tut-tut



「チッ」


何やら書きこんでいた彼女が舌打ちをした。


小さな、だけど確実に耳に響く、不快感や嫌悪感などを示す音。


他者なら快く思わないどころか僕まで不快になるが、僕は、彼女のたてるこの人間味溢れる音で安心していた。

彼女が、僕の日常という世界の中でちゃんと生きているのだと実感することができて。


舌打ち、あくび、くしゃみ、咳払い。


ほんの些細な、取るに足らないであろうそれらは、僕のくだらない不安を打ち消してくれる。


コーヒーに浮かぶ湯気ほどの、心地よいあたたかさ。


ふわふわとした、微睡みにも似たそれに浸っていると、ふと不思議に感じた。


僕は、何をそんなに不安がっているのだろう?


まるで、彼女が今にも消えそうとでも言う様ではないか。

まるで、彼女なんて元から存在していないみたいじゃないか。


日向に影が差したようだった。


僕は少しだけ気分が悪くなり、飲みかけのコーヒーを机に置いた。


指先が冷えてきたのを擦って温める。


不意に、ばん、と大きな音が響く。


「あーーーーーっもう!!」


驚いて彼女の方を見ると、書き損じの山に埋もれて頭を掻き毟っていた。

今間違えたらしい紙をくしゃくしゃに丸めて、その山に追加する。


頬を膨らまし、なにやら書くのを止めて頬杖をついていた。


苛立っている彼女のたてた大きな音とそのおかしな仕草に、いつの間にか僕の不安は全て吹き飛んでいた。


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