白雪の再生
これは、私と彼が出会った日の話である。
――――今から三年前、冬。
現在、私はひどく「がっかり」していた。いや、がっかりともまた違うような気がする。兄がいればきっと今の気持ちにぴったりな言葉というものを選んでくれただろうが、その兄ももう、どこにもいない。
そのことも私を「がっかり」させている要因のひとつだった。が、何よりも私をそうさせているのは、私の好きなことだ。
私の一番好きなことが、一番私を苦しめる。
毎日、毎日、毎日、毎日、されたくもない期待と、無表情の称賛。
心の無い言葉は私に染み入る事はなくただ突き刺さったまま。
私を理解しようとすらせずに、搾取しようとしているだけ。私は所詮、数あるうちのひとつの道具でしかなく、いくらでも代えのきくものなんだろう。私が消えたところで、きっと誰も気にも留めない。
たとえ目の前に立とうとも、向こうが透けて見えて邪魔にすらならない。湯気のような存在で、吹けば見えなくなる。それが私。
自分が、砕けてしまったようだった。
好きだったものは視界にすら入れたくなくなり、それに割いていた時間はただ自責に使われる。
好きなものの為の部屋は開かずの間になり、使っていた道具はその部屋の中で埃を被る。
夢ははじけて、欠片が私を傷つけようと降りかかる。
何もかも諦め、兄の元へでも行こうかなと思いたった。
棚から適当な物を探し机の上に置いておく。
「そうだ、ごはん食べてからにしよう」
そこで今日初めて声を出したことに気がついた。
今までも好き勝手生きてきたけど、今日はもっと好き勝手に生きよう。
ピーッという音で炊飯器が炊き上がりを知らせる。茶碗に白米を盛って冷蔵庫を開けるが、何も入っていない。そういえば最後に食事を取ったのは一昨日だったかもしれない。
「どっかにさかなとかおちてるかもしれない」
とりあえず探しに行ってみよう。
曽祖父の持ち物であり今は私が管理している、廃校になった校舎は静かで心地いい。ストーブを焚いている各教室とは違い廊下には澄んだ空気が流れている。
適当な部屋を選んで襲撃する。
回転しながら飛び込んだせいか管理人とは気付かれず文鎮を投げられた。
そいつは平謝りしてきたがさかなはなかったしどうでもいいので適当に流しつつ次へ向かう。次でなかったら諦めよう。どうせさいごだしそこまで追い求めるものでもない。
息を整え助走をつけて飛び込む。よし、ほぼ確実に三回転はした。
「この辺でさかなをみなかったか!」
部屋には私の声がよく響いた。
「魚ですか」
窓から外を見ていたらしい青年がこちらを振り返る。
私よりも些か年上だろう、なんだか弱そうな青年が怪訝な表情でこちらを見やる。
「そうさかな!多分おいしいやつで出来れば焼いてあるやつがいい」
若干眉間に皺を寄せたがすぐに元の表情に戻り、しらっと言い宣う。
「ごめんなさい魚は見なかったです」
結局無かったか。仕方なく舌打ちをしてから落とさないように持っていた白米を食べた。
味気ない。
「塩持ってない?」
塩くらいなら持ち歩いてるかもしれない。
「消しゴムでもいいですか」
ばかかこいつは。
「だめだ」
きっぱり言いのける。何か持ってるかもしれない。
「ですよね」
呆けたような顔でこっちを見ながら納得している、多分年上のばか。
窓の外を見ると、下に空が出来ていた。
遠くが明るいのは私が暗いからだろうかと思うとむかついて、傍の雪を取って食べた。とても懐かしい味がした。昔兄とふざけて雪を食べておなかを壊したっけ。
「雪の味だ……」
「でしょうね」
なんだこいつ。
「でもご飯には合わない」
ちょっとだけ話してやろうとばかに向き直る。
「でしょうねえ」
なに言ってんだこいつとでもいいたげにこっちを見ている。ばかだ。多分こいつはどんなしょうもないことを言っても聞いてくれて、何かしら返してくれる。
「このままじゃご飯が冷めてしまう」
温め直せばいい話だがもう関係ないし、白米持ってうろついてるのも飽きてきた。
はあ、ここらで行き止まりかな。諦めかけて隣を見ると、例の馬鹿はのんきに鞄を漁っている。
そして何かを見つけたらしくそれを差し出してくる。多分さかなではない。
そいつの手にあったのは某チョコレート菓子。
目を見開いたことがこの馬鹿に気付かれていないのを祈る。
それは、私が「がっかり」の時に兄がよく買ってくれた菓子で、兄がいなくなってからは一度も口にしていなかった。何の因果でこんなところで出会うんだろう。
無意識に、受け取っていた。箸で。
今まさにがっかりだった私は、ちょっとだけ素直になるのだ。
「君は優しいな。隣の部屋のやつは文鎮投げてきたぞ」
不本意だが。
「どうして白米持ってうろついてたんですか」
真相なんて言えやしないので嘘ではないことを話す。
「ご飯が炊けたから」
不思議そうな顔をする彼を横目にチョコとご飯を食べた。甘い。
「はーさかなが食べたい。チョコおはぎも悪くないけど」
彼が驚きの顔でこちらへ振り向く。
おえって顔してる。
「家に帰って食べるとかすればいいじゃないですか」
何も知らない彼に身の上を適当に教える。
「家はここの管理人室ですうちにさかなはありません」
意外そうな顔をした彼はさっとこちらに向き直り深々と頭を下げた。
「あ、じゃあなんかお世話になってます」
「いえいえ」
ただ開放してるだけだし。
懐かしい味のする米を食べ終えた私は予定を取り止め、長い付き合いになりそうなこいつと向き合って話をしてみようと思った。
教卓に立つ。ここは前に黒板が落ちてきて割れたためホワイトボードになっている。
先生みたいだ。
ここはいっちょ頭の固いこいつに面白い話をしてやろう。いつか遠い昔の担任の口調を真似る。
「影に色がつくのをご存知だろうか。
雪の上にあなた。そしてオレンジの街灯。そうすると影が青くなるのだ」
いきなりこんなことを話し出す私に、彼はぽかんとしている。
「不思議だな、雪の上に青い影が落ちるんだ」
「どうして急に影の話?」
「さっきみたから。あのな、青いんだ、雪。青かったんだ」
雪に寝転んだその時、周りはすべて青かった。海の底に落ちていくようで、でもあたたかかった。
「雪は色無いですよ」
箱入りかこいつは。
「雪はな、あったかい。寝れるくらいあったかい」
「氷の塊があったかい訳ないじゃないですか」
ことごとく私の言うことを否定するこいつに、いつか雪の青さと雪の上に寝るあたたかさを教えてやろうと思った。
楽しみだ。
ふふ、と久し振りに笑い。
「出席を取ります」
まずは名前を教えてもらおうか。
最後の晩餐は、次の私の最初の晩餐になり、以後全てを天に任せてみようと思ったのだ。
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