雪涙
除夜の鐘を聞くために、僕と彼女はふたり、かつては校庭だった広い場所の真ん中へ立った。
地面と並行に空を見上げれば、空気中の塵が氷の粒を広く纏って僕へも降りてくる。田舎特有の、大きく白い。
人はそれを、雪と呼ぶ。
風が止んだ静かな夜。風に乗りもしないそれはゆっくり、ゆっくり、小さな音を立てて積もっていく。
頭を軽く振って薄く積もった雪を払う。隣に並ぶ彼女は、なんと口を開けて降ってくる雪片を食べている。
僕は雪の正体を知っているので決して食べたりはしない。綺麗なのは降っているのを見ている時だけ。
積もってしまえばそれは不快で面倒で邪魔な存在に変わってしまう。
それを彼女に伝えると、彼女はやっぱり彼女で。
「空気中のちりなら、いいじゃないか。呼吸するのと雪を食べるの、同じちりを食べるなら、空気より雪を食べた方がいい」
呼吸してても、意識的に塵を食べてる訳じゃないんだけどな。
「影が、青いね」
「なつかしいな。何年前のできごとだろう」
「初めて会った時だからね。2年位じゃないの」
どうだったかな。もっとだったかな。それともまだまだ短かったかな。
普段は気付かないくらいに少しずつ、それでも隠せないほどには多すぎる、彼女の忘却。
物忘れでは片付けられない、病気でもない、でも彼女のお兄さんを間接的に死なせた忘却。
彼女は今、その道をなぞりつつある。
彼女は気付いていない。忘れたことすら、忘れてしまっている。僕にはどうすることも出来なくて、ただ、彼女の隣に今もこうして突っ立っている。
「ことしもあと10分たらずか」
「今年はまあ有意義には過ごせたと思う。それなりには」
「そうか。わたしだってゆーいぎに過ごした気がするな。来年の抱負でも言っとくか?」
「そういうのは年が明けてからにするんじゃないの」
「じゃあ今年中にできることってなんだ!」
「うーん、今年の反省でもすれば?」
反省、と聞いてうんうん唸り始める彼女を横目に、僕は心の中だけで懺悔した。
(僕は、忘却に気付いていながら忘却から彼女を守れなかった。)
気付くとまた空を見上げていた。
どうしようもなくなると、空を見てしまう。悲しい訳でもないけど、少し虚しくて。
「そうだ!わたしのことしの反省はな!」
ゴーン、ゴーン…………
近くの寺で鐘を撞き始めた。年が明けたらしい。
「おお……あけましておめでとう、ことしもよろしくたのむ」
「あれ、反省はいいの?まあ、年明けちゃったけど……」
「鐘の音にびっくりして忘れたよそんなもん」
そもそもわたしに反省点などない、と威風堂々ふんぞり返る彼女の言葉に、僕は笑っていいのか泣いていいのか分からなかった。
僕はやっぱり気付くと空を見上げていて、彼女も僕のそれに倣っていた。
彼女が見上げるのにはきっと、理由はないのだろう。
降り止まない雪に、風は無し。
見上げた目に降りてきた雪が入った。
それはすぐに溶けて、雪よりも僅かに多く流れていった。
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