室に……」
はっとして口を噤む彼女。図工室。図工室といえば。今は扉に板が打ち付けられ、辛うじて中が窺える位の隙間しかなかった。以前覗いてみたので中のことは多少知っている。何故隠すのか分からない程、素敵なもの達。
「……春はうかれてだめだ。そろそろ帰ろう。生地の発酵も済んだ頃だろうし」
まだ全てを話してはくれないのだろう。春の陽気とは裏腹に暗く静まる彼女の顔。僕はまだ遠慮というものを持ち合わせていて、深く尋ねることはできなかった。
◆
今年も桜は見事に咲いていた。板はまだ打ち付けられたままだが、彼女からその話は聞けた。彼女自身も取り戻したいと思っているなら、きっといつか、板は全て取り去られるだろう。
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