懐古:倒れた砂時計を起こす時



魚が好きで、泳ぎが下手なくせに海が大好きだった彼。

色々な事を忘れていくことを恐れた彼。

それでも私に会いに来てくれていた彼。

もう何処にもいない彼。


私が、大好きだった彼。


彼がいなくなってから、私の部屋は荒れていた。

きっちり棚に収納していたクロスワードも、大学で使っていたノートも、ばらばらになってしまっていた。


それを今日、片付けていた。


彼がいつまで経っても待ち合わせ場所に来ないと思ったら、彼の妹さんから連絡があった。

彼が、事故にあったと。

そのまま、息を引き取ってしまったと。

持っていた荷物全てを地面に落としていた。

震える声の彼女に、逆に私が冷静になる。


「わかった。教えてくれて、ありがとう。できるだけすぐに、そっちに向かうね」


後日家に行って会った彼女は、お葬式の時よりも沈んでいるように見えた。


「ねえお姉さん、こっちに来てお茶しよう。久し振りに、お話してほしい」


そう寂しそうに言う彼女と、色々な話をした。

彼女の今後のことや、彼の話も沢山した。

彼は家に居ることが少なくなっていた様で、できるだけ多くの彼の姿を話した。

少しでも、彼との思い出を共有したかった。彼が確かに存在していたのだと、刻み付けたかった。

話しているうちに当時のことが蘇り、彼への気持ちも、じわりじわりと溢れ出てきてしまっていた。

大好きだった彼。そんな彼に、私は最期まで想いを伝えることが出来なかった。

ああ、彼はちゃんと、生きていた。皆に愛されて。


「良かった。今日あなたに会えて」


私の中のぼやけてしまっていた何かを、彼女ははっきりと縁取ってくれた。

混ざって分からなくなっていた気持ちを、しっかりと掬い上げてくれた。

それだけで、私はとても、救われた。


「わたしも。お姉さんに会えてよかった。ねえ、兄さんがいなくてもこれからも遊びに来てくれる?」


寂しそうな小さな友達に、私の素直な気持ちを打ち明ける。


「勿論。お兄さんに会うためだけにここに来てたわけじゃないんだからね。あなたやお母さん、お父さんとも話せるのが、すごくすごく、楽しいの」


人間関係が希薄だった私の、大切な人達。

私は無意識に、しばらくぶりに、笑っていた。

彼女は嬉しそうにはにかむ。


「お姉さんは、ほんとに兄さんが大好きなんだね」


彼女が掬い上げてくれたこの気持ちを、他の何とも混ざらないように、大切にしよう。


「うん。大好きよ。今でも」


そう言った時の、彼女の可愛らしい笑顔の中に、彼の面影を見た。

大丈夫。私はちゃんと、歩いていける。


そして私は今日、部屋を以前のように片付けていた。

倒れたままになっていた、彼からの贈り物の砂時計。


その時を、ちゃんと進めてあげよう。

前に進めるように。


だから私は、始めに倒れた砂時計を起こしたのだった。


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