快晴時々曇天
「心無い称賛なんていらないよね。形式的な言葉の方が、蔑ろにされた感じで中傷より嫌だよね。無表情の笑顔なんて、嬉しくもなんともないよね」
季節は初冬。僕は彼女と並んで座り、たい焼きを食べていたところだった。彼女はしばらくたい焼きを見つめていたので、また何か変なことを言い出すのかと思っていた。油断していたのだ。僕は彼女があまりにも神妙な顔で真面目な事を言うのでうっかりたい焼きを取り落としてしまった。膝の上なのでセーフだ。
「それは。どういう」
なんだか不用意なことは言わない方がいい気がしてとりあえずその心意を聞いた。
「いらないの。なにも。怖いの。おかしいのが」
「うん」
聞いてるよ、と。
「私は好きなことを好きなようにしたいだけなのに、他人がその好きなことにまで口を出して価値観や見解を押し付けて勝手に期待してくるのが嫌なの。私にはなにもないのに」
「冷めるよ、たい焼き」
促すと食べながら続ける。
「私は私がすることに意味がないことを知ってても好きなことは好きなままだった。でも、そこに介入されるとなにも、出来なくなるんだ。今までずっと簡単に出来ていた好きなことが、全く楽しくなくなって、出来なくなった」
「すきなこと……」
思い当たる。あの建物の中に一室だけ、唯一鍵の掛けられた部屋があった。ドアの硝子部分を覆い隠すようにして打ち付けられていた目張りの隙間から見えた空間。どうして隠すのか分からない位、素敵なものが並んでいた。
「最初は嬉しかったんだと思う。私を、理解してくれる人がいるのかと思って。でも、邪魔だった。私がそれをするには、私の世界を引っ掻き回すような他人は邪魔でしかなかった。その人達の見ている物と私が目指しているものは違う。そうしていつしか何もしなくなり、諦めていった。そして流されるまま、私はあの建物の管理人になった。私は、静かな環境を手に入れたつもりだった。それでも、一度引っ掻き回された世界は元には戻らなかった。そして、私は私がいらなくなった」
思い出す奇行の数々。命を顧みない無謀な行為ばかりだった。
メリーなんとかだって言いながら向かいの建物から傘で飛び移ろうとしたり、23時間も麻雀に付き合わされた挙句九蓮宝燈を出して死ぬか試してみたかっただけだとか、いわゆるお蔵入りの心霊ビデオを集めていたりだとか、ドライアイスを食べてみたりだとか、それはもう数え切れないほど。
「それからも私は他人の見解が目に入る度に吐きそうになるほどの嫌悪感を催した。自分と他人。それだけでこんなに嫌になるほど違うのかと。もう、好きなことを捨てようと思った。全部、いらなくなってしまったんだ。何の価値も見出せない。今まで集めてきたものも、好んできたものも全部。ごみでしかなかった」
目が熱いような。
「わたしのきれいなものを、けがさないでほしかった」
甘いはずのたい焼きはなんかしょっぱいし手元にあるはずなのにピントが合わなかった。
「でも、そうでもないかなと、思えるようになるきっかけがあった」
袖で目を擦りながら話を聞き続ける。僕より年下の彼女は、僕と出会うまでの間にどれだけの事があったんだろう。どれだけの凹凸を歩んできたのだろう。
「お前が居た部屋に跳び込んだ日」
彼女が好きなものを捨てる前に、出逢っていたかった。彼女の好きなものを、守りたかった。
「ほんとはあの晩御飯が最後の晩餐になる予定だった」
どうして出逢った時から、悩み事なんてなさそうだと思ってしまったのだろう。僕はもうそれを涙だと認めるしかなく。僕の目から流れる涙は止まらない。
「最期だから、どうでもいい事をして適当に普通に食べて、それから、適当な薬でも飲んで裏の湖に行こうと思ってた。でも、やめた」
僕は残りのたい焼きを彼女に渡した。とても食べられる心情じゃない。
「よかった、お前に逢えて。生きてて、良かった。そう、今なら思えなくもない」
あくまでも彼女らしい言いっぷり。
「……どうして今日、今、その話をしようと思ったの?」
「なんだか、長い付き合いになりそうだし、そろそろあれから二年だし、なんだか今日なら、平常心で話せる気がして」
もういつもどおりの彼女に戻って笑っていた。
僕の涙だけ、止まらなくて。
「……奇遇だね、僕なんか初めて合った時からそう思ってたけど」
隠すこともせずに思ったことをそう言うと彼女はなにがそんなに嬉しいのかふふふと笑い。
「お前はいつまでもお前だな。」
なんだそれ、と思う間もなく。
「心からの言葉に勝る伝達手段は無く、こんなに嬉しいものはない」
無邪気に、本当に嬉しそうに笑う彼女を見て、僕はもう、彼女への想いにこの頃から薄々と気付いていたのかもしれない。
「あと袋にある残りのたい焼きも全部くれるかなと思って」
彼女の影も全部ひっくるめて。
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