小雨にまつわるえとせとら




明け方から雨が降り続いていたが水が道路を埋め尽くすこともなく、ただしとしとと地面を濡らしていた。いっそ土砂降りにでもなれば気分は晴れたような気がしなくもないが、こうも薄暗くはっきりしない天気だと気が滅入る一方だ。


そもそも僕は雨が嫌いだ。湿気が鬱陶しい。雨音が煩い。靴が濡れる。いいところなんて傘で他人の顔が見えないだけでその傘だって邪魔でしかない。後ろから軽くクラクションを鳴らすのが聞こえた。端によけると擦れ違いざまに車が水を飛ばして裾が汚れた。思わず舌打ちが出て眉根を寄せた。事故れ。そう呟くと余計に苛立ちが募った。


どうして日曜の朝から「彼女」に荷物を届けないといけないのか。思わず心の中で彼女を責めそうになったが元々僕から引き受けた物な上に僕の都合で持っていくのが今日になってしまったのだから自業自得だ。


人通りの少ない道から人通りのない道へ。何かの神社の少し手前、山道に入るところを曲がれば全景が見える。木造ではないがとても古く、もうあまり学び舎の面影が残っていない。先ほど見えた山を含めここら一帯の土地の持ち主である彼女の祖父が――もう亡くなっているが――壊すのは子供たちが寂しがると、返してもらった後も管理を続けていた。そしてその祖父が亡くなった今は、彼女が管理を引き継いでいる。ついでに僕はそれに関する諸々の書類をあれこれしている。時給0円。

僕が大学を出たら本格的に働いてあげようと思っている。さすがにただでは働けないけど。


いつもの教室に入ると、彼女は窓際に机と椅子を移動させ、窓の外を眺めていた。その顔は嬉しそうでもなければ、僕の憂鬱な顔とも少し違った。僕に気づいているのかいないのかおもむろに話し始めた。


「いっそ大雨なら、まだ気分は晴れたと思うんだ―――」



私がまだ絵を描いていて、兄も祖父も生きていて、私が自由を謳歌していた頃。


私は雨が大好きで、雨が降ると傘も差さずに外へ駆けていったものだった。その日もこんな小雨だった。小雨だと、傘を差さなくても怒られなかったから、もっと好きだった。でも、じいちゃんだけは違った。いつも、私に傘を持ってくように言ってた。いつ大雨になるかわからないからって。


その日。その日もこんな小雨だった。私は例のごとく手ぶらで外に駆け出して。雨の日の植物だとか動物だとかを見て回ってた。でもその日に限って雨脚が強くなってきてな。はやいとこ帰ろうと思ってたらじいちゃんの声がするんだ。結構離れてたのに。なんだと思って目を凝らしたら私の分の傘を持ってきてるんだよ。


「ちょっと待って。それってこの話の最後におじいさん死んだりする?」

「いや。ここでは死なない。ここから10年後位に大往生する」

「そっか。じゃあ続けて」


それで私は子供ながらにじいちゃんに悪いことしたなと思ってその日はおとなしく帰ろうとしたんだ。で、帰り道に橋を通るんだ。

もちろん川も見えるんだけどさ。死んでるの。人が。


「は?」


流されたのかどうか知らないけど、明らかに死んでた。川は大分増水してるから駆け寄りもできない。じいちゃんは近くの公衆電話から救急呼んだんだけど結局死んでて。で、私はそのまま―――


「まって、ちょっとまって、しん、え?なに?何の話なの?」

「小雨にまつわるえとせとら」

「死なないっていうから思い出話として聞いてたのになにそれ」

「思い出話ではあるぞ。わたしが小雨で落ち込むことになった思い出」

「うわー……」


僕はその話を最後まで聞かずに帰った。雨は余計に嫌いになった。


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