懐古 未見の夏



目を擦る。今の僕には、世界を正しく見ることすら難しい。

僕と同じような人がいないか寝ずに調べていたが、何も収穫はなかった。


『大丈夫?』


昨日会った時、心配そうに僕の顔を覗き込んだ彼女の顔が浮かぶ。普段表情を変えずあまり喋ることをしない彼女があんなに心配そうに。

連日精神的な調子が優れない僕を心配した彼女の提案。毎日顔を合わせること。

これだけは、忘れちゃいけない。部屋の一番目立つところに貼り紙をしてある。

そろそろ時間だな、と思い鞄に携帯や財布を突っ込んで部屋を出た。


しばらく歩くと汗が滲み始め、ハンカチを取り出した。

そろそろ夏だな。汗を拭う。タオルの方が良かったかもしれないな。

泳ぐにはまだ早いだろうし、もう少し暑くなったらまた彼女と泳ぎに行こう。

海沿いの道を、潮風を浴びながら歩く。


今日はやけに信号に引っ掛かるな。

信号待ちの間、待ち合わせの場所までのルートを何度も反芻する。最近はまた、この回数が増えた。

いつもよりちょっとだけ遅れて着いた頃には、既に彼女は居た。

あんなに好きなクロスワードも解いていない。

不思議に思い近寄る僕を見つけた彼女は、安堵した顔で僕に駆け寄る。


「心配した。どうかしたのかと」


そうか。僕はいつだって彼女より30分は早く来ていたっけ。

今にも泣きそうな顔の彼女を見て、僕まで悲しくなった。


臆病な僕は、彼女に想いを伝えられない。

もしかしたら一生、伝えることはないのかもしれない、明日にでも彼女のことも忘れてしまうかも知れない。

そう思うと、吐きそうになるほどのいとしさと寂しさが込み上げて、僕は強く彼女を抱きしめた。


もう二度と、海にいくことはないのかもしれない。




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